嘘のあと

中国河南 陳実

全能神は言われます。「あなたがたは神が誠実な人を好むことを知らなければならない。実質的に神は誠実であり、神の言葉は常に信頼できる。それだけでなく、神の行動は完璧で疑う余地がない。だからこそ神は、神に対して絶対的に誠実な人を好むのである。誠実であるということは、自らの心を神に捧げること、万事において神に真実であること、万事において神に隠し立てしないこと、事実を隠さないこと、立場の上および下の人を欺こうとしないこと、神にこびへつらうためだけに行動しないことを意味する。要するに、言動において純粋であり、神も人も欺かないということである(『神の出現と働き』「三つの訓戒」〔『言葉』第1巻〕)。主イエスは言いました。「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう(マタイによる 福音書18:3)。この神の御言葉から分かるのは、神が誠実であること、神は正直な人間を好み、偽る人を嫌うということです。正直な人々だけが救われ、天国に入ることができるのです。だから神は、正直であることと嘘と偽りの動機を解決することを、私たちに繰り返し求めています。でも私は、実際に自分の評判と地位のことになると、つい嘘をつき偽っていました神の御言葉による裁きと暴露がなければ、神の懲らしめと訓練がなければ、私が心から悔い改め、嘘をやめて真理を実践し、正直な人間になることはなかったわ。

2年前、教会のリーダーの本分を尽くしていました。ある日、同労者の集会に出席するよう指導者から言われ、私は喜びました。そのころの私は、教会の仕事に懸命に打ち込んでいて、毎日集会を開いて交わり、兄弟姉妹もほとんどが、積極的に本分を尽くしていました。そのなかには大きな進展を遂げたグループも。同労者の集会は、チャンスでした。指導者や同労者たちに、他者より優れた私の能力を示せる絶好の機会だと思ったの。集会に着くと、リューさんが心配そうに、眉をひそめていて、ため息交じりに言いました。「あなたのところでは、兄弟姉妹への水やりや支援はうまくいってる? 私たちはうまくいっていないの。私は真理の現実に欠けているんだわ。解決できない問題がたくさんある」私は笑顔で言いました。「私たちの教会での水やりはとても順調よ。以前より随分よくなったもの」ちょうどそのとき指導者が来て、教会での水やりについて尋ねてきました。私は思ったわ。「私の能力を知ってもらうチャンスだ。うまく話さなければ」ところが彼女が尋ねたのは、水やりの成果についてではありませんでした。これまでにどんな困難が生じたか、どう真理の交わりをとおして解決したか、そしてどんな困難を、解決できていないのか、そういった事柄について、尋ねてきたのです。私はパニックになったわ。普段、私は仕事を手配するだけで、詳しいことは、全く知りませんでした。私は実際には水を与えていなかった。もし指導者が、私に尋ねてきたら、どう答えればいいのでしょう。真実を話したら、実際の働きをしていないと思われるかもしれません。「自分が責任を負う仕事はうまくいっている」と、リューさんに自慢したばかりなのに、詳細を話せなければ、中身のない自慢だと指摘されるかもしれません。「どうしたらいいの?」と、気が気でありませんでした。するとチョウさんが、彼の教会での水やりにおいて、彼らが直面したいくつかの問題や、彼の働きのなかで露わになった、堕落について話しました。その解決のために真理を追求した方法の説明も。とても実践的で、なおかつ具体的な内容でした。私たちに実践の道を示すものだったわ。彼の交わりを聞いて、本当に恥ずかしくなりました。私は何も、実際の働きをしていなかったのですから。真っ赤になった顔を、下に向けました。次に、指導者から私の話を求められました。心臓が止まるかと思ったわ。何を言ったらいいのでしょう。詳しく伝えられる話はない。大ざっぱな内容では実際の働きをしていないことがバレる。でも真実を話したら、みんなからどう思われるでしょう。とても正直には話せません。そこで、ただこう言いました。「私の状況はチョウさんとほとんど同じです。繰り返す必要はないわ」すると指導者は何も言わず、神の御言葉を読んで集会を始めました。私はその集会で誰かから何かを盗んだような気分がして、不安で仕方ありませんでした。いつか指導者が、私の働きを確認したり監督したりして、私の実践がチョウさんとは異なることに気づき、実際の働きをせずに、嘘をつき偽る私を、本分から外すのではないか。でもそんな不安が強まっても、真実を話す勇気がありませんでした。そして心の中でこう決めたの。「チョウさんが、話した内容と同じ方法で働いて、今回の嘘の埋め合わせをしなくちゃ」。

教会に戻ると、私は執事やグループリーダーたちと会い、個々に詳しく交わり、すぐに始めてもらいました。そして自転車でルーさんの家に向かい、彼女にチョウさんの方法を細かく話して、水やりの本分を果たす兄弟姉妹に、共有するよう伝えました。そうして3日が過ぎ、私は働き手たちの実りの収穫を楽しみに待っていました。でも驚いたことに、彼らは水やりにおいて、数多くの問題に直面したというのです。なかには解決できていない問題も。新参者への水やりが間に合わず、共産党や牧師の嘘にだまされた彼らは、これ以上集会に参加する勇気を持てないとのことでした。「なぜ、こんなことになったの?」と、頭が混乱したわ。私は急いでルーさんの家に行きました。彼女は私を見て、心配そうに言いました。「私たちの水やりに問題が生じてる。どう解決すればいいの? 私には分からない」言葉が見つかりませんでした。特にルーさんには交わりをとおして指示し、細かく説明したのに、彼女は分かっていなかったわ。彼らはどうしたのでしょう。はっきり説明したのに分かっていなかった。失敗したら、指導者はどう思うでしょう。考えるほど、いら立ち、落ち込みました。その晩私は、眠れずに寝返りを打っていました。何の気力も湧きませんでした。そしてようやく神の御前で祈ったの。「神様、ここ数日間私は以前よりも努力して本分を尽くしてきましたが、何も達成できませんでした。あなたのお導きを感じられず、暗闇を生きているかのようです。神様、私の行為はあなたの御心に反するもので、あなたが嫌悪し、憎むものなのでしょうか。自分の状態を理解できるよう、どうか啓きを与えてください」。

そして、神の暴きの御言葉を読みました。「あなたの目標や意図は、心にわたしを抱いて生み出されたものなのか。あなたの発言や行動はすべて、わたしの前で行われているのか。わたしはあなたの思いや考えをすべて調べる。あなたは罪悪感を覚えないのか。他人に見えるように偽りの姿を装い、落ち着いて独善的なそぶりを見せるのは、自身を守るためだ。そして自分の悪を隠すためにそうするだけでなく、さらにその悪を他の誰かに押しつける方法まで考え出す。あなたの心には何という欺瞞が宿っていることか(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第十三章」〔『言葉』第1巻〕)。「本音と建前を使い分けてはならない。わたしにはあなたのすることがすべてはっきりと見えている。他の人を欺くことはできても、わたしを欺くことはできない。わたしにはすべてがはっきりと見えているのだ。何も隠すことはできない。すべてはわたしの手の中にある。小賢しい計算で有利な結果を得られたからと言って、自分がとても賢いなどと思ってはならない。言っておくが、人間が何千何万と計画を立てたところで、最終的にわたしの手からは逃れられないのだ。万事万物はわたしの手に支配されているのだから、一人の人間など尚更である。わたしを避けたり、隠れたり、おだてようとしたり、隠し事をしたりしてはならない。わたしの栄光に満ちた顔貌、怒り、そして裁きが公にあらわされていることが、あなたにはまだわからないのか。わたしを心から求めない者はみな、ただちに容赦なく裁かれる。わたしの憐れみはすでに尽きた。もうこれ以上偽善者であることをやめ、狂気じみた無謀な生き方を捨て去りなさい(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第四十四章」〔『言葉』第1巻〕)。御言葉を読んだあと、自分自身を振り返りました。私は集会を開き、執事やグループリーダーたちと交わることに奔走していましたが、何のためだったのでしょう? 本当に教会の仕事や、兄弟姉妹のいのちのためだったのでしょうか。彼らの実際の問題を解決するためだったのでしょうか。そして、自分が集会でどんな嘘をついたか考えたわ。水やりについて指導者に尋ねられても、自分が実際の働きをしていないことを知っていたのに、愚か者だと思われないように、みんなから見下されないように、偽っていました。自分の嘘が指導者に知られないようにと、急いで自分の働きの穴を繕おうとしました。そして気づいたの。私が懸命に働いていたのは、嘘をつきとおすためで実際の働きを行っていなかったという事実を隠すためでした。自分の評判と地位のためだったの。兄弟姉妹の実際の困難をちゃんと理解することなく、真理を交わって彼らの問題をきちんと解決することなく、チョウさんが話した方法を使っただけでした。自分の本分を軽率に扱い、卑劣な動機を抱いていて、神の御心に沿えるでしょうか。神は私たちの心の奥底を見抜くわ。神を欺き、だましてごまかそうとする私を、嫌悪しないはずがありません。私が陥った暗闇は、神の刑罰であり懲らしめでした。そのことに気づくと、少し怖くなり、次の集会で真理を実践し、打ち明けよう、そう思いました。でも大きな嘘をついたことを打ち明けることに不安もありました。「嘘だと認めたら、みんなからどう思われるだろう」「ずるい人間だと言われるだろうか」と。

そこで、こんな神の御言葉を読みました。「嘘をつくと、その場で面子を失うことはないにせよ、心の中で自分の株が完全に下がったと感じ、自分の不誠実さに良心が痛むことでしょう。心の奥で自己嫌悪に陥り、自分を軽蔑し、こんなふうに考えるでしょう ― 「わたしはなぜこれほどみじめに生きているのだろう。真実を話すことは、本当にそれほど難しいのだろうか。ただ自分の評判のためだけに、こんな嘘をつかなければならないのだろうか。なぜ人生はこんなに疲れるんだろうか」と。疲れる人生を送る必要はありませんが、しかしあなたは気楽で自由な道を選んでいません。評判と虚栄心を守る道を選んだため、あなたにとって人生はとても疲れるものになっているのです。……あなたは評判や名声といったものを手放すことができないため、嘘をついてそれを守るしかありません。嘘をつくことでそういったものにしがみつけると思っているかもしれませんが、実際にはそうではありません。そのような偽りをもってしても、あなたの品位と尊厳は保たれないだけでなく、さらに重要なこととして、あなたは真理を実践する機会を失っているのです。評判と名声は守れたとしても、あなたは真理を失い、それを実践する機会を失っただけでなく、正直な人になる機会も失ってしまったのです。これは最大の損失です(『キリストの言葉の記録』より引用)。どの御言葉も心に響きました。嘘をついてからというもの、自分の評判は維持できても、少しも幸せを感じられないどころか、不安でしかなくて、自分のしでかしたことをいつも悔やんでいました。誰かと話していても、偽りを見抜かれるのではないか、もう信じてもらえないのではないかという恐怖心から、目を合わせたくなかった。嘘を隠し信じてもらうために、あらゆることを試みさえしました。安心できることのない、苦しく疲れる生き方でした。嘘と偽りの、卑劣で、情けない生き方でした。もうこれ以上取り繕いたくなくて、懺悔し悔い改めるために神に祈ったわ。そして、次に兄弟姉妹に会ったときには肉に背き打ち明けよう、そう決心しました。

数日後、指導者が集会にやってきました。神が、真理を実践するチャンスを与えてくださったのだと感じました。こう祈ったわ。「神様、私の嘘と偽りを明かしたいと思います。真理を実践する決心を与えてください」集会場に着いた私は、今回指導者が来たのは教会のリーダーのなかからパートナーを選ぶためだと知りました。心の内で葛藤が生じました。「教会のリーダーたちのなかで、私の能力と成果が、他の人たちよりも多少優れている。きっとすでに私は、適任の候補者に挙げられているだろう。でも私が自分の嘘を明かして、本当のことを話したら、どうなる? 私への評価が下がってしまうのでは? ずるい人間だと思われて、選ばれなくなるのでは? 他の人が選ばれたら、もう顔向けできなくなる」やはり、話せないと思いました。顔を伏せて考えていると、指導者が最近の様子を尋ねてきました。私は口ごもりながらごまかしました。「いい状態です。困難なときは神に祈り、真理を追求して解決すべきだと分かっています……」そう言ったあと、恥ずべきことをしてしまったと感じ、不安でいっぱいで、汗が噴き出てきました。私が懸命に汗をぬぐうのを見た指導者は、一杯のお湯を持ってきて、風邪をひいたのかと、私に優しく聞きました。私は言ったわ。「分かりません。なぜだか不安で、汗が止まらないの」本当は分かっています。また嘘をついて、真理を実践しなかったからよ。心の中で神に祈りました。「神様、私は何度も嘘を繰り返し、真理の実践を頑として拒む頑なで反抗的な人間です。真理を実践し、正直な人間になれるよう導いてください」。

するとリューさんが神の御言葉の聖歌を歌おうと提案しました。「誠実であるということは、自らの心を神に捧げること、万事において神に真実であること、万事において神に隠し立てしないこと、事実を隠さないこと、立場の上および下の人を欺こうとしないこと、神にこびへつらうためだけに行動しないことを意味する。要するに、言動において純粋であり、神も人も欺かないということである……あなたの言葉が言い訳や取るに足らない弁明ばかりなら、あなたは真理を実践したがらない人であるとわたしは言う。共有するのを躊躇するような秘密を数多く持っているなら、自分の秘密、つまり自分自身の困難を光の道を求めるために他者の前に明かすのがどうしても嫌だというなら、あなたは簡単には救いを得られない人であり、暗闇から簡単には脱せない人であるとわたしは言う。真理の道を求めることで喜びを感じるのであれば、あなたは常に光の中で暮らす人である(「神は誠実な者を祝福する」『小羊に従って新しい歌を歌おう』)この聖歌を歌っているあいだ、私は心が痛み、恥ずかしくなりました。集会の前に祈ったのは、自分がどのように嘘をつき、偽ってきたかを打ち明けたいと思ったからでした。でも指導者がパートナーを選びにきたことを知って、何も話したくなくなったわ。私が実際の働きをせずに、嘘までついていたことを、指導者や同労者に知られ、ずるい人間だとして、選ばれなくなるのが怖かった。指導者になるチャンスを失うのを恐れたの。なんというずるさでしょう。神はすべてを見ています。他の人をだませても、神はだませません。次の御言葉が心に響きました。「共有するのを躊躇するような秘密を数多く持っているなら、自分の秘密、つまり自分自身の困難を光の道を求めるために他者の前に明かすのがどうしても嫌だというなら、あなたは簡単には救いを得られない人であり、暗闇から簡単には脱せない人であるとわたしは言う」心が一層苦しくなりました。私は神の言うような、人に話したくない秘密を、数多く持つ人間だったのでは? 水やりについて、自分が詳しく知らないことを私は自覚していました。だけど指導者に聞かれても、ゲームのように知ったかぶりをして、嘘をつきました。教会に戻っても、誰にも話すことなく、自分の働きにおける、堕落と過ちを明かしませんでした。それどころか本分を尽くしているように見せかけ、自分の嘘を隠しとおそうとしました。どう本分を尽くせたというのでしょう。私は名声と地位を守りたいがために、神をだまし、人々を欺こうとしたの。新しい地位を得るためよ。私は厚かましくも誓いを破り、神も仲間もだましました。何度も何度も嘘をつき偽っていたわ。そのとき神の御言葉が心に浮かびました。「あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである(マタイによる福音書5:37)。「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ(ヨハネによる福音書 8:44)。神が正直な人間を好むことはよく分かっていました。それなのに何度も嘘をついて、自分の嘘を隠し、神と兄弟姉妹をだまそうとしたのです。その私のどこが、サタンと異なるでしょう。私に少しでも正常な人間性が? 悔い改めて変わらない限り、サタンと同じ結末をたどることになります。そう思うと怖くなって、神に祈り、自分の評判を打ち砕く勇気を奮い起こしました。そしてこれまでの自分の嘘とごまかしや、卑劣でずるい動機をひとつ残らず詳細に打ち明けました。すべて白状し終えると重荷が消え去ったかのように、急に気分が楽になりました。心が静まり解放されたようでした。

兄弟姉妹は私をさげすむこともなく、指導者はこんな御言葉を読んでくれました。「人が欺瞞に関与するとき、そこからどのような意図が生じているでしょうか。それはどんな性質を表しているのでしょうか。その人はなぜ、そのような性質を表すことができるのでしょうか。その根源は何でしょうか。それは、人々が自分の利益を他の何よりも重視しているということです。人は自分が得をするために欺瞞に関与し、それによってその狡い性質が暴かれます。この問題はどのように解決すればよいでしょうか。まず、自分の利益を手放す必要があります。人に自分の利益を手放させるのは、何よりも難しいことです。ほとんどの人は得することしか求めておらず、利益が命そのものであり、それを手放させることは命を無理やり放棄させることに等しいのです。ではどうすればいいのでしょうか。手放すこと、捨て去ること、苦悩することを学び、好きなものを断ち切る痛みに耐えることを学ばなければなりません。この痛みに耐え、利益のいくつかを手放してみると、少し安心し、少し解放された気分になるでしょう。そうすることで、自分の肉を克服していけます。しかし自分の利益にしがみついて手放さず、『自分は騙してきたけど、だから何だ。神に罰せられたことはないから、人にも罰せられるはずがない。わたしは何も手放さない』などと言えば、他の誰も損はしませんが、最終的に自分自身が大損をすることになります。自分自身の堕落した性質を認識したときは、実際あなたが入り、進み、変わる機会であり、神の前に出て神の吟味と裁き、刑罰を受け入れる機会なのです。そしてそれはさらに、あなたが救いを得る機会でもあります。もし真理を求めることを諦めるなら、それは救いを得、裁きと刑罰を受け入れる機会を諦めることに等しいのです。……真理を実践することを選べば、たとえ自分の利益を失ったとしても、神の救いと永遠のいのちを得ることになります。そういう人たちが最も賢いのです。真理を犠牲にして利益を得るなら、彼らが失うのはいのちと神の救いであり、そのような人々は最も愚かです。最終的に自己の利益と真理のどちらを選択するかということは、他の何よりもその人を表します。真理を愛する者は真理を選び、神の前で服従し、神に付き従うことを選びます。そしてむしろ、あえて自己の利益を放棄するでしょう。彼らはどれだけ苦しむことになろうと、神の証人として立ち、神を満足させる覚悟でいます。これが真理を実践し、真理の現実に入るための基本的な道筋なのです(「性質を知ることは性質を変えるための基本である」『キリストの言葉の記録』)。これらの御言葉を聞いて、私の心は明るくなったわ。何度も嘘をついて、だましてきたことを思い返すとその大きな原因は評判と地位を気にしすぎていたことと、私に嘘つきの本性があったことでした。私は小さなころから、サタンの教育と洗脳を受け、その毒を多く取り込んできました。たとえば、「己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす」「樹皮があることで木が生きるように、人は体面を保つことで生きている」「嘘も1万回言えば本当になる」「人は嘘を言わずには何もできない」「口を開く前に頭を使え。それから控えめに話せ」など。このサタンの哲学は、私の生存の法則になっていました。私はこれを人生の指針にして、より自分勝手で嘘つきでうわべを繕った人間になっていたわ。いつでも自分の利益しか考えず、そのために嘘をつき、偽らずにいられませんでした。嘘をついたあと、罪悪感と自責の念から神に悔い改め、みんなに打ち明けたいと思っても、笑われて恥をかくのが怖くて、自分を取り繕い、見せ掛けの態度を取りました。ずるい動機と周りを欺く振る舞いを明かしたくなかったの。真実を話したら、人々に私の正体が知られ、もう高く評価してもらえないのではないかと思うと、自分の顔を潰して、正直になる勇気がありませんでした。私は真理を実践して正直であることよりも、暗闇と苦しみのなかでもがくことを選んでいました。そこまで深く、サタンに堕落させられていたのです。この経験を神から与えられていなければ、神の御言葉による裁きと暴きがなければ、自分がどれだけずるい本性を持っているか、気づけなかったでしょう。真理を実践して、本当の自分を明かそうとも思えなかった。私は気づきました。神の裁きと刑罰は、神が私を守り救うために行われたのだと。そして真理を追求し、正直であることを実践する大切さを感じました。

それからは、真実を語り、正直な人間であることを心に決めました。しばらくしてから、集会に参加していた指導者がときおり傲慢で、独善的になることに気づきました。人々の提案をすんなり受け入れないの。彼女に言おうと何度か思ったけれど、「私の言うことを受け入れてもらえたらいいけど、受け入れてもらえなかったら、どう思われるだろう」そう考え、様子を見ることにしました。ある日、彼女が私にこう言いました。「ワンさん、私たちが知り合ってしばらくが経つわ。何か私に問題があることに気づいたら、どうか教えてね。私にとって助かるから」私は彼女を見て、こう言いそうになったわ。「何もないわ。あなたは素晴らしい」でもそれでは、偽ることになると気づきました。そこで私は神に祈り、神の吟味を進んで受け入れました。嘘と偽りを続け、神に嫌悪されてはいけません。私は心を開いて、彼女の問題について話しました。すぐに彼女はうなずいて言ったわ。「神に感謝を。あなたに教えてもらわなかったら、決して気づかなかったわ。このことを反省して理解しなきゃ」彼女が受け入れられたのを見ると、とてもうれしくなり、驚くほど心の平安と解放感を得ました。真理を実践し、正直な人間になる素晴らしさを経験できました。

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