お人好しは神に称えられるか

リン・イー 中国

信者になる以前、わたしは他の人を怒らせまいといつも気をつけ、誰とでも仲良くしていました。困っている人を見るたびに手助けしましたし、自分はよき人間性を持つ善人だと思っていたのです。しかし神の御言葉による裁きと刑罰を経験して初めて、自分は他者との関係を守ろうとするばかりで、正義感がまったくないことに気づきました。大事なときに真理の原則を守ることも、神の家の利益を保護することもできず、自分が神に嫌悪される、利己的で不実なお人好しだとわかったのです。後悔と自己嫌悪で一杯になったわたしは、真理の実践に集中し始め、その後変わっていきました。

教会の潤しチームのリーダーだったとき、わたしはリー姉妹と一緒に働いていました。しかししばらくすると、彼女が本分で何の重荷も背負っておらず、何をするにも熱心でないことに気づきました。兄弟姉妹の問題解決を手助けすることもほとんどありませんし、集会の時間を間違えてしまうことすらあったほどです。わたしはそうしたことについて、彼女の注意を促そうと思いましたが、こんな考えが浮かびました。彼女はその本分を尽くし始めてから日が浅いので、わたしが何か言えば、この人は要求が多くて厳しすぎると思われるのではないか? 彼女はわたしのことを本当によく思ってくれているのに、そうしたことに触れたら、わたしへの評価が変わってしまうのではないか? そこで、彼女の面子を傷つけないよう、二人きりで交わることにしましたが、その間、わたしは真理を伝えて彼女の抱える問題を解決するのでなく、代わりに知恵を働かせ、こうアドバイスしました。「最近、本分であまり成果が挙がってないわね。それについて反省した? 間違った状態で暮らしていながら、それについて手を打っていないなら、本分をしっかり尽くせないだけでなく、いのちの入りも妨げられるわ」。実際のところ、リー姉妹が本分を尽くす際に軽率で、十分注意を払っていないことをわたしは知っていました。それに、彼女が自分の問題を理解できるよう、一緒に真理の交わりをして問題の本質を分析し、彼女を取り扱って暴くべきだというのもわかっていました。けれど、わたしがあまりに高圧的になり、彼女が受け入れてくれなければ、2人の関係が壊れて彼女を不快にさせるのではと、わたしは心配していました。そこで辛抱強く彼女と交わりをするだけだったのです。

その後、リー姉妹が本分を尽くす中で競争心が強く、いつも他の人たちを出し抜こうとしていることに気づきました。みんなの尊敬が得られないと、消極性の中に落ち込んでしまいます。わたしは幾度も彼女と2人きりで交わりを行ない、彼女もそれを心から受け止めているように見えましたが、何も変わりませんでした。この状況を指導者に報告しようかと考えたものの、それではリー姉妹を背後から刺すことにならないかと思いました。彼女の気分を害してしまったら、どうして今後仲良くやっていけるでしょう? わたしたちは昔からの知り合いですし、互いのことをよく知っていれば物事が有利に働くと、わたしは思っていました。その上で、このままリー姉妹を手助けして、それでも彼女が変わらなければ、そのとき指導者に報告すればいいと考えたのです。

リー姉妹はその後も本分で成果を挙げられず、兄弟姉妹の問題を解決することもできずにいました。あるとき、集会で新信者の問題を解決しようとしていた彼女は、的外れな交わりを始めました。そのときはみんなで軌道修正したのですが、それからも同様の問題に突き当たるたび、リー姉妹は同じ間違った交わりをしてしまいます。新信者の問題を解決できないどころか、彼らを惑わしていました。それを知ったわたしは自分を強く責め、リー姉妹の本分の尽くし方に問題があることを暴こうと思いました。しかし、彼女を見たとたんに口ごもってしまい、さっきの兄弟姉妹との交わりは正確じゃなかったなどと、口を濁すばかりでした。わたしの言うことは曖昧で、要点に触れるのを避けていました。きつく当たればリー姉妹の気分を害し、悪く思われるのではないかと不安だったのです。結果として、彼女は自己認識を一切できませんでした。リー姉妹は物事をよく理解しておらず、潤しの本分に適していないことはわかっていたので、原則に沿って別の本分に切り替え、わたしはできるだけすぐ、それを指導者に報告すべきでした。しかし、リー姉妹を怒らせ、ずっと一緒に働いてきた彼女が友人から敵になることを恐れ、考えを変えてしまいました。結局、わたしは真理の原則を守らず、指導者への報告を遅らせました。真理を実践せず、働きでの問題点が見えなくなったせいで、自分自身がひどい状態に陥ってしまったのです。リー姉妹の取り組み方に慣れてしまい、表面上仲良く付き合っていればそれで満足で、神の家の働きを守ることなど考えておらず、実際の状況を指導者に伝えることもしませんでした。

やがてある日、リー姉妹は中国共産党警察の情報提供者に見張られていることに気づきました。このまま本分を尽くし続ければ、他の兄弟姉妹も巻き込まれてしまうかもしれません。それを聞いた瞬間、わたしはドキリとしました。状況が本当に深刻なのはわかっていたので、ようやく彼女の状況を指導者に伝えたのです。すると指導者から非常に厳しい返事が来ました。「リー姉妹は軽率に本分を尽くし、誤った理解をしている。それが以前から問題を引き起こしていたのに、君はそれをずっと報告しなかった。中庸の道を歩み、お人好しの原則に従っていた。そのせいで神の家の働きが遅れ、害が及んでしまった。君は心から自己反省し、自分を認識する必要がある」。またそのメッセージには、上位者による説教の抜粋も記されていました。「お人好しは分別を働かせることができません。真理の原則を熟知していながら、それを守りません。自分個人の利益に影響を及ぼすことになると、真理の原則を脇にのけ、自分の利益を守るばかりです。また悪事を犯している悪人を見ても、そうした行ないが神の家の働きを妨げ、教会生活を乱していると知りながら、お人好しは気分を害することを恐れて何も言いません。そのような者を暴くことも、報告することもありません。正義感や責任感がまったく欠けているのです。このような人は、教会で本分を尽くすのに適していません――役立たずです。お人好しは一見誠実で、よき人間性を持つ善人だと他の人たちは考え、指導者や働き手の中には彼らを育成する者さえいますが、これはまったく馬鹿げています。お人好しは何一つ成し遂げられないのだから、育成しようなどと考えないこと。本質的に、彼らは真理を愛することも、真理を受け入れることもなく、真理を実践しないのは言うまでもありません。神がお人好しを何より憎むのは、それが理由です。そうした人は心から悔い改めなければ、やがて淘汰されます」(働きの手引き)。指導者にこんなにも厳しく刈り込まれ、取り扱われるのは心をえぐられるようで、「お人好し」という単語を見たときは特にそうでした。わたしは涙をこらえきれなくなりました。どうしてわたしがお人好しなの? 神はお人好しを忌み嫌う。役立たずで、いずれ淘汰される。わたしはとてつもなく動揺し、自分がお人好しだという事実をとても認められませんでした。とは言え、わたしがしたことはまさにお人好しのすることです。涙の中、わたしは神に祈りました。「神よ、わたしは真理を実践せず、そのせいで神の家の働きを妨げてしまいました。悪事を犯してしまったので、指導者がわたしを取り扱ったのは正しいことです。ただそれでも、わたしは自分のことを深く認識していません。自己認識できるよう、どうかわたしを啓き、お導きください」。

祈りのあと、この神の御言葉を読みました。「中には、自分は善い人間性を備えていると常に自慢し、悪事を犯したことも、他人の物を盗んだり羨んだりしたこともないと言い張る人がいます。このような人は、利益を巡って紛糾すると自分が損するほうを好み、自分の利益を犠牲にしてでも他人に得をさせ、誰の悪口も決して言いませんが、それは単に誰からもいい人だと思われるためです。しかし神の家で本分を尽くすときはずる賢くいい加減で、いつも自分のために策を巡らせます。神の家の利益を考えることも、神が緊急としているものを緊急として扱うこともなく、神が考えるように考えることもなければ、本分を尽くすために自分の利益を脇にのけることも決してできません。自分の利益を決して手放さないのです。たとえ悪人が悪事を犯すのを見ても、彼らはその人を暴きません。原則が一切ないのです。これは善い人間性の見本ではありません。そうした人が言うことに注意を払ってはいけません。その人が何を生きているのか、何を露わにするのか、本分を尽くすときの態度はどうか、そして内なる状況はどのようなものか、何を愛しているのかを見る必要があります。自分の名声や富に対するその人の愛が、神に対する忠誠や神の利益を超えているなら、あるいはその人が神に示す懸念を上回っているなら、その人は人間性をもたない人です」(『終わりの日のキリスト講話集』の「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」)。「多くの人は、良い人でいるのは実に簡単なことで、不言実行を実践し、良い心をもち、何の悪意ももたなければそれでいいと信じています。そのような人は、そうすることで自分はどこに行っても栄え、人々に好まれるようになり、そのような人でありさえすれば十分だと信じているのです。彼らは真理を追い求めようと思うことすらなく、単に良い人であることに満足しています。真理を追い求めて神に仕えるという問題はあまりに複雑で、それには多くの真理を理解する必要があり、いったい誰がそんなことを成し遂げられるだろうと考えるのです。彼らは簡単な道を行くこと、つまり良い人になって本分を尽くすことだけを望み、それで十分だと思っています。そのような態度で持ちこたえられますか。良い人でいるのは本当にそれほど簡単なことですか。立派な話し方で語る良い人を、あなたがたは社会で数多く見つけるでしょう。そのような人は、たとえ表面上は大きな悪事を犯したことがないように見えても、奥深くでは不実で狡猾です。特に、そのような人は風の吹く方向を見ることができ、スムースかつ如才なく物事を雄弁に語ります。わたしの見るところ、このような『良い人』は偽者であり、偽善者です。このような人は良い人の振りをしているに過ぎません。最も悪質なのは、中庸に固執する人です。彼らは誰も傷つけようとせず、人々を喜ばせています。彼らは物事を上手にこなし、誰も彼らの正体を突き止められません。そのような人は生けるサタンなのです」(『終わりの日のキリスト講話集』の「真理を実行に移すことでのみ、堕落した性質の束縛を振り払える」)。神の御言葉の一言一句が、まるでわたしの頭に釘を打ち込むようで、わたしは心から納得しました。自分はずっとお人好し、「いい人」だったのです。リー姉妹との関係を守るべく、彼女と働くときは非常に用心していました。彼女が本分で重荷を背負っておらず、絶えず間違いを犯し、名利を求めていつも競い、神の家の働きに影響を及ぼしているのを知っていたのだから、彼女と交わり、それを直接指摘すべきでした。なのにわたしはリー姉妹の気分を害することを恐れ、問題をぼかして彼女に伝えました。これでは彼女のためになりませんし、愛情を傾けていることにもなりません――害を与えているのです。リー姉妹の理解が的外れで、潤しの本分に適していないと知っていながら、彼女の感情を傷つけ、悪く思われるのが嫌で、指導者への報告を遅らせました。また、歪んで間違った理解をしている軽率な人が潤しの本分を尽くし、神の家の働きを妨げるのを、わたしは許してしまいました。サタンの手先になって、神の家の働きをひどく妨げてしまったのです。わたしは信仰の中で、表面上は家庭と職を捨て、昼も夜も働いて代価を支払っていましたが、問題が生じると、ただ自分の利益のために企むばかりで、神の家の利益などまったく守っていませんでした。神を信じながら、心と思いが神と1つではなかったのです。どうして自分を信者と呼べるでしょう? 神の御前で生きる資格などありません! わたしはそう考えてすっかり落ち込み、真理の原則を固持せず、神の家の利益を守らなかった後悔で一杯になりました。

その後、神の御言葉のこの一節を読みました。「サタンは国家政府や有名人や偉人の教育と影響力を通して人間を堕落させます。彼らの悪魔的な言葉が人間のいのちと本性になったのです。『己を怠る者は天罰を受け地が滅ぼす』はサタンの有名な格言であり、全ての人に浸透し、人のいのちとなっています。ほかにもこれに類似する処世哲学の格言があります。サタンは各国の洗練された伝統文化を用いて人々を教育し、人類を果てしない破滅の淵へと陥れます。そして最終的に、人間はサタンに仕え神に抵抗したために神に滅ぼされるのです。何十年も社会で活動してきた人に、『あなたは長いことこの世で暮らし、多くのことを成し遂げてきたわけですが、あなたが生きる上でおもに頼りにしている有名な諺は何ですか』と質問したとしましょう。すると相手は『一番大切なのは「官吏は贈り物をする人を困らせず、お世辞を言わない人は何も成し遂げられない」です』と答えるでしょう。この言葉はその人の本性を表わしてはいませんか。地位を得るためならどんな手段でも平気で使う、というのがその人の本性になっており、役人になることがその人の生き甲斐なのです。人の生活、行動や振る舞いには、サタンの害毒がいまだ数多く存在し、それらに真理はほぼまったくありません。例えば、人の処世哲学、物事の仕方、金言は赤い大きな竜の害毒に満ち、それはすべてサタンから生じたものです。ゆえに、人の血肉に流れているのはどれもサタン的な物事なのです。そのような役人、権力者、成功者はみな、成功に至る道と秘訣をもっています。そのような秘訣は、彼らの本性を完全に表わしてはいませんか。彼らはこの世でかくも大きなことを成し遂げましたが、それらの裏にある企みや策略を見抜ける人はいません。そのことは、彼らの本性がいかに狡猾で悪意に満ちているかを示しています。人類はサタンによってあまりに深く堕落させられてきました。サタンの害毒がすべての人の血に流れており、人の本性は目に見えて堕落し、邪悪であり、反動的であり、サタンの哲学に満ち溢れています。それは完全に神を裏切る本性です。人が神に抵抗し、神と敵対するのはそれが理由です」(『終わりの日のキリスト講話集』の「どのようにして人間の本性を知ればよいか」)。神の御言葉が明らかにすることのおかげで、わたしはわかりました。お人好しである自分は、「己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす」、「一人の友を得ることは、もう一つ道を開くこと」、「なじみの顔が利益をもたらす」、「誤りだと知っても指摘しないほうがよい」、「人をたたいても顔はたたくな、人を責めても欠点をあげつらうな」といったサタンの哲学に惑わされ、操られていたのです。こうしたサタンの哲学がわたしの中で深く根を下ろし、わたしはこうした物事で生きるとともに、ますます利己的に、狡猾になっていきました。わたしは神を信じる前から、人の気分を害するようなことは決してしませんでした。仕事でも、人が聞きたがっていることばかり言っていましたし、そうしたサタンの哲学に従うのが賢い生き方で、そのように自分を律していれば有能に見えると思い込み、自分を誇示さえしていました。信者になってからも真理を実践せず、ひたすらこうしたサタンの害毒で生きていました。リー姉妹が本分を尽くす中で堕落を示しても、わたしは彼女との交わりでそれを指摘しませんでした。特に、彼女の堕落を暴いたり、分析したりせず、さりげなく触れるだけでした。本当のことを話せば2人の関係が壊れてしまうのではないかと、心底不安だったからです。リー姉妹が神の家の働きを妨げているのを見ても、わたしはそれを指導者に報告せず、指導者に状況を伝えるのは告げ口するようなもの、彼女の背中を刺すようなものだと考えました。なんて馬鹿げていたのでしょう! 問題を報告するのは神の家の働きを守ること――正しく、適切で、正当なことです。またそうすることで、リー姉妹が自身の素質と背丈に合った本分を担えるよう、教会が采配することもできます。それはリー姉妹と教会の双方にとって有益なのに、わたしは悪いことだと思っていました。そうしたサタンの害毒が人にどのような害をなすか、やっとわかりました。わたしはそれらの害毒に騙され、堕落させられてしまい、物事の見方が歪み、善悪や正邪がわからないまでになってしまったのです。利己的かつ下劣で、自分の利益のためだけに働いていました。原則も立場もまったくないまま、物事を行なっていました。正義感に欠け、ほんの少しも真の人間らしく生きていませんでした。そのことに気づいたわたしは、それらサタンの哲学と、自分自身のお人好しな考え方への嫌悪で一杯になりました。自分の振るまい方が心から憎くなり、このように生きるのはもう嫌だと心の底から思いました。サタンに馬鹿にされ、傷つけられるのはもうごめんです。同時に、真理を実践することの大事さも感じたので、お人好しという自分の問題を解決すべく、すぐに真理の探求を始めました。

そして探求の中で、神の御言葉のこの一節を読みました。「よき人間性を持つための基準が必ずあります。それは中庸の道を歩むことでも、原則を堅持することでも、誰の気分も害すまいと努めることでも、行く先々で媚びへつらうことでも、誰に会っても人当たりがよく、如才なくすることでも、みんなの気分をよくすることでもありません。それが基準ではないのです。では、その基準は何ですか。そこには、真心でもって神や人や出来事に接すること、責任を負えるようになること、そしてそのすべてを、誰もがはっきり見て感じられる形で行なうことが含まれます。さらに、神は一人ひとりの心を探り、知っているのです」(『終わりの日のキリスト講話集』の「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」)。「生まれつきのイエスマンは真の善人でしょうか。真理を備えた真の善人だと神から見なされるのは、どのような人でしょうか。第1に、神の旨を理解し、真理を理解していなければなりません。第2に、真理に関する自身の理解を基に、それを実践できなければなりません。……つまり、自分に問題があると気づいた瞬間、神の前に出てそれを解決し、神と正常な関係を保つことができるのです。このような人は弱く、堕落していて、反抗的で、傲慢さ、独善、歪み、不実など、あらゆる堕落した性質を露呈するかもしれません。しかし、ひとたび反省してそうしたことに気づくと、すぐに解決して好転させることができます。これが真理を愛して実践する人であり、このような人は神の目から見て善人です」(『終わりの日のキリスト講話集』の「人間らしさを持つには、心と思いと魂を残らず注いで本分を尽くす必要がある」)。すると、全能神の御言葉の別の一節が頭に浮かびました。「教会では揺るぎなくわたしを証しし、真理を掲げなさい。正しいことは正しく、間違っていることは間違っている。黒と白を混同してはならない。サタンと戦い、完全に打ち負かして、サタンが二度と立ち上がらないようにしなければならない。すべてを犠牲にして、わたしの証しを守らなければならない。これを目標として行動しなさい、このことを忘れてはならない」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第四十一章」)。神の御言葉を通じて、真の善人は他者との完璧な調和を維持したり、誰かを傷つけるようなことを言わなかったりする人間ではないとわかりました。そうではなく、善人は誠実かつ実直で、愛と憎しみをはっきり区別し、また神の家の利益が関わるときは、自分の個人的な利益を脇にのけることができます。真理の原則を守り、他の人の気分を害することを恐れず、神の家の利益を守ります。このような人物だけが正義感を持つ人、神に称えていただける人なのです。神の要求を理解したわたしは祈りを捧げ、今後は真理を実践し、神の家の利益を守るとともに、お人好しでいるのをやめて新たな自分になろうと決意しました。

その後、指導者は問題を調査し、リー姉妹を本分から外す必要があると判断した上で、彼女と交わりをするようわたしに求めました。わたしは「なぜ自分なの?」と思いました。自分のことを指導者に報告したのがわたしで、そのせいで本分から外されたとリー姉妹が知ったら、きっとわたしに腹を立て、2人の関係は壊れるでしょう。そうした考えが浮かんだとき、真理を実践しなかったせいで神の家の働きに及んだ害のことが脳裏をよぎり、もうお人好しであってはならないと悟りました。リー姉妹と交わりをするよう求めたのは、わたしが真理を実践し、原則に沿って物事を処理できるかどうかを確かめようと、神がわたしを試されているのです。交わりに向かう途中、わたしは神に祈り続け、導きを求めました。それと同時に、その問題についてリー姉妹とはっきり交わらず、彼女がそれを認識するようにならなければ、それはまったく彼女のためにならず、かえって傷つけることになると気づきました。そう考えたわたしは、二度とお人好しにはなるまいと決意しました。そうしてリー姉妹と交わり、本分における彼女の軽率さの本質と結果を分析し、神の家の働きを妨げた彼女の振る舞いを残らず明るみに出しました。それを聞いた彼女は、進んで従い、自己反省すると言いました。真理を実践したわたしも気分がずっとよくなり、心の安らぎを感じました。

その後、神はわたしを試すべく、別の状況を設けました。わたしはある若い姉妹と知り合うようになったのですが、しばらくすると、彼女が傲慢な性質の持ち主で、他の姉妹の提案をなかなか受け入れようとせず、そのせいで多くの姉妹が彼女に押さえつけられていると感じるようになりました。わたしとリー姉妹、そして一緒に働いていたもう1人の姉妹がその若い姉妹と交わり、振る舞い方を暴いたのですが、彼女は受け入れようとせず、それどころが自己弁護を始め、不機嫌そうな表情を浮かべるではありませんか。わたしはそれを見て少したじろぎ、彼女によく思われていないと考えました。今後、彼女とどう顔を合わせたらいいでしょう? そのとき別の用件が持ち上がり、わたしたちは解散せざるを得ませんでした。家に帰る道すがら、あの若い姉妹は強情で、真理を受け入れるのが難しいと、わたしは思いました。適切な交わりをしなければ、関係がきっと損なわれてしまうはず。そこで、今度はパートナーと一緒に彼女と交わりをしようと考えました。数日後に再び顔を合わせたのですが、彼女はとても愛想がよく、それでわたしは気づきました。前回の交わりで、彼女の問題はまったく解決されなかった。だから再び彼女と交わる必要があるし、それでも真理を受け入れようとしなければ、暴いて取り扱う必要がある。しかし彼女がわたしに席を勧め、お身体の具合はどうですかと尋ねたので、口を封じられたように感じました。交わりで何か言おうと思っても、口を開くことができません。交わりで口を開いた瞬間、2人の関係は台無しになり、親密な雰囲気も壊れると思ったのです。彼女が以前と同じ態度をとり、真理を受け入れようとしなければ、わたしはとても困った立場に置かれる。言葉を選んで厳しい言い方は避け、少し知恵を働かせようと思ったのですが、まさにそのとき、自分がまたもお人好しになり、対人関係を守ろうとしたがっていることに気づきました。そこですぐさま神に祈り、力をお授けくださいと願いました。そして祈りのあと、全能神のこの御言葉が頭に浮かびました。「あなたはサタン的で堕落した性質に支配され、自分の口さえ意のままにできません。誠実な言葉を声に出したくても、恐れて言うことができません。そして自分がすべきこと、言うべきこと、果たすべき責任の一万分の一も果たすことができず、手足はサタン的な堕落した性質に縛られています。あなたには何の決定権もなく、ただそのサタン的で堕落した性質にどう話すべきかを指示されてそのように話し、何をすべきか指示されてその通りにしているだけです。……あなたは真理を求めておらず、ましてや真理を実践などしていません。ひたすら祈り続け、意志を固めたり決断したり、誓いを立てたりしています。その結果、何が起きているでしょうか。あなたはイエスマンから脱却できず、こんな風に考えているのです。『わたしは誰も怒らせたり、気持ちを逆なでしたりしない。自分に関係のない問題には距離を置く。自分に関係ないことには一切口を出さない。すべて例外なくそうする。何か自分の利益、プライド、自尊心が傷つけられるようなことがあったとしても、一切気にせず、すべて慎重に対処する。軽率なことをするといけないから。出る杭は打たれるというし、わたしはそんなに馬鹿じゃない』と。あなたは邪悪で、ずる賢く、頑なで、真理を憎むという堕落した性質に完全に支配されています。その性質があなたを酷使し、孫悟空の金の輪よりも耐え難いほどあなたを締め付けているのです。堕落した性質の支配下で生きることは、非常に心身を消耗する苦痛なことなのです。あなたがたに尋ねます。真理を追い求めていないなら、堕落を捨て去るのは簡単ですか。この問題は解決できますか。いいですか。真理を追い求めず、信仰において混乱しているなら、説教に何年耳を傾けても意味はなく、また最後の最後までこのやり方にこだわるのは、せいぜい宗教的な詐欺師やパリサイ人であり、それで終わりです。それより悪い場合は、誘惑に陥るという事態が待っており、本分を失って神を裏切ることになります。倒れてしまうのです。絶えず瀬戸際に立たされることになります。まさに今、真理の追求ほど大事なことはありません。他の何を追い求めても意味はないのです」(『終わりの日のキリスト講話集』の「真理を実践する者だけが神を畏れる」)。わたしがお人好しであることの真相を、神の御言葉はすっかり暴き出しました。あの若い姉妹が強情で、真理を受け入れようとしないのを知ったわたしは、炎を煽ったり、面目を失ったりするのが嫌で、問題を避けて通ろうとするばかりでした。彼女との関係を守るため、他の誰かに彼女と交わってもらおうとさえ考えたのです。わたしはいまだお人好しでした! 自分が真理を実践しなかったため、以前神の家の働きに及ぼした害のことを考えました。そのとき、わたしは真理を実践する機会を逃したのですが、今度こそ後悔するわけにはいきません。するといつの間にか、力が湧き上がるのを感じました。真理を実践するのが何より大事で、再び失敗するわけにはいかない。わたしは勇気を振り絞ってこの姉妹と交わりを行ない、彼女がしたことと、彼女の行ないの本質を暴きました。彼女はそれに耳を傾け、やがて受け入れ、悔い改めますと言いました。わたしは言葉にできない喜びを感じました。ようやく真理を多少実践することができ、霊の安らぎと喜びを覚えると同時に、それが正しい生き方で、自分に人間らしさがあると思えたのです。

わたしに働きかけようと、神がなさった数々の細かなことを振り返ると、神の裁きと刑罰こそがまさに、わたしの堕落した性質を変えるのに必要なものだったとわかります。神が次々と状況を設けてわたしを暴いていなければ、また神の御言葉による裁きと暴きがなければ、自分が実際にはどのような人間か、わたしは決してわからなかったでしょう。自分がサタンの害毒で生きてきたという、哀れな真実もわからなかったはずです。また、神による人類の救いと変化がいかに実践的か、それらがいかに得がたいものかを理解するようになりました。今、わたしが多少の真理を実践し、人間らしく生きられるのは、ひとえに神の裁きと刑罰のおかげです。わたしに対する神の救いに感謝します!

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