4. 騙された魂の目覚め

遠志 ブラジル

私は中国北部の小都市に生まれ、2010年に親戚を頼ってブラジルに来ました。そしてここブラジルで1人のクリスチャンと友人になり、彼に連れられて教会に説教を聞きに行きましたが、3回通っても何ひとつ吸収できないままでした。その後仕事が本当に忙しくなったので、教会に行かなくなりましたが、2015年6月のある日、友人に連れられて再び教会に出かけました。その時、私は兄弟姉妹が分かち合ってくれたことを通じ、主イエスが救い主でいらっしゃることについていくらか理解しました。特に初めて創世記を読んで、人間が実際には神によって作られたこと、神が万物をお作りになったことがわかり、創造主は本当に素晴らしいと思いました。学校では、人間はサルから進化したとか、この世のあらゆる物は自然に形作られたなどとどの教科書にも書いてありましたが、実は20年以上にわたって私は騙されていたのです。聖書を読んで初めて、私は完全に目覚め、その時から主イエスを信じるようになりました。

2015年の暮れ、私は中国で5か月暮らしたあと、ブラジルに戻りました。今回は安定した仕事を見つけてちゃんと落ち着こうと思ったのですが、物事がいつも計画通りにいくとは限りません。仕事も私生活もうまくいかず、心が大いに乱れて不安に陥りました。ある晩、あのクリスチャンの友人に電話をかけて愚痴を言うと、その友人は「心を落ち着けて主に祈り、主が君のために万事をどう采配なさるか確かめるんだ」と言いました。そこで私は心を静め、こう神に祈りました。

「主イエスよ! 私は仕事でいくつか問題に遭遇し、どう対処すべきかわからないでいます。主よ、どうか私をお助けください」。すると驚いたことに、4日後に上司から電話があって、仕事に戻るよう頼まれました。私は我も忘れて喜び、主イエスが私の祈りを聞き届けてくださったことに感謝しました。その後、主の恵みをさらに受け取った私は主の愛に報いようと、仕事を休んででも毎週集会に出るようになりました。

2016年6月以降、私は教会の集会に参加するだけでなく、フェイスブックで友人たちと聖書の聖句を分かち合ったり、主のことをもっと理解しようとフェイスブックを閲覧したりするようになりましたそして時間があるときに聖句を分かち合ってくれる友人を数多く追加しました。それは私にこの上なく有益なものをもたらしました。ある日フェイスブックを見ていると、『神は裁きとともに降臨する』というタイトルの動画が目に入りました。私はそのタイトルにたちまち惹きつけられ、興味津々でクリックしました。そして動画の出来がとても素晴らしいことに驚きと喜びを感じました。一言で言うと、実に壮観だったのです! 私は朗々と響き渡る力強い歌唱、心の琴線に触れる歌詞、そして出演者全員の熱意に引き込まれました。さらによく見ると、その動画は全能神教会によるものでした。私はこう思いました。「出演者全員がこの動画に全身全霊を傾けている。まるで神が聴いていらっしゃるかのような歌い方だ。全能神教会は本当にすごいらしい! 今回初めてその名前を聞いたけど、機会があれば連絡してみよう」。

ある日私は、楊姉妹というフェイスブック上の友人にその動画のリンクを送りました。楊姉妹と私はよく聖書について語り合っていたのですが、彼女もその動画をとても気に入り、全能神教会についてもっとよく知りたいと言いました。この教会は本当に特別で、聖霊の働きに満ちていると思った、というのです。そこで、フェイスブックのマイページでその動画をシェアしたのですが、驚いたことに友人の一人がそれを見て、全能神教会は全然よくないと言ったうえ、全能神教会についてのありとあらゆる否定的な記事を送ってきました。全能神を冒涜し、全能神教会を断罪するそれらの記事を残らず目にした私はとても怖くなり、「この教会はまともに見えるけど、彼らとトラブルになることがどうしてあり得るんだ」と思いました。そこでもう一度動画を見たところ、牧師がかつて、終わりの日には偽キリストが現れると話していたことを突然思い出しました。主イエスの道から外れてしまったら、私はすべておしまいではないでしょうか。それを無視できないことはわかっていたので、動画を見るのはやめることにしました。そしてすぐさま楊姉妹に連絡し、事の次第を説明しました。すると楊姉妹はこう答えました。「一方の話だけを聞いて本当か嘘かは決められません。それは主の教えにかなっていません。私たち主の信者は全員、主の再臨を待ち望んでいます。そしていま、主はもうおいでになったと言う人がいます。私たちはそれを調べなければなりません。ただ群れに従って盲目的に判断したり断罪したりしてはいけないのです。全能神教会の信者を見つけて調べてみましょう。そうすればその人たちの素顔がわかります。本物を偽物にすることはできないし、偽物を本物にすることもできないのですから」。それを聞いて私はこう思いました。「楊姉妹の言うとおりだ。主がお戻りになったという福音を誰かが宣べ伝えているけれど、それを聞いたのは確かにこれが初めてだ。それに、全能神教会を断罪するインターネット上の言葉が本当か嘘かも、私にはわからない。ただ、全能神教会が作った動画や映画がとてもいいのはわかる。全能神教会について自ら学ぶべきだ。主の再臨に取り組むにあたって、それがただ一つの理性的な方法なんだ」。こうして、私は楊姉妹と共に終わりの日における全能神の働きを調べることに賛成しました。

動画の最後にあった連絡先を通じ、楊姉妹は北米全能神教会の張という兄弟に連絡をとりました。いったん張兄弟とネット上でつながった楊姉妹と私は同じ質問をしました。「主が終わりの日にお戻りになるのは私たち2人とも知っていますが、主イエスは『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう(マタイによる福音書 24:23-24)とおっしゃいました。張兄弟、終わりの日に偽キリストが現われて人々を惑わすという問題についてどうお考えですか?」

すると張兄弟は言いました。「主イエスはそうおっしゃることで私たちに警告なさいました。終わりの日に戻るとき、偽キリストも現われる、と。私たちが偽キリストに惑わされないよう識別力を育むことが主の御心です。しかし主は、主が戻られたと言う人を私たちが十把一絡げに拒み、果てはその人たちを裁いて断罪するようにすべく、そうおっしゃったのではありません。それは主イエスの御言葉を私たちが勘違いしているのです。偽キリストとは何かについて、主イエスは明確になさっています。『にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう(マタイによる福音書 24:24)。偽キリストの明らかな特徴として、主イエスの働きを真似てしるしを見せ、奇跡を行い、病を癒やし、悪霊を追い払うことが挙げられます。偽キリストはこれらの分野において極めて狡猾で悪意に満ちており、それが偽キリストの顕著な特徴になっています。偽キリストの表われと特徴について、全能神はさらに具体的で鋭い御言葉を発せられています。全能神はこうおっしゃいました。『この時代に、しるしや不思議を起こし、悪霊を追い払い、病人を癒やし、多くの奇跡を行える人が現れて、またその人が自分は再来したイエスであると主張したなら、それはイエスのまねをしている邪霊による偽物である。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。……もし終わりの日に神がいまだにしるしや奇跡を示し、まだ悪霊を追い払ったり病人を癒やしたりしていたら、神がイエスとまったく同じようにしたならば、神はイエスと同じ働きを繰り返していることになり、イエスの働きは無意味で無価値ということになる。だから、神は時代ごとにひとつの段階の働きをするのである。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを邪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろをついてくるようになれば、神は方法を変更する。ひとたび神が一つの段階の働きを完了すると、邪霊がまねをする。このことをよく理解しなければならない(『神の出現と働き』「今日の神の働きを知ること」〔『言葉』第1巻〕)。私たちはみな、偽りであるものはみな真なるものの威を借り、それを真似ることしかできないのを知っています。偽キリストも例外ではありません。彼らは悪霊であり、キリストの本質をもってはいません。キリストの働きをすることができず、真理を表わすことも、神の性質を表わすことも、神が所有するものと神そのものを表わすこともできません。人間に真理、道、いのちをもたらすこともできません。ゆえに、偽キリストは主イエスがすでになさった働きを真似ることしかできないのです。彼らにできるのは、何らかのしるしや不思議を行ない、愚かで無知な人間を惑わすことだけです。悪霊に取り憑かれ、おこがましくも自分は主イエスの再臨だと宣言し、主イエスを真似て病を癒やしたり、悪霊を追い払ったり、奇跡を行なったり、悔い改めと赦しの道を宣べ伝えたりする人がいます。彼らが人々を惑わす偽キリストであることに疑いの余地はありません。しかし、神の働きは常に新しく、決して古くなく、絶えず前進し続けています。すでになさった以前の働きを繰り返されることは決してないのです。それは、主イエスがおいでになって働きをなさったとき、つまり律法の時代を終わらせ恵みの時代を始められたのとまさに同じです。主イエスは律法を発して人々の暮らしを導くというヤーウェ神の働きを繰り返されず、その代わりに、律法の時代の働きを土台として贖いの働きをなさったのです。主イエスは人類に悔い改めと赦しの道をもたらされました。そして私たちが主の御前に出て罪を告白し、悔い改める限り、主は私たちの罪をお赦しになり、それを忘れてくださることで、主が人類に授けられる豊富な恵みと祝福を享受するのにふさわしくしてくださるのです。こうした働きはすべて新しいもので、悪霊やサタンに行なえたはずがありません。終わりの日の再臨された主イエスもそれと同じです。全能神は恵みの時代を終わらせ、神の国の時代を始められました。全能神は主イエスによる贖いの働きを繰り返されませんでした。悪霊を追い払われることも、病人を癒やされることも、人々に奇跡をなさることもないのです。その代わり、贖いの働きを基に、真理を表わされて人間を裁いて清める段階の働きをなさるのです。全能神は人類をサタンの支配から完全に救われ、私たちを神の御国にお連れになります。それはひとえに神による新たな働きであり、神が以前にその働きをなさったことはなく、偽キリストが行なえるものでもありません。神の働きが常に新しく決して古くないことを知り、偽キリストと真のキリストを見分ける原則を理解している限り、神の出現および働きと、偽キリストによる惑わしとは、自ずと区別がつくのです」。

張兄弟の説く教えはとても明瞭で、私はそこから多くのことを得ました。偽キリストは、神が過去になさった働きの一部を繰り返して真似ることしかできず、新たな働きを行なうことも、人類に新しい道をもたらすこともできないのです。その時点で、私は主イエスによる「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう」という御言葉の真意がわかりました。楊姉妹もそこから大きな収穫を得られたと言いました。そこで私たちは、張兄弟の説く教えをもっと聞けるよう、翌日の晩に会う約束をしました。

全能神教会の張兄弟が分かち合ってくれる話はとても素晴らしく、本当にためになりましたが、ネット上のあらゆる噂を考えるとまだ少し不安でした。そこで自分の教会に戻ってから、年長の兄弟の一人に全能神教会について何か知っているかと訊きました。するとその兄弟は、牧師が以前に彼らと関わってはいけないと言っていたことを教えてくれたうえで、全能神を非難し、攻撃し、断罪する、多数の牧師が言っていたことを述べ立てました。それを聞いて私は少し心が揺らぎ、その否定的な情報をすぐさま楊姉妹に伝え、全能神教会との接触を断つよう勧めました。しかし楊姉妹は終わりの日の全能神の働きを調べようと決心していたらしく、私にこう言いました。「子羊の足跡が私をどこへ導こうと、私はそれに従います。最近、インターネットで全能神の御言葉を読み、全能神教会が制作したありとあらゆる動画や福音映画を見て、私は多くの真理を理解しました。過去に私を悩ませた数多くの混乱や困難も解決したんです。私には全能神の御言葉が真理だと思われます。他人が全能神教会をどう断罪しようと、私は完全に明らかにするまでそれを調べます」。私は楊姉妹を説得できなかったため、フェイスブックで彼女と張兄弟を2人ともブロックし、あえて再び連絡をとりませんでした。

しかしそれから2日も経たずして、私は仕事もなく暇になりました。来る日も来る日も家で料理する以外に何もすることがありません。退屈のあまり、私はYouTubeを開いて映画を見ていました。ところが不思議なことに、全能神教会が制作した映画や音楽動画や合唱作品が毎回表示されるのです。そこで私はこう思い始めました。「全能神教会の動画や映画はずいぶん速いペースで公開されているな。本当に驚きだ! 神から来るものは必ず栄えるというが、もしかしたら全能神教会も神から来ているということなのか? 前に張兄弟が話していたことはどれも真理に沿っていた。多分、もう一度全能神教会を理解してみるべきだ。他人の言うことを鵜呑みにして、終わりの日における全能神の働きを調べるのを不用意に拒否することはできない」。しかし、ネット上で見た全能神を断罪する言葉や、全能神教会とは接触するなという牧師の警告を思い出したとたん、たぶんこれ以上深入りするべきではないと思いました。そこで他の動画をYouTubeで探すことにしましたが、どこを見ても全能神教会の動画が出てくるのです。私は途方に暮れ始めました。そして結局好奇心に勝てず、「全能神教会が良かろうが悪かろうが関係ない。ただ少し動画を見るだけだ。それで本当によくなかったら、物を見る目がなかったという教訓になるだろう」と考えました。そこで『舞台劇賛美合唱第9回』というタイトルの動画をクリックしました。このビデオに興味をもったのは、それが私の知る現代社会を如実に表わしていたからです。その動画は人間の生活を鮮やかに、現実的に、純粋に描いていました。私は動画を見ながら泣いたり笑ったりし、非常に感動して元気がみなぎりました。そして全能神教会が制作した動画をすぐに全部見たくなったのです。それから全能神教会の動画を毎日視聴するようになり、一週間で中国語の合唱動画全17本を見終わりました。見れば見るほどそれら動画に共感を覚えたものです。心の中に力があって、いますぐ動画を見て探究するよう私を駆り立てているようでした。私はこう思いました。「全能神教会の動画を本当にたくさん見たが、どの動画もとてもためになった。それに、どの動画にも否定的な言葉がまったくない。すべてが肯定的なんだ。世界の暗黒を暴くものもあれば神の証しをするものもあり、神の御前に戻るよう人を導くものもある。肉体的なことや世俗的なことの汚れがない。全能神教会は聖霊の働きに満ちていて、噂とまったく違う。終わりの日における全能神の働きは、絶対に調べる価値のあるものだ!」

ある日、私はフェイスブックを閲覧しながら、「フェイスブックで終わりの日の救いを見つけた」と題する、誰かの経験と証しの記事を読みました。記事を開いたところ、その姉妹が私と同じような経験をしたことがわかりました。その人が初めて全能神教会と接触したころ、ネット上の友人から教会についての噂が送られてきて、その人はすっかり邪魔されたのです。私は結末を知りたくてたまらず、せっせと読み続けました。その人は主に祈ってお導きを求めたところ、自分が何を聞いて何を信じるかを選ぶうえでえり好みはできず、真偽を見分けるために実践的な方法で全能神教会を調べなければならないと思ったそうです。噂を鵜呑みにして主の再臨を調べるのを拒むことは、あまり理性的な取り組みとは言えず、そこでその人は主の再臨にまつわる真実を見つける必要があったのです。私はそれらの言葉に共感しました。主の再臨は重要なことであり、慎重に扱わなければなりません。群れに従うばかりで、ただ無闇に拒んだり抵抗したりすることはできないのです。そこで私は記事を読み続け、この人が全能神教会について理解するようになったことは、ネット上の友人が告げたものとまったく違うことを知りました。また、この人はホストファミリーとして全能神教会の姉妹を個人的に受け入れ、その人たちに全能神の御言葉について交わってもらったり、手助けや世話を受けたりしました。この姉妹が実生活でした経験は、自分がこれ以上噂に惑わされたり、根も葉もない話に騙されたりして、終わりの日における全能神の働きを拒むことはできないのだと、私に教えてくれました。さもなければ、終わりの日の神の恵みを失うに違いありません。私は再び全能神教会と接触し、さらに調べなければならないのです!

その夜、私はベッドで落ち着きなく寝返りを打ちながらこう考えました。「楊姉妹をブロックしてしまったけど、もう一度探さなければ。あの人が見つかれば、全能神教会の張兄弟も見つけられるはずだ。楊姉妹は本当の信者で、終わりの日の全能神の働きをずっと調べていた。いまごろはもう多くのことを理解しているに違いない。彼女の探究がどうなっているか、ぜひとも尋ねる必要がある」。それは簡単なことではありませんでしたが、複数の友人の助けを借り、数日後に楊姉妹のフェイスブックのアカウントを見つけました。楊姉妹は私にブロックされたことをまったく怒っておらず、私は喜びました。彼女に連絡すると、楊姉妹は探究を通じてすでに色々なことをはっきりさせていて、全能神は主イエスの再臨でいらっしゃると教えてくれました。また、張兄弟にも快く連絡をとってくれました。3人ともネットに接続したあと、私はこう言いました。「私は最近の経験を通じて、主が自分を導いてくださっていることを悟りました。また終わりの日における全能神の働きを進んで求め、調べたいと思いますが、お二人と語り合いたい疑問が山ほどあります。まったくわからないことが1つあって、主イエスが男性として受肉なさって働きを行なわれたのなら、主が現在女性としてお戻りになって働きをなさるのはどういうことでしょう。それは奥義だと思いますが、張兄弟、説明してくれませんか」。

私の質問に対し、張兄弟はこう答えました。「そうです。神の受肉には奥義が含まれています。その意義は極めて大きく奥深いものであり、私たちに理解できるものではありません。ゆえに、私たちは主の再臨について畏敬の念をもたなければなりません。たとえ神の働きが私たちの観念とまったく一致しないものであっても、自分の言葉に気をつけなければならないのです。そのことについてじっくり考えないまま判断してはいけません。深刻な言い方をすれば、神の働きを勝手に判断するのは、神に対する冒涜です。冒涜の罪は今世でも来世でも赦されるものではありません。終わりの日の全能神はおいでになってすべての奥義を開かれました。それは主イエスによる次の預言を完全に成就するものです。『わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう(ヨハネによる福音書 16:12-13)。全能神の御言葉を一緒に読みましょう。そうすれば真理のその側面について理解できます。全能神はこのようにおっしゃいました。『当時、イエスは男性として来たが、今回来る際、神は女性である。このことから、神は自身の働きのために男性と女性の両方を造ったが、神には性の区別がないことがわかる。神の霊が来るとき、それはいかなる肉体でも意のままにまとうことができ、その肉体は神を表すことができる。男性であろうと女性であろうと、それが神の受肉した肉体である限り、どちらも神を表せるのである。イエスが来たときに女性として現れたとしても、つまり、男の子ではなく女性の赤子が聖霊によって受胎されたとしても、その段階の働きはまったく同じように完成されたことであろう。そうだったならば、現段階の働きは女性ではなく男性によって完成されなければならないはずだが、それでも結局、働きはまったく同じように完成されることになる。いずれの段階でなされる働きにも等しく意義があり、どちらの段階の働きも繰り返されることはなく、互いに矛盾することもない。当時、イエスは働きを行う中で神のひとり息子と呼ばれたが、それは男性であることを示している。それでは、なぜ今の段階でひとり息子のことは言及されていないのか。それは、働きの必要性から、イエスの性とは異なる性へと変更せざるを得なかったためである。神に性の区別はない。神は思い通りに自身の働きを行い、また働きを行う中でいかなる制限も受けず、非常に自由であるが、働きの各段階にはそれぞれの実際的な意義がある。神は二度肉となったが、終わりの日における受肉が最後であることは言うまでもない。神は自身のすべての業を知らしめるために来た。人が目撃できるように自ら働きを行うべく、今の段階で神が受肉していなければ、人は永遠に、神は男性でしかなく、女性ではないという観念に固執するだろう。……最初に人類を創造したとき、ヤーウェは二種類の人間、すなわち男性と女性の両方を造った。従って、受肉した神の肉体にも男女の区別があった。神はアダムとエバに語った言葉に基づいて働きを決めたのではなかった。神が二度にわたり受肉したのはひとえに、神が最初に人類を造った時の考えに沿って決定された。つまり、神は堕落する以前の男性と女性に基づき、二度にわたる受肉の働きを完成させたのである(『神の出現と働き』「二度の受肉が、受肉の意義を完成させる」〔『言葉』第1巻〕)。『性別では、一度目は男、二度目は女であり、これにより神の受肉の意義が完了し、神に関する人間の観念を一掃する。神は男にも女にもなれる。本質的に、受肉した神には性別がない。彼は男と女を創ったが、神にとって性の区別はない(『神の出現と働き』「神が宿る肉の本質」〔『言葉』第1巻〕)。」

神の御言葉を読んだあと、張兄弟はこう教えを説いてくれました。「神がなさるすべてのことには意味があります。神は無意味なことや価値のないことを一切なさいません。聖書には『神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された』(創世記 1:27)とあります。そのことから、はじめに神はご自身の姿に男女を創られたことがわかります。神は男性として受肉することも、女性として受肉することもおできになります。神に性別はありません。男性になろうと女性になろうと、神には神の本質があり、神ご自身の働きをおできになるのです。神が2度の受肉で異なる性別を選ばれたのは、受肉の意義を全うなさり、神は男性としてのみ受肉できるのであって、女性としては受肉できないという人間の誤った信念を払拭なさるためです。こうして人類は、神の受肉が男性の身分を具現化できるばかりか、女性の身分をも具現化できることを知るのです。そして、神が本当に全能でいらっしゃること、私たちが神を計り知るのは不可能であること、神を勝手に判断したり規定したりすべきでないことがわかるのです。さらに、神の本質は霊であり、霊に性別はありません。性別は創造された人類にのみ当てはまるものです。人類を救ってその罪を贖われるべく、神は2度受肉されました。ゆえに、受肉なさった神の性別は、神が肉においてその働きをなさる期間だけのものです。受肉された神の地上における働きが終われば、神は霊界にお戻りになりますが、その際、性による区別はもはやありません。なので、特定の性において神を規定するなら、それは大変な冒涜なのです!」

全能神の御言葉と張兄弟が説く教えを聞いて、私は突然ひらめきました。神がそれぞれの受肉において異なる性別をお選びになった理由がついにわかったのです。はじめに人類を創られたときから抱いている神の御心と神のお優しい意図がそこに含まれているのです。神が受肉された際、2回とも男性としておいでになって働きをなさったとしたら、私たちは神は男性だと永遠に信じ、男性は女性より偉くて地位が高いと誤って信じてしまうでしょう。終わりの日に受肉された神が女性として働きをなさることは、神の公平さと義を体現しているのであり、私はそのことから、神が今回女性として受肉され、働きをなさることのとてつもない意義を理解できました。さもなければ、私たちは決して神を理解できず、神に関する私たちの観念や定義が取り除かれることもないはずです。さらに、それは神の性質に背くことになるでしょう。神は最初に受肉された際、男性として出現されました。そして終わりの日、神は女性として姿をお見せになりました。これら神の2度の受肉は、神が受肉されることの完全な意義をまさに私たちに示しています。私はそれによって、神についてより正確かつ本物の理解をもつことができました。神に感謝します! 神の働きは本当に知恵に溢れています!

神の御言葉に関する私の理解と認識を聞いた楊姉妹と張兄弟は、私が神の御心を理解でき、神についての観念と誤解を一掃できたのを喜んでくれました。そして神が私になさった救いの働きに深く感動し、涙をこぼしました。その後、私たちはさらに3回集まって交わりをしました。神のお導きのおかげで、私はさらに多くの真理を理解し、神の受肉の奥義と神による3段階の働きの奥義について学びました。また、神の働きと人間の働きの違いや、聖霊の働きとサタンの働きの違い、および真理のその他の側面についても学びました。そして、全能神が主イエスの再臨でいらっしゃること、全能神が真理であり、道であり、いのちでいらっしゃることを実感できたのです。その土曜日の夜、楊姉妹から『私達は心を尽くして実際の神を愛す』というタイトルの新しい音楽動画が送られてきました。その歌詞は次の通りです。「神を真に愛する者たちを完全にするため、神の御旨が示された。活力のある無邪気な人々は皆、神への賛美を捧げ、まことの神の御前で、共に美しい踊りを舞う。人々は、神の声によって様々な所から呼び戻される。いのちの御言葉が私達に授けられている。私達は神の御言葉の裁きにより清められている……」。私はこの歌を聞いてとても勇気づけられ、感動のあまり涙を流しました。そして楊姉妹に電話しましたが、感情に圧倒されて言葉が出ず、「神に感謝します! ありがとうございます……」という一言を繰り返すことしかできませんでした。

感情の高まりが収まったあと、私はその夜のうちに兄弟姉妹と非常に心のこもった会話をしました。そして、全能神がずっと私の救いを諦めずにいてくださったこと、私の反抗と抵抗に応じて私を取り扱われなかったことに感謝しました。それどころか、神は福音映画や動画、そして兄弟姉妹が自らの経験を記した記事を使って、私を少しずつお導きになり、動かし、神の家へと連れ戻すとともに、神の御前に立ち返らせてくださいました。私は心の底から兄弟姉妹にこう言いました。「私はすでに神の愛を経験しており、神の受肉についての真理も理解しています。もうデマや噂は信じません。私は自分の救い主、自分の神として全能神を完全に受け入れます。全能神こそ主イエスの再臨でいらっしゃるとすでに確信したからです。全能神こそが、私にかくも多くの恵みをくださった神であり、人類の贖い主なのです」。

過去、自分が噂に耳を傾け、終わりの日における神の働きについて何度も葛藤し、神を裁く言葉さえ発してあまりに反抗的だったことを振り返ると、神に対するとてつもない負い目を感じ、悲しくなって後悔の気持ちでいっぱいでした。しかし、楊姉妹はこう言ってくれました。「神を知らなければ、人間である私たちは本当に嘘に惑わされがちです。しかし、心から悔い改める限り、神はそのことをご記憶なさいません。神の御言葉にこうあります。『今回、神は人間を打ち倒すために来たのではなく、むしろ人間を最大限救うために来た。一体誰が一切過ちを犯さないだろうか。皆打たれるならば、どうしてそれを救いと呼べるだろうか。過ちには、故意におかされたものと、意図せずおかされたものがある。意図せずにした事は、気付いてから変えることができる。それならば、神は自分が変わる前に自分を打つであろうか。」と推測する。神はこのようにして人間を救われるか、というと、決してそうではない。あなたが意図せず過ちをおかすか、反抗的な本性ゆえに過ちをおかすかを問わず、現実に早く目覚めなければならない、ということを覚えておくように。先へ進む努力をするように。状況を問わず、あなたは先へ進む努力をする必要がある。神は人間を救うために働きを行ない、神が救いたいと望んでいる人間を出鱈目に打つことはない(「神の旨は人間を最大限に救うことである」『キリストの言葉の記録』)。」私は神の御言葉から大きな安らぎを得るとともに、神が慈悲と赦しに満ちていらっしゃることを知りました。神の愛はかくも偉大なのです! 私は心の中で神への感謝を感じずにはいられませんでした。それからしばらくのあいだ、私は全能神教会の兄弟姉妹と交流し、それを通じてその教会が噂に聞くようなものとまったく違うことがわかりました。実際、それとは正反対なのです。そこは、私たちが真理を求めて神を知る場所です。全能神教会の集会では、誰も飲み食いすることや浮かれ騒ぐことを話しません。車やお金や家について話す人もいません。そして誰一人として、汚れて不潔で邪悪な、この世の物事について話すこともありません。全員一緒に全能神の御言葉を読み、神の御言葉にまつわる自分の経験と認識を語り合い、全能神の御言葉を実践してそれに従っています。全能神教会では、神の御言葉、真理、そしてキリストが力をもっていることがわかりました。そこは公平さと義に満ちた場所です。私は新たな天地で美しい生活を味わっているように感じています! いま、私はあれらの噂を思い出して、それらは単に人を罠にはめて傷つけるだけのものであって、自分が終わりの日の神の救いを失いそうになったのもそれらの噂のせいだと気づきました。ところが有難いことに、全能神が私をお救いになり、神の働きについていくらか理解させてくださったのです。私の霊は目覚め、私はサタンの噂という網から抜け出し、神の御座の前に来ました。私を救ってくださった神に感謝します!

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