迫害の苦しみを経験したことで愛と憎しみを明確に区別するようになった

2019年12月18日

私は趙志といいます。今年で52歳になります。14年間全能神に従っています。信仰する前は私は事業をしていて、接待をしたり、礼物を送ったり、付き合いしたりで忙しくしていました。毎日のようにカラオケやカジノなどの遊興にふけっていました。妻はこのことでいつも私と喧嘩し、最後には怒って離婚して家を出ていくと脅すまでになりました。その時の私は泥沼にはまっており、自分では抜け出すことができませんでした。家族の世話をちゃんとしようと最善をつくしながら、どうしてもできませんでした。生きるのがつらく、疲れ果てていました。全能神の救いが私たちに訪れたのは1999年6月でした。神の御言葉を読み、兄弟姉妹との交わりを通して、妻は世界の闇と人類の腐敗はすべてサタンによる悪害と愚弄のせいであることを知りました。私の状態に理解を示し、さらには私に心を開いて話をしてくれました。私も神の御言葉の導きによって、自分が罪悪の真っただ中に迷い込んでいたことと、神はそれを嫌われ憎まれていることがわかりました。さらには、自分の行っていることが全く人としての姿を成していないことも目にして、後悔と慚愧を感じました。そこで私は神の御前で生まれ変わることを心に決めました。その時から私と妻は毎日祈り、神の御言葉を読み、兄弟姉妹と集会で交わっていくうち、夫婦間の葛藤やこれまで感じていた心の中の苦しみや悲しみが知らず知らずのうちにきれいに消えて、生活は安らぎと喜びが満ちたものとなりました。これは全能神が破滅しかかっていた私たち家庭を救い出し、新しい生活をもたらしてくださったのだと深く気づきました。この上ない感謝の気持ちとともに、自らのすべてをささげて神の恩に応えたいと心の中で決意しました。それ以後は本分を尽くし、福音を伝えることに没頭するようになり、それにより終わりの日に神が私たちにもたらしてくださる救いをより多くの人が得られるようにしようと努めました。しかし、中国共産党の無神論政府は人が神を礼拝し、正しい道を歩むことを許さず、さらに福音を伝えて神を証しすることを特に許しませんでした。私も神を信じて福音を伝えていたために中国共産党政府に捕らえられ、迫害を受けたのです……。

それは2002年春のある日でした。ある村で伝道していた時に、ある兄弟と私は悪人に通報されました。警察がすぐにやってきて、何も確認せずに私に手錠をかけ、パトカーに押し込めると派出所に連行しました。私たちが取調室に入ったとたんに、私の反応を待たずに警察官が一人突進してくると、私の襟首を掴み、数回平手打ちしました。私は急に目まいがして目からは火花が散り、ふらついて、地面に倒れました。鼻と口からは血が流れ、顔はひどく痛みました。そのひどい警察官はこれを見て激しく私を蹴りつけ、歯ぎしりしながら私を罵りました。

「この野郎、芝居なんかするんじゃない、起きろ!」

するとすぐに他の警察官が二人私の二の腕を掴んで引き起こし、部屋の隅へ放り投げました。その後三人はまた私を蹴ったり殴ったりしました。全身の耐え難い痛みで地面に倒れた私は立ち上がる力がありませんでした。警察官たちは鋭い目つきで、獲物を狙う虎のように私をにらみつけていました。そしてその中の一人が怒鳴りつけました。

「なんていう名前だ? どこの者だ? あの家で何をしていた? 言わないんだったら、見てろ、こうしてやる!」

私は心の中で黙々と神に祈っていました。神の御前で落ち着いていられるように私の心を守ってください、警察官の脅迫に屈しないように私に信仰と勇気を与えてくださいと神に願い求めていました。何も話さない私を見て、残忍な顔つきをした警察官がスタンガンを私の目の前にちらつかせ、わざと「パチパチ」と音を鳴らしてみせ、私を指さして脅迫するように言ったのです。

「言うのか、言わないのか? 言わないと感電死させてやる」

これを聞いて少し怖くなり、すぐに神に祈りました。

「神よ! あらゆるものは御手の中にあります。この悪い警察官の群れもそうです。彼らが私にどんなことをしようとも、それは神がお許しになったことです。御心のままに従います。ただ私の霊的背丈は小さすぎ、私は弱く恐怖でおびえています。私に信仰と力をお与えください。私がユダにならないよう、サタンの目の前で証しを失わないようお守りください」

祈った後、神の御言葉が脳裏に浮かびました。

復活のキリストのいのちが私たちの内にある。神の前で私たちは本当に信仰に欠けている。神が私たちの内に真の信仰を与えて下さるように。神の言葉はまことに甘美である。神の言葉は良く効く薬だ。悪魔とサタンを恥じ入らせよ。私たちが神の言葉を把握すれば、私たちは支えられ、神の言葉は即座に私たちの心を救うだろう。それはすべてのものを一掃し、すべてに平和をもたらす。信仰とは一本の丸太橋のようものである。卑屈になって命にしがみつく者がそれを渡るのは困難だが、自らを進んで犠牲にする者には不安なく渡ることができる。臆病と恐怖を抱いている者はサタンに騙されているのだ。サタンは私たちが信仰の橋を渡って神の中に入ることを恐れている(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第六章」〔『言葉』第1巻〕)

私は思いました。

「そうだ! こんなに怖く感じるのは、サタンの罠にはまっていたからだ。警察官は凶悪な顔をしてるが、すべては神の御手の中にある。神は私の後ろ盾だ。自分の信仰と神の御言葉にたよって、サタンに勝たなければ」

それで私は一言もしゃべりませんでした。警察官は私がそれでもしゃべらないのを見ると、スタンガンを振り回して私の体を勢いよく突いてきたのです。私は両目をしっかりと閉じて歯を食いしばり、激痛の苦しみを受ける準備をしました。ところが意外なことにスタンガンで突かれても全く何も感じないのです。警察官たちも奇妙に感じたようで、不思議そうに言いました。

「今日はスタンガンがどうして効かないんだ? 壊れたのか? 別のを使おう」

そしてすぐに別のスタンガンをもってきて使ったのですが、それも効果はありませんでした。その時、心の中で立て続けに叫んでいました。

「神様、感謝します! 私の祈りを聞き入れて、陰ながら私を守ってくださっているんですね。愛すべき、そして信頼できる神様! これからどんな残忍な拷問に直面することになっても、心から神により頼み、しっかりと証します!」

警察官たちはスタンガンが効かないのを見てもその手を緩めず、私に手かせ足かせをつけてパトカーに押し込めて、村から遠く離れた二階建ての建物へ連れて行きました。

建物に入ると、警察官が一人冷笑しながら私を脅しました。

「見たか、ここは何もなくて、誰にも見つからない場所なんだ。ここに来て、それでもまだ何も言わないようなら、お前はそれで終わりだ。お前を殺してここに埋めるんだ。どうせ誰にも分りやしない。よく考えるんだな! ちょっと頭を働かせれば、こっちの知りたいことを話せるだろう!」

これを聞いて私は大変驚きました。目の前で殺気立った裏社会の殺し屋のように振る舞っている「人民警察」がどのように私を打ちのめすのか、全く想像もできませんでした。私はただちに心の中で神に呼びかけ、力と苦しみに耐え抜く意志を与え、これから待ち受けている酷刑に耐えられるようにしてくださいと祈りました。私がそれでも何も言わないのを見て、警察官のうち二人が凶暴な勢いで私に飛び掛かって上着を剥ぎ取り、そばに立たせました。そのうちの一人の警察官は私の鼻を指さして馬鹿にするように言いました。

「自分のその様子を見てみろ、恥ずかしくないのか」

もう一人は空腹な犬が食べ物を探すように私の服をひっくり返し、最後に三十元を見つけ出すと、振り向いて罵ったのです。

「貧乏人が!」

そしてそのまま自分のポケットにその金を入れたのです。これを見て、私は本当に怒りと憎しみを感じました。

「これが『人民のために働く』警察か。まったく一般人を騙して押さえつけ、食い物にするやくざ者、強盗だ! もし今日この目で見なかったら、中国共産党のウソにいつまで騙されていたのか分からない!」

この時、私は今回の逮捕連行は神の素晴らしい御旨であることに気づいたのです。神はわざと私を苦しめようとなさっているのではなく、私が中国共産党政府の醜くあくどい姿をしっかりと見ることができるように、このことが起こっていたのです。さらに十分ほど過ぎた時、もう一人の警察官が電線を二本手にして陰険な笑みをたたえながら入ってくると、脅すようなそぶりをしながら言いました。

「怖くないか? 教えてやる。一昨年も口の堅い犯罪者がいたんだが、電気ショックには耐えられず、最後には全部喋ったんだ。お前の口も開けてやるからな!」

警察官たちが私に電気ショックを与えようとしているのを知り、憎しみと恐れを感じました。もしそのような拷問が長く続いたら、きっと死んでしまいます。そこで急いで神に祈りました。

「神よ、この邪悪な警察官たちはあまりにも凶暴です。私は勝てないのではないかと心配です。どうか私を守ってください。私に力をください。肉体の弱さゆえにユダのようになって、あなたを裏切らせないでください」

祈りが終わると、神は私を啓き、教会の讃美歌を思い出させてくださいました。

私はむしろこの命を捧げる。神の民の一人として、自分の尊厳を捨てないつもりだ。神の嘱託を心に留めて、私はあの古いサタンを恥じ入らせるつもりだ。心に涙をためて、私は屈辱に耐えることを選ぶ。神を再び心配させたくない(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「神が栄光を得る日を見ることを望む」より)

私は思いました。

「そうだ。神の国の民は神の国の者としての気骨がなければ。生きることにしがみついて、死を恐れるのは弱虫だ。サタンは拷問で私に神に背かせることができ、それによって私が救われる機会を台無しにできると愚かにも思っている。絶対にその陰謀を阻止しなければ。私のために神の名が辱められてはいけない!」

こう思った時、心の中に力が湧いてきました。酷刑に立ち向かう勇気が生まれたのです。

このようなことを考えていると、警察官が二人飛び掛かってきて私を床に押し倒し、椅子で体を押さえつけました。また他の警察官が二人来て、両側から私の両手を荒々しく踏みつけました。私は手が床にくぎで打ちつけられたかのように感じ、全然動けなくなってしまいました。電線を手にした警察官が配線箱から電線を二本取ると、私の左右の指一本ずつにつなぎ、スイッチを入れました。電流が全身の神経をまんべんなく駆け巡ったようで、痛みとしびれを感じ、全身が知らず知らずのうちにけいれんし、私は痛みで大声を上げました。警察官は私の口にスリッパを押し込みました。そうして私は一度、また一度と電気ショックを受けたのです。痛みで滝のような汗をかき、すぐに服が水で洗ったように汗でびしょぬれになりました。警察官たちは私に電気ショックを与えながら、怒鳴り続けました。

「言わないのか! 言わなきゃ今日お前を感電死させてやる! 言わないならどうなるんだぞ!」

私は歯を食いしばって苦痛に耐え、一声も上げませんでした。彼らはこれを見て通電時間を長くしました。とうとう私は耐えきれなくなり、もう死んでしまいたいと思いました。椅子で私を押さえつけている二人の警察官を渾身の力で倒しのけると、自分の頭を床に激しく打ちつけました。しかし不思議なことに、固いはずのコンクリートの床が突然棉のように軟らかく感じました。どんなに激しくぶつけても何も起こらないのです。ちょうどその時、以前よく兄弟姉妹間の交わりで引用されていた神の御言葉が二節、突然はっきりと私の脳裏に浮かびました。

一部の人々にあっては、苦しみがある点に達し、死を考えるようになる。しかし、それは真の神への愛ではない。そうした人は臆病者であり、忍耐力を持たず、弱く、無力なのである(『神の出現と働き』「辛い試練を経験することでのみ、神の素晴らしさを知ることができる」〔『言葉』第1巻〕)

あなたの肉は苦しむものの、あなたには神の言葉と祝福がある。あなたは、死にたくても死ねないであろう。死ねば神を知ることも真理を得ることもないことに甘んじることができるであろうか(『キリストの言葉の記録』の「真理を追い求めることでのみ、性質の変化を成し遂げられる」より)

神の御言葉はすぐに私に気づきを与えてくださいました。私は苦痛に耐えきれず死にたいと思っていました。これは神を証しすることになるどころか、神を辱め、神に背くことです。これでは臆病者で卑怯者です。これではサタンを辱めることにはなりません。神の啓きにより、床が突然に軟らかくなったのは、神がひそかに私の行動を止めて、守ってくださっていたことに気づきました。それは、神は私が死ぬことをお許しにならず、私にこの苦境から立ち上がって証することを望まれていて、そうすることでサタンを辱めて、神に栄光を帰するためです。神の愛と守りに触れて私の心は大きく励まされ、邪悪な警官たちにどんなに拷問されても私は決して負けず、たとえ最後の息をするだけになっても、しっかり生き抜いて神のために証しをするのだ、決して神を失望させないと心に誓いました。全身に力が満ち、私は歯を食いしばって残酷な電気ショックにさらに耐える心構えをしました。

邪悪な警察官たちは私がまだ降参しないのを見て、皆青筋を立てて怒りました。眼光はいよいよ荒々しく鋭くなり、歯を食いしばって両手を握りしめ、今にも私を食い尽くしてしまいそうな様子でした。すると突然、警察官の一人がこれ以上我慢ならないとでもいうように私に飛びかかると、髪をつかみ、力任せに私の頭を引き上げ、私の顔に覆いかぶさって凶悪な様子で怒鳴りました。

「この野郎、言うのか、言わないのか? 言わなきゃお前の皮を剥いで半殺しにしてやる! 話したくても話せないようにしてやる!」

言い終わると私の髪を振り放し、狂ったように別の警察官に叫びました。

「電気で殺してしまえ!」

その時はこれまでより強力な電流で、私は耐えられず失神しました。警察官たちは私に冷水を浴びせて目を覚まさせ、それから続けて私を痛めつけました。何度も電気ショックを受けた私の全身の痛みは耐え難く、いつ死んでもおかしくないように感じました。そんな危機の中で、神は私に教会の讃美歌を思いだすようお導きになりました。

「逆境の中では、御言葉による導きが、私の心を強くする。手をすきにかけてから、うしろを見てはならない。神の国の訓練を受けられる、この稀な機会を逃すわけにはいかない。神を失望させたら、一生後悔するだろう。神に背を向けたら、歴史によって裁かれるだろう。……私の心は真理を大切にし、神に忠誠を尽くす。二度と神に逆らって神を悲しませたりしない。神を愛し、神に忠誠を尽くし続けるよう志し、誰も私を止められない。どんな試練や苦難に遭っても、神を賛美する証しを立てていこう。真理と神の完全性を手に入れ、有意義な人生を送ろう」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「神に忠誠を尽くす志し」より)

そして同時に神の御言葉も思い出しました。

あなたに最後の息があるかぎり、神はあなたを死なせはしない(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第六章」〔『言葉』第1巻〕)

神の御言葉に導かれ、私の弱い心は再び強さを取り戻しました。私はひそかに思いました。

「お前たち悪魔がどんなに狂暴であろうと、私の肉体を苦しめ、死ぬほどの苦しみを味わわせることしかできない。しかし、お前たちは神に従う私の心を変えることは永遠に、絶対にできない。お前たちがこのように私を傷つければ傷つけるほど、お前たちの凶悪な顔がよく見えるようになり、神に従う私の決心をますます強める。私が兄弟姉妹の一人でも裏切るように仕向けられるなどと思うな。今日死んだとしても、それで私は神を満足していただく!」

命を懸ける覚悟をしたとたん、私は再び神の全能性と私への神の憐れみと守りを見ました。さらに数回の電気ショックを受け私の全身が激しくけいれんするのを見た警察官たちは、私が死んでしまい、責任を負わされることを恐れてそれ以上は続けませんでした。しかし、警察官たちはまだあきらめたわけではありません。私を地上から引っ張り上げ、腕を後ろにねじ上げて縄でしっかり縛りました。腕はとてもきつく縛られたので痛く、しばらくすると手が冷たくなって腫れあがり、痺れて感覚がなくなってきました。警察官たちは私をつるし上げて苦しめようとしましたが、彼らが引き上げようとするたびに縄が緩み、何回も失敗したのです。警察官たちは困惑して言いました。

「今日は一体どうしたんだ。縄が全然使い物にならない。変だ! こいつはやるなとでもいうのか?」

警察官の一人が言いました。

「もういい! 今日はここまでだ。もう時間も遅い」

私をつるし上げようとしていた警察官も手を引くしかなくなり、私を指さして荒々しく罵りました。

「今日は運が良かったな、明日どうするか見てろよ!」

私は神が再び守ってくださったことが分かり、心の中で神に何度も感謝しました。この時、私は神の御言葉を思い出しました。

宇宙のすべてのものはわたしの手の中にある。わたしが語ると、そのようになり、わたしが定めると、それは成る。サタンはわたしの足の下にあり、それは底なしの穴にいる(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第十五章」〔『言葉』第1巻〕)

わたしがあなたの後ろ盾であるから、男子の精神を持たなければならない。サタンは死の苦しみの中で暴言を吐いているが、わたしの裁きを逃れることはできない。サタンはわたしの足の下にいて、またあなたがたの足に踏みつぶされているのだ。これは事実である!(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第十七章」〔『言葉』第1巻〕)

その日、神が私を不思議なかたちで守ってくださるのをこの目で見、神がまことに全能で一切を統治なさり、天地万物は神の御手の中にあり、生きていようとなかろうとすべてを神が支配なさっていることを身をもって体験しました。これらの悪しき警察官でさえも神の調整にまかされていることがわかりました。彼らは凶悪な人相をしていますが、神の許可がなければ私をどうすることもできませんでした。私に神を信じる心があり、命を懸けて神にご満足いただき、神のために証しをたてる覚悟であれば、この悪魔どもは必ず辱めを受けて失敗するのです。これが神の全能性と全き勝利の現れなのです!

あの二階建ての小さな建物で、警察官たちは午後二時からずっと私を苦しめ、六時にやっと私を派出所に連れ戻しました。派出所に戻ると警察官たちは私を鉄格子の中に閉じ込め、食事も摂らせず、水も飲ませてくれませんでした。寒さと空腹とで力無く鉄格子の鉄筋にもたれかかりながら、その日に起きたことを思い返していると、神の御言葉を思い出しました。

全くけしからぬ共犯者集団である[1]。悪魔は人間の中に来て享楽にふけり、混乱を助長する。悪魔の阻害行為により、世界的な日和見主義的風潮が興り、人間の心を狼狽させる。また、悪魔が人間を歪めたため、人間は見るに堪えない醜悪な獣のようであり、元来の聖い人間の姿は皆無である。悪魔は、地における暴君としての権力を掌握することさえ望む。悪魔は神の業を妨害しており、それにより神の業は辛うじて前進し、銅と鋼の壁のように、人間を封じ込めることが出来る。極めて多くの罪を犯し、極めて多くの問題を引き起こしてきた悪魔には、どうして罰を待つ以外に何か期待出来ることが有るだろうか。(『神の出現と働き』「働きと入ること〔7〕」〔『言葉』第1巻〕)

神の御言葉を事実に照らし合わせてみると、自分がこれまで尊敬していた警察はこんなにも凶暴で恐ろしかったことがついにはっきりしました。彼らは威厳があるように見え、つねに使命や誠実さについて語り、善良で優しい「人民の良き公僕」という仮面をかぶっていますが、実際には人道の欠片も無く、顔色一つ変えず人を殺してしまうような獣であり、悪魔なのです。私が神を信じることの何が間違っているのでしょうか。この悪しき警察官たちは私を敵視し、このような人間のすることとは思えない酷刑を私に与えて殺そうとしたのです。これは人間ができることでしょうか。悪魔でなければできないことではないでしょうか。この時私は分かったのです。この警察官たちは人間の外見をしていながら、その内面は本質的には悪魔、悪霊であり、真理と神を憎み、生まれつき神を敵とします。彼らはとりわけ人を傷つけ、飲み込んでしまうためにこの世に来た生き亡霊です。私はこれらの悪魔どもを心から憎みました。また同時に、神の優しさと愛らしさを深く感じるようにもなりました。私は魔窟に落ちてしまいましたが、神はいつも私と共にいて陰ながら私をお守りくださり、御言葉で私を励まし、慰め、私の信仰と力を強めて悪魔の度重なる酷刑を生き抜くことができるようにしてくださいました。私は何度も死の危険にありましたが、神はその大いなる力で私を守り、死から救い出してくださったのです。私への神の愛はまことに真実です! 悪魔たちがこれからどのように私を苦しめようとも、しっかりと証しを立てて神にご満足いただきます。神の御言葉による啓きと導きで、私の心は慰められ、体の痛みもだいぶ和らぎました。神の愛とともに私は長い夜を生き抜きました。

二日目は警察官が二人朝食を取った後に来ると、鉄格子の前にやってきました。一人が意味ありげに笑顔で言いました。

「どうだ? 一晩よく考えたか? 言うのか言わないのか?」私は彼を一瞥しただけで相手にしませんでした。これを見て彼はすぐに表情を変え、手を伸ばして私の髪をつかんで彼の前に無理やり引き寄せました。そしてタバコを私の鼻に押し当てて私を睨みつけながら言ったのです。

「言っておくがな、ここに来る犯罪者は多いんだ。どんなに頑張ってしゃべろうとしない奴でも俺からはのがれられない。ここで死ななくとも、お前の皮をはいでやる!」

しばらくしてまた他の警察官が二人やってきました。彼らは鉄格子を開けると私を引きずり出しました。その時私の両脚はもう力が入らず、立ち上がることができませんでした。私はそのまま地面に倒れました。警察官の一人は私が立てないふりをしていると思い、私に近づくと何度か蹴飛ばして罵りました。

「死んだふりするのか!」

別の警官が二人私を起こし、握りこぶしで顔と上半身を殴りつけました。しばらく殴りつけた後、彼らは私が死人のように頭を下げて鼻と口から血を流し、顔は血まみれになって何の反応も見せないのを見ました。警察官の一人は「もういい、やめろ。この様子じゃこいつはもうだめだ。俺たちが相手しているあいだに死んだら面倒なことになる」

彼らはそこでようやく私への暴力を止めて、私を隅の方へ放り出したのです。彼らが小声で話しているのが聞こえました。誰かが「警察官になって以来、あんな鉄人は見たことが無い。最初から今まで一言も話さない。まったく大した奴だ!」と言っていました。彼らの話はまるでサタンがうなだれて弱音を吐いているように私には聞こえました。鎧兜を投げ捨ててうろたえる様子が見え、また神の栄光の笑顔も見えました。私は心に言葉にできない喜びを感じ、静かに神に感謝しました。そして思わず心の中で教会の讃美歌「神の国」を口ずさみました。

「神は私の支え、なぜ恐れよう。最後までサタンと戦う。神は私たちを引き上げる。だから全てを捨てて、キリストを証しするよう奮闘しよう。神は必ず地上で旨を行う。私の愛、忠誠、献身を神に捧げる。栄光の中に神が戻られる時、私は神の帰りを歓迎する。キリストの国が実現する時、私は神に再会する。私は神に再会する……多くの勝利した立派な兵士たちが患難を通ってくる。神とともに勝利し、私たちは神の証しとなった。全ての民は神の光の中を歩いてこの山へ集まる。神が栄光を受ける日を見よ。その日は近い。神の国の素晴らしい輝きは世界中に示されるにちがいない」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』)

歌えば歌うほど力がわいてきました。神に従う私がこのような抑圧と困難を経験することを光栄に思い、心の中で知らず知らず信仰が強まりました。サタンととことん戦ってやると心に固く誓ったのです。このようにしてまた一日をやり過ごしたのです。

三日目は、朝九時ごろに警察官が一人入ってきました。彼は入ってくるとまず自己紹介をして、ここの派出所の所長だと言いました。私の前までくると、親しみやすい人の振りをして話しかけてきました。

「大変な思いをさせてしまいましたね。この二日間、県の会議があって戻ってきたところ、あなたに何があったのかを聞きました。彼らにはきつく注意しました。状況がはっきり分からないのに勝手に人を殴るなど、どうしてできたんでしょうか。まったく行き過ぎでした」

心無い警察官が突然思いがけず「温和」になったのを目にして、私は混乱せずにはいられませんでした。けれどこの時、神の御言葉で私は思い出しました。

わたしの民は常にサタンの狡猾な企みを警戒し……(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第三章」〔『言葉』第1巻〕)

これはサタンの罠であり、鞭が役に立たないのを知って、飴を使って私に神と教会を裏切らせようとしているのだと気づいたのです。心の中が明るくなり、内なる自信を感じました。私は思いました。

「神の智慧はサタンの罠に応じて発揮される。だからサタンよ、お前がどれほど陰険で狡猾だろうと、私には神の御言葉による導きがある。お前の罠がうまくいくと思ってるなら、白昼夢もいいところだ!」

サタンがどんなに多くの「甘言」で私を誘おうとも、私は一切相手にしませんでした。作戦が無駄な努力であることを見てサタンは離れていくしかありませんでした。その後、警察官が二人やってきて怒りをこめてこう罵ったのです。

「この野郎、今に見てろ。口を割らないなら、一生ここから出られると思うなよ! 証拠なんか無くてもお前を刑に処すなんて簡単なんだ。見てろ!」

警察官の脅しにも私の心は落ち着いていました。

「全ては神の御手にあると信じる。刑に処されようがどうなろうが、それも神の御手にある。最終的な決定権は悪魔のあいつらではなく、神にある。結果がどうなっても、神がなさることにはすべて意義があると信じている。最後までそれに従うまでだ!」と思いました。

警察は私を罪に定める証拠を何ひとつ持っていませんでしたが、私を釈放しようとはしませんでした。彼らは何日間も連続して私に水や食事を与えませんでした。あの夜私は空腹で全く元気がありませんでした。「このままだと餓死させられてしまうのではないか」と思いました。ちょうどその時、「人の運命は神の御手にあり、神が私を死なせたくなければ私は死なない。ただ神の調整と采配に従うだけだ」と思ったのです。しばらくすると警察は賭博師を六人捕まえてきました。この六人は警官に一人につき餃子を一斤買ってくるように頼み、警官は七斤ほど買ってきました。後に彼らは罰金を払ってすぐに釈放されたのですが、出獄するすぐ前に私に残りの餃子をくれたのです。警察はこのことを知りませんでした。あらゆる人、物事は全て神の導きにあることを再び目にした私は熱い涙があふれてきて、言い表せない感動が心に湧き起こりました。神の愛と不思議さをただ感じるだけでした。私は魔窟に陥りましたが、神はいつも私のそばにいて私を思いやり守ってくださり、私の内なる生命力となってくださり、サタンの試みに一つ一つ打ち勝つよう私を支えてくださっていたのです。また、私の弱さを憐れみ、困難を乗り切る手助けをしてくださっていたのです。神はこんなにも実際的で、神の愛はこんなにも真実なのです!

6日目になり、警察は私を罪に定めるための証拠が全く見つからないので、最後に200元の罰金を科して私を釈放しました。これは全て神の支配によるものです。私がどれだけの苦しみを受けるべきか、神の御許までどれほどの道のりを歩かなければならないか、神は全てご存知であり、私が受ける必要のない苦しみは一日たりとも受けさせようとはなさらないことを私は深く知ったのです。今日警察が私を釈放したのも彼らにとっては不本意でした。彼らの悪魔的な陰険で悪辣な本性では絶対に私をあれほど簡単に手放すことはなかったはずでした。けれど、神がそれをお許しにならなければ、彼らは私に何もすることができないのです。サタンや悪魔とは神が選民を完成なさるために神の役に立っていることを私は見ることができました。彼らの見かけは凶悪ですが、神は全てを支配されておられます。私たちが真心で神により頼み、神に従えば、私たちはあらゆる悪魔の勢力に打ち勝ち、危機を通り抜け平安に至るように神は私たちを守ってくださるのです。

私は派出所で丸々六日間苦しめられました。この六日間の異常な経験のおかげで、中国共産党政府の悪しき顔とその邪悪で反動的な本性と本質をはっきりと目の当たりにしました。中国共産党政府は神を敵とする悪魔であり、ちんぴらの集まりだということを見たのです。また同時に神の全能性と統治、霊妙、知恵についてもわずかながら理解し、神の愛と救いを身をもって体験しました。全能であり、真実で信頼でき、偉大であり、愛すべき神を知ることができました。神は永遠に人類に信頼され、敬われて礼拝されるべきお方であり、何よりも人類が愛するべきお方なのです。この経験は私の信仰生活における大きな転換点となりました。なぜなら、今回の経験が無ければ私はサタンを真に憎むこともなく、神を真に認識することもできなかったはずからです。そうであったなら私の神への信仰は空虚なものであり、完全に救われることは不可能だったでしょう。中国共産党の残酷な迫害と抑圧を経て初めて、私はサタンや悪魔とは何か、この世の地獄とは何か、暗闇と邪悪の勢力とは何かを知ったのです。また、この経験を通して初めて、自分が中国という暗闇と邪悪で汚れた地に生まれ、サタンや悪魔の魔の手から逃げ出して神を信じる道を歩み、人生の光を追い求めることができるのは、まさに神の極めて大きな恵みと憐れみだということを感じています。同時に神の御言葉の権威と威力を体験し、神の御言葉は確かに人のいのちとなり、人をサタンの権勢や死の縛りから救いだすことができることを知りました。そして神だけが真実に人を愛し、人を救うことができ、サタンや悪魔は人を騙し、傷つけ、飲み込んでしまうことしかできないということを真実かつ実際に体験しました。中国共産党の迫害を用いて私に物事の是非を明らかにし、善悪のすべてを見せてくださった神に感謝します。これから私はより多くの真理を知ることを追い求め、真実に神を知り、積極的に神の福音を述べ伝えて神の名を証しし、より多くの人が神のみ前で神を敬い礼拝するように努めます!

河北省 趙志

脚注

1.「共犯者集団」は「ごろつきの群れ」の同義語である。

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