25. 真のキリストと偽キリストを識別する真理を身につけたあと、私は無闇に用心しないようになった

向往 マレーシア

私は小さいころから、教会の助祭と日曜学校の教師を務める母に従って主を信じてきました。よく母と集会に出て聖書を読み、成長後は児童グループから青少年グループに移りました。

青少年グループへの説教を担当する牧師は神学博士でしたが、牧師になるのは簡単なことではないとか、聖霊の啓きがなければ牧師の仕事をやり通すのはとても難しいとかいうことを、よく私たちに語っていました。そのため私たちはその牧師を崇拝し、この人こそ神がお喜びになる方、聖霊から啓きを受ける方だと信じていました。この牧師は私たちに説教するとき、聖書にある次の聖句をよく用いていました。「そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、『見よ、あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう(マルコによる福音書 13:21–22)。そして、終わりの日には偽キリストが数多く現われると言ったうえで、いつも用心を怠らず、軽々しく他の説教を聞きに行ってはならないと私たちに注意するのです。特に、私たちのうちまだ聖書に強い基礎をもたず、霊的背丈が低すぎる人については、惑わされるのを避けるため、別の教派の誰かによる説教を聞くことも、読むことも、調べることもしないのが一番いいと言いました。

さらにこの牧師は、私たちが何としても絶対に避けるべき教会の名前を挙げましたが、そこには東方閃電も含まれていました。そのうえで、東方閃電に関して出回っている否定的な宣伝を私たちに伝えたのです。これを聞いた私のグループのメンバーは、その教会を避けようと口を揃えて言いました。また牧師は、私たちが頻繁に聖書を読み、欠かさず集会に出席し続け、定期的に霊のデボーションを行ない、自分の罪を主に毎日告白して悔い改め、いつも辛抱強く用心している限り、主がおいでになるとき天国に引き上げていただけるともしばしば説教していました。私はこの牧師の言うことを固く信じ、他の教会で行なわれる説教を軽々しく聞きに行こうとせず、牧師の指示をきちんと守って行動しました。このようにして、主のお戻りを待つ人々のあいだで、自分の場所をすでに確保したと思っていたのです。

2017年8月のある日、私たちの教会に所属する胡という兄弟が突然私の学校を訪れ、真剣そのものの口調でこう言いました。「君に伝えなければならないとても大事なことがあるんだ。君のお母さんとお姉さんが東方閃電を信じているようなんだよ」。私はその知らせを聞いてすっかり驚き、心の中でこう考えました。「牧師さんはいつも、東方閃電に関わっちゃだめだと私たちに注意しているんじゃないの? ママがそれを信じだすなんていったいどういうこと?」すると胡兄弟は東方閃電にまつわる否定的な宣伝のいくつかを私に話したのですが、聞けば聞くほど私は不安とパニックを感じ、「どうしたらいいの? どうしたらいいの?」と思わずにはいられませんでした。そのとき、胡兄弟がこう言いました。「急いで家に帰って、本当に東方閃電を信じ始めたかどうかお母さんに尋ねるんだ。でも、質問するときは何も知らない振りをしろ。まずはお母さんが言うことをちゃんと聞いてくれ。それから僕に会話の録音を聞かせてほしい」。母が道に迷ってしまったのではないかと不安だった私は、それに賛成しました。

果たせるかな、私が帰宅するやいなや、母はこう言いました。「主イエスが全能神としてお戻りになったのよ。終わりの日、全能神は人を清めて変え、罪の束縛から徹底的に救われるべく、神の家から始まる裁きの働きをなさっているの」。そして、これは人類をお救いになる神の働きの最終段階であり、それを逃せば私たちにはもう救っていただく機会がないと続けたうえで、あなたも神による終わりの日の働きを急いで調べ、全能神教会の集会に参加したらいいわと言いました。母がそう言うのを聞いた私は、胡兄弟から教えられた東方閃電にまつわる否定的な宣伝をすぐに思い出し、母の言うことに強い嫌悪を感じました。しかし母との会話をこっそり録音するため、私は自分の気持ちを抑えて母の言葉にじっと耳を傾けました。

翌日、母は私に、ネットにつないで全能神教会の人たちとの集会に出てほしいと言いましたが、私はすぐにそれを遮ってこう返しました。「ママ、私はその人たちの集会には参加しないし、ママも二度と参加すべきじゃないわ。ますますその人たちのほうに傾いているようね」。すると母は穏やかにこう答えました。「全能神教会の兄弟姉妹との集会に出て、彼らと交わるようになってから、私は聖書にある神の御言葉について新しい洞察と理解を得たわ。それに心の中で、彼らの説く教えは光に満ちていて、聖霊の啓きから生じたものだと確信している。しかも、全能神の御言葉のおかげで私の混乱はかなり解消されたし、いまは全能神教会には間違いなく聖霊の働きがあって、全能神の表わされる御言葉は真理だと絶対に確信しているのよ……」。その時点で私の心は東方閃電に関する観念で一杯になり、母が言うことを受け入れるなどとうていできませんでした。その後、私はネットに接続し、胡兄弟から教えられた東方閃電にまつわる否定的な宣伝を母に見せてから、次のように言いました。「わかった、ママ? ネットで何もかもはっきり書かれているし、牧師さんも東方閃電を調べてはいけないとよく私たちにおっしゃってるわ。お願いだから、今後はもうこの人たちに関わらないと言って」。

しかし、母はその否定的な宣伝に目を向けず、辛抱強く私に話し続けるだけでした。「ねえ、中国共産党政府は神の来臨と働きを忌み嫌い、宗教的な信仰をもつ人を嫌悪する無神論組織なのよ。中国ではプロテスタントもカトリックも政府に邪教として断罪されたわ。聖書も邪教の書と断罪されて無数に燃やされたり破かれたりしたし、いまでは中国での販売すら禁じられている。プロテスタント教徒とカトリック教徒の多くが共産党政府によって逮捕され、迫害され、投獄され、中には障害を負ったり殺されたりした人さえいるわ。国際的な人権団体や西側諸国は中国共産党政府を何度も強く非難している。神に敵対するこうしたサタン的政権の言うことを本当に信じられるの? 神の来臨と働きを評価して断罪する資格が政府にあるの? それに、私たちが神による終わりの日の働きを調べるのを牧師と長老が許さないのはどうしてなの? 彼らの行ないは主の教えにかなっている? 主イエスは私たちに『こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである(マタイによる福音書 5:3)とおっしゃったわ。主の御言葉から、主が戻られたと誰かが証しするのを聞いたとき、私たちがそれを積極的に調べる心の広い探求者になることを、主がお望みになっていることがわかるわね。そうして初めて主の再臨をお迎えできるからよ。いいこと、主の信者である私たちが他人の意見に耳を傾けながら、主の御言葉に注意を払わないなんてどういうことなの? 牧師が言うことや、あのサタン的政権が広めている否定的な宣伝を真に受け、誰かが主の再臨を証しするのを聞いても受け身になって用心するなら、それは主の御心にかなうことかしら? そうすることで主の御言葉に逆らっているんじゃないの? イエスの時代におけるユダヤの信者たちは、主の御言葉と働きを求めも調べもせず、それどころかパリサイ人がでっち上げた主に関する噂を無闇に信じ、そのため主イエスに抵抗して断罪し、最後は主を十字架にかけて神に懲罰された。私たちはユダヤ人の失敗の教訓を学び、主をお迎えする機会を逃さないようにしなければならないのよ。黙示録では『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい(ヨハネの黙示録 2、3)と何度も預言されているわ。この聖句から、主はお戻りになるとき御言葉も表わされるので、私たちが主の再臨をお迎えしたいなら、神のお声に耳を傾けられるようにならなければならないことがわかるわね。全能神の御言葉を読んで調べることでのみ、それらが神のお声かどうかがわかるのよ」。そう言い終えた母は『終わりの日のキリストが語る言葉』というタイトルの本を手に取って私に差し出しました。

母が手にしているその本に視線を向けたものの、受け取ることはしませんでした。依然として母の言うことを受け入れられなかったので、私は「読みたくないわ」と言って母に背を向け、自分の部屋に行きました。

机の前に座ると落ち着きが戻り、先ほど母が言ったことを振り返りながらこう考えました。「ママが言ったことは本当は間違っていない。主はお戻りになったと東方閃電は証ししているけれど、私は全能神が表わされた御言葉を読んでもいないのに、牧師の言うことや、中国共産党政府が広めた東方閃電にまつわる否定的な宣伝を無闇に信じてしまった。自分勝手に判断したのは私のほうだわ。全能神が本当に主イエスの再臨でいらっしゃるのに、私が全能神を受け入れなければ、主をお迎えする機会を失ってしまう。でも牧師さんはいつも、終わりの日には偽キリストが現われると私たちに説教している。万が一私が道に迷ってしまったら、主への信仰がすべて無駄にはならないかしら?」心が揺れ動いて誰を信じればよいかわからなかったので、私は主を呼び求めました。「ああ主よ! 私はずっとあなたのお戻りを待ち焦がれていましたが、いまは終わりの日に現われる偽キリストに惑わされるのが不安です。ああ主よ! 東方閃電の人たちはいま、あなたがお戻りになったと証ししています。なので、あなたが本当に全能神としてお戻りになったのなら、どうか私を啓いてお導きになり、私があなたのお声を聞き分けられるようにしてください」。

翌日、集会に出るよう再び母に促された私は、しばらくためらったあと、ネットにつないで彼らの言葉に耳を傾けることにしました。集会が始まった直後、私はとても動揺し、兄弟姉妹が説く教えに耳を傾けてはいませんでした。やがて張という兄弟が、人類をお救いになる神の経営計画、神による3段階の働きの奥義、神が終わりの日になさる裁きの働きといった真理の側面について教えを説いてくれました。私の心は引き込まれ、聞けば聞くほどどれも新鮮で新しいと感じました。私はそれまで聖書学習のクラスに出席していましたが、牧師は神がなさった奇跡に触れるなど、神による働きの不思議な性質について語るばかりで、さもなければ過去の聖者がいかにして神に従い、神から託された使命を達成したかなどを話していました。人類をお救いになる神の経営計画に触れることなど一度もなかったのです。張兄弟が説く教えのおかげで、私は人類を経営する神の働きについていくらか理解できました。これらはどれも、長年聖書を読んできたにもかかわらず、私がまったく理解していないことでした。集会が終わるころには、私の心は変わっていました。まずは全能神による終わりの日の働きを調べ、母との会話の録音は消すことにしたのです。

3日目の集会で、私たちは賢い乙女と愚かな乙女の違いについて話し合ったのですが、そこで張兄弟がこう言いました。「賢い乙女が賢いのは、神の出現を待ち焦がれていて、神のお声をどう聞くべきかを知っているからです。彼女らは聡明で素質があり、真理を愛して求める人たちです。結果として主がお戻りになったという知らせを聞くと、積極的に求めて調べるのです。このような人が偽キリストに惑わされることはあり得ません。愚かな乙女は真理を愛さず、神のお声を聞くことに注意を払わず、どう聞くべきかもわかっていません。彼女らは混乱していて識別力がなく、主のお戻りについて自分の観念と想像にしがみつき、神の働きに抵抗してそれを断罪することしかできません。例えば兄弟姉妹の中には、主への信仰の中でその御言葉を聞くことに重点を置かず、その代わりに牧師や長老の言うことを信じる人がいます。牧師や長老がなんと言おうとそれを信じ、うわべは主を信じているものの、実際には牧師や長老に従い、服従しているのです。また、偽キリストにやたらと用心するばかりで、誰かが広める主の再臨の知らせを聞いたときでさえ、求めも調べもしない兄弟姉妹がいます。それは喉を詰まらせることを恐れて食事をあきらめるようなものではないでしょうか? このような人が主の再臨をお迎えできるでしょうか?」

張兄弟の言葉に私は突然覚醒し、こう思いました。「そのとおりだわ! 私はいままでずっと牧師が宣べ伝えることを信じ、神による終わりの日の働きを調べてこなかった。全能神が本当に再臨された主イエスでいらっしゃるなら、自分は愚かな乙女だと暴かれたんじゃないかしら? 主イエスは『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう(マタイによる福音書 7:7)とおっしゃった。私はずっと主をお迎えすることを楽しみにしてきたけれど、全能神教会はいま主がお戻りになったと証ししている。私は賢い乙女になって、全能神による終わりの日の働きを積極的に求めて調べるべきだわ。それだけが神の御心にかなうことなんだから」。こうして私は、全能神による終わりの日の働きを引き続き調べようと心に決めたのでした。

翌日の集会の途中、私はこう質問しました。「兄弟、あなたは昨日、賢い乙女になるうえで鍵となるのは神のお声に耳を澄ませることだとおっしゃいましたね。私はいま、神による終わりの日の働きを調べるうえで従うべき道を見つけたような気がしています。ところが、私の牧師は説教の中で、終わりの日に偽キリストが現われて人々を惑わすとよく言っています。では、真のキリストと偽キリストをどう識別すべきでしょうか? 私には真理のこの側面がわからないので、どうかそれについて交わってくださいませんか?」

すると張兄弟はこう答えました。「あなたがお尋ねになった質問はとても重要です。と言うのも、私たちが主のお戻りをお迎えできるかどうかに直接関係しているからです。真のキリストと偽キリストの識別に関する真理を理解できさえすれば、偽キリストがどのように神を真似ようと試みても、私たちが彼らに惑わされることはありません。真のキリストと偽キリストをどう識別するかについて、主はこのようにおっしゃっています。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう(マタイによる福音書 24:23-24)。主の御言葉は私たちに、終わりの日の偽キリストはおもにしるしと不思議を使って人を惑わすと教えています。偽キリストには真理がなく、彼らの本質は悪霊と悪魔の本質なので、神の過去の働きを真似ていくつかの単純なしるしや不思議を行なうこと、あるいは聖書を誤って解釈し、難解な教義でもって人を困惑させることしかできません。キリストだけが真理、道、いのちでいらっしゃり、真理を表わして私たちに道を示し、いのちを与えることがおできになります。キリストを自称しながら真理を表わせない人はみな間違いなく偽キリストであり、詐欺師です。そしてこの原則により、私たちは偽キリストについて基本的な識別力をもてるのです」。

兄弟が説く教えを聞いたあと、私は聖書のこの一節をじっくり読み返しましたが、そのとき突然すべてがはっきりしました。「そうだわ。偽キリストは大いなるしるしや不思議を行なって人々を惑わすと、聖書に本当に記されている。だとすると、聖書にとても精通しているあの牧師たちが、偽キリストを見分けるこの原則を見ていないのはどういうことかしら?」

次いで張兄弟は全能神の御言葉の一節を送信してくれました。「この時代に、しるしや不思議を起こし、悪霊を追い払い、病人を癒やし、多くの奇跡を行える人が現れて、またその人が自分は再来したイエスであると主張したなら、それはイエスのまねをしている邪霊による偽物である。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。……もし終わりの日に神がいまだにしるしや奇跡を示し、まだ悪霊を追い払ったり病人を癒やしたりしていたら、神がイエスとまったく同じようにしたならば、神はイエスと同じ働きを繰り返していることになり、イエスの働きは無意味で無価値ということになる。だから、神は時代ごとにひとつの段階の働きをするのである。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを邪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろをついてくるようになれば、神は方法を変更する。ひとたび神が一つの段階の働きを完了すると、邪霊がまねをする。このことをよく理解しなければならない(『神の出現と働き』「今日の神の働きを知ること」〔『言葉』第1巻〕)

そして張兄弟はこう教えを説きました。「全能神の御言葉から、神は常に新しく、決して古い神ではいらっしゃらないこと、同じ働きを2度なさったことはないことがわかります。新たな段階の働きを始められるたび、神は新たな御言葉を発し、人に新たな実践の道を与えられます。たとえば主イエスがおいでになったとき、主は律法と戒律を公布する働きを繰り返されず、代わりにその働きを土台として全人類を贖う働きをなさるとともに、当時の人々に新たな実践の道を与えられました。一例を挙げると、主は人に対し、告白して悔い改めること、自分の敵を愛すること、赦しを学ぶこと、互いに愛し合うことなどを教えられたのです。いま、終わりの日においでになった全能神は再び悔い改めの道を表わされるのではなく、贖いの働きを土台とし、御言葉を通じて人を裁いて清める働きをなさっています。この段階の働きにおいて、神がしるしや不思議をなさることはなく、その代わりに私たちの堕落した性質を明らかにし、私たちの不義を裁くべく、実践的に御言葉を表わされています。神は同時に、私たちが完全な救いを得るうえで必要な真理を残らず授けてくださるとともに、私たちに性質の変化の道を理解させ、それによって自分の堕落した性質を捨て去り、神によって天国へと導いていただけるようにしてくださいます。一方、偽キリストの大半は悪霊に取り憑かれており、みな並外れて傲慢で馬鹿げています。彼らにできるのは主イエスによる過去の働きを真似て2、3の単純なしるしや不思議を行ない、人々を惑わすことだけです。しかし、死者を生き返らせるとか、魚2匹とパン5枚で5000人の空腹を満たすなどといった、主イエスがなさった大いなる奇跡について言えば、偽キリストがこうした業を真似ることなど到底不可能です。このような権威と力をおもちなのは神だけであり、偽キリストにはそのようなことなどとてもできないからです」。

兄弟の説く教えを通じて初めて、神が常に新しく決して古くはいらっしゃらないこと、偽キリストは神による過去の働きを真似し、2、3の単純なしるしや不思議を行なえるだけであることがわかるようになりました。しかし、彼らは神の働きを行なえないので、神の働きの裏にある原則を理解している限り、私たちが惑わされることはありません。これまで、私は惑わされることをいつも心配しており、そのため東方閃電による説教にあえて耳を傾けず、まして全能神による終わりの働きを求めて調べようともしませんでした。その代わり教会に閉じこもり、そこでの説教を聞いて主を讃美し、これが一番安全な道だとか、自分はいつか主と再会するはずだなどと考えていたのです。しかし、いまそれを振り返ると、受け身になって用心し、終わりの日における主のご発言を積極的に求めなかったせいで、私はまさに主をお迎えする機会を逃すところでした。

張兄弟はさらに教えを説きました。「神は真理、道、いのちでいらっしゃり、神の働きの原則によって真のキリストと偽キリストを識別することに加え、私たちはキリストの本質によっても両者を識別することができるのです」。張兄弟はそこまで言うと、神の御言葉の一節を送ってくれました。「受肉した神はキリストと呼ばれるので、人に真理を与えられるキリストは神と呼ばれる。ここには何の誇張もない。なぜなら、そのキリストは神の本質を有し、神の性質を有し、その働きには知恵があり、これらはどれも人間の手の届かないものだからである。キリストを自称しながら神の働きを行なえない者は、詐欺師である。キリストは、単なる地上における神の顕現ではなく、人の間で働きを行ない、それを完成させるにあたって神が宿った特有の肉体でもある。この肉体は誰でも取って代われるものではなく、地上における神の働きを適切に引き受け、神の性質を表わし、神を十分に象徴し、人にいのちを与えられる肉体である。遅かれ早かれ、キリストになりすましている者たちはみな倒れる。彼らはキリストを自称しながら、キリストの本質を何ひとつ有していないからである。ゆえにわたしは、キリストの真偽は人が定められるものではなく、神自身が答えて決めるものだと言う(『神の出現と働き』「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」〔『言葉』第1巻〕)

そして張兄弟はこう続けました。「神の御言葉から、キリストは受肉された神の霊でいらっしゃることがわかります。神性の実質をおもちで、神の働きをなさり、神の性質を表わされるとともに、いつでもどこでも真理を表わし、人に糧を与えて牧養することがおできになります。また、人を救う働きがおできになるのもキリストだけです。たとえば主イエスはキリストでいらっしゃり、その来臨と働きによって律法の時代は幕を下ろし、恵みの時代が始まりました。イエスはまた御言葉をお語りになり、人に悔い改めの道を授けられるとともに、人が神の御心とお求めをはっきり知り、困難が生じた際に従うべき道をお与えになりました。主イエスの御言葉を通じ、人はどのように主に祈るべきか、どうやって互いに仲良くすべきか、いかに互いを赦し合うべきかなどを理解したのです。さらに、主イエスは愛情と慈悲に満ちたご自身の性質を表わされ、病人を癒やし、悪霊を追い払い、人に無限のお恵みを授けられました。最後は人類を贖われるべく十字架にかけられ、こうして全人類を贖う働きを完了なさり、私たちを律法の束縛と足かせから救うとともに、私たちが律法を犯したかどで断罪され、死に処される危険を免れさせてくださったのです。これらは主イエスがなさったことの一部に過ぎず、誰も主の代わりにそれをすることはできなかったはずです。主イエスの働きと御言葉から、主が真理、道、いのちでいらっしゃることがわかります。同じように、神は終わりの日に再び肉となられ、恵みの時代を終わらせ神の国の時代を始められました。数百万の御言葉を発せられ、裁きと清めの働きをなさり、威厳と怒りに満ち、背くことを許さない神の義なる性質を表わされるのです。全能神がお語りになる御言葉は、神の経営計画全体の奥義、および人の結末と最終的な終着点を明らかにするだけでなく、私たちが清められ、自分の必要に応じて真の救いを得るのに不可欠な真理を、完全にはっきり説明しています。たとえば、サタンはいかに人を堕落させるか、サタンの手中にある人の堕落の真相とは何か、神はいかに人の堕落した性質を裁いて清められるか、人はどのように神を信じて神に従うべきか、神はどのような人を愛し、どのような人を嫌って選り分けられるのか、人は神によって完全にしていただくべく、どのように追求すべきかなどといったことを、神は説明なさっています。私たちは神の御言葉の裁きと刑罰を経験することで、サタンによる自らの堕落の本質と根源をはっきり目の当たりにし、義にして聖く、背くことを許さない神の性質を理解するようになるのです。すると、私たちは心から後悔して神の御前でひれ伏さずにはいられなくなり、神への畏れと服従が膨らみ、徐々に自分の堕落したサタン的性質を捨て去り、罪の束縛から自由になって神による真の救いを得てゆきます。全能神のご発言と働きは、私たちに真理といのちと道をもたらします。全能神は神ご自身でいらっしゃり、肉となられたキリストなのです。偽キリストには神の本質がなく、真理を表わすことができず、まして人類を救う働きなどできません。もっともらしいことを言って人を惑わし、害を加えることしかできないのです。彼らの言うことに耳を傾けたところで何の糧も得られず、それどころか心がますます暗くなり、よりいっそう沈み込み、どこにも立ち返るところがなく、結局サタンに呑み込まれるのは避けられません。ゆえに、私たちは神のご発言と働き、そして神が表わされる性質から、神が受肉されたキリストでいらっしゃるかどうかを確かめられるのです」。

全能神の御言葉と兄弟が説く教えを聞いた私は、真のキリストと偽キリストをどう識別すべきかの真理をすっかり理解しました。キリストだけが真理、道、いのちでいらっしゃり、キリストだけが真理を表わして神ご自身の働きをなされるのです。キリストを自称しながら真理を表わせず、人を救う働きができない人はみな偽キリストです。私はようやく前進する道を見つけ、偽キリストに惑わされることを恐れて無闇に用心することも受け身になることもなくなりました。神に感謝いたします!

それから張兄弟は、受肉の奥義、神の働きと人の働きの違い、聖書の内幕といったその他の真理について教えを説いてくれました。聞けば聞くほど私は満足感を覚え、兄弟姉妹との集会に出るのを毎日楽しみにしました。集会が終わるたび、母と私は集会を通じて得た新たな光について話し合い、私は徐々に神による終わりの日の働きをいくらか理解するようになりました。しばらく探求と考察を続けたことで、全能神こそまさに再臨された主イエスでいらっしゃると確信するようになったのです。その後、私は神の来臨を待ち望むさらに多くの人たちに福音を広め、主のお戻りの知らせを伝えるようになりました。

その後、母と私は金曜礼拝に出席するため、以前の教会に出かけました。ところが集会の後、私たちが驚いたことに、牧師は全能神教会を誣告するビデオを流し始めたのです。全能神教会に向けられたでっち上げの噂や誹謗中傷を見た私は、怒りに駆られてこう考えました。「全能神教会はここで言われているものとはまったく違う。この人たちは全能神教会と接触したことがないし、神による終わりの日の働きを調べてもいない。どうして根拠もなく、神の働きを自分勝手に判断できるの?」

ビデオが終わると、その牧師と助祭2人、そして教会の理事2人が、母と私にここに残るよう言いました。すると「君たち2人はいま全能神の信者なのか?」と牧師から訊かれたので、私たちは「はい」と答えました。

そう口に出した瞬間、助祭の1人が突然立ち上がり、母を指さしながら激しい口調でこう言いました。「つまり、お前たちはいま全能神を信じているんだな? 明日以降、日曜学校で教えることは許さない。明日の午後、お前たちの家に行って教会の金を返してもらう」。

母は「どうぞいつでも取りにいらしてください」と答えました。

すると牧師が怒りも露わに言いました。「宗教界全体が全能神教会に抵抗してそれを断罪している。どうして連中と接触することにこだわるんだ?」

母はこう言って反論しました。「牧師さん、宗教界に真理はありますか? 宗教界に従うことでのみ私たちは主をお迎えできると、主イエスはおっしゃいましたか? はるか昔、主イエスがおいでになって働きをなさったとき、ユダヤの指導者は主の働きを自分で求めたり調べたりするのを拒んだだけでなく、信者がそれを受け入れるのを阻止し、主イエスに関する噂をでっち上げることまでして、必死になって主に抵抗し、主を裁いて断罪したのです。結局、彼らは神の性質に背き、そのため神に呪われ懲罰されました。あなたたちの言うとおりであれば、つまり宗教界が抵抗して断罪する道は決して真の道ではないということであれば、あなたたちは主イエスの働きさえ否定していることになりませんか? 宗教界が全能神教会に抵抗し、それを断罪しているというので、あなたたちは神による終わりの日の働きを求めたり、調べたりすることを拒んでいます。それは主の御言葉にかなうことでしょうか? あなたたちは教会の牧師と助祭なのに、どうしてわざわざ調べることさえせず、全能神による終わりの日の働きを自分勝手に判断し、それを断罪するのですか? 私たちは全能神の御言葉を数多く読み、それらが真理であり、神のお声であると確かめることで、全能神こそ再臨された主イエスでいらっしゃると確信するようになったのです」。私が驚いたことに、彼らは母の言うことを軽蔑も露わに無視するだけで、それをまったく受け入れませんでした。

それから母はスマートフォンのアプリを開き、全能神の御言葉を彼らに読んで聞かせました。すると教会の理事の1人が傲慢そのもの口調で話しだし、全能神を冒涜するようなことを言いました。母は怒りに駆られてこう言い返しました。「あなたは信じられないほど傲慢ですね。これらの御言葉は真理です。それがわからないんですか? 神のお声を聞いてそれが理解できないんですか? あなたたちは本当に神の羊なんですか?」

彼らは冷笑を浮かべ、私たちにあざ笑うかのような視線を向けました。そして牧師が傲慢な口調で言いました。「我々がお待ちしている方は、手に釘で打たれた傷があり、ユダヤ人の姿でおいでになる主イエスだ。我々は主イエスのほか何も受け入れない。たとえ全能神の表わすことが真理としてもだ」。彼らがここまで頑ななのを見て、母と私は説得をあきらめました。彼らの振るまいが、主イエスに抵抗したパリサイ人の振る舞いとまさに同じであることが見て取れます。神を信じながら真理を求めず、神のお声に耳を澄ますことにも集中していません。それどころか傲慢で自惚れるばかりで、自分の観念と想像にあくまで固執し、神の働きを自分勝手に判断し、それに抵抗しています。神に仕えているように見えながら、実際には神に抵抗している人に他なりません。

次に牧師はこう言って私たちを脅しにかかりました。「我々は君たちに1ヵ月考え直す時間を与えよう。それでも全能神への信仰にこだわるなら、私は君たちを教会から追放する」。

私は腹が立ってこう言いました。「1ヵ月も待つ必要なんてないわ。いますぐ追放してちょうだい。私たちは時間をかけて神による終わりの日の働きを求めて調べ、全能神は再臨された主イエスでいらっしゃるとすでに確信したのよ。私たちはようやく神のお声を聞いたんだから、たとえ追放されなくても、この教会の集まりなんかもう2度と出席しないわ」。

すると牧師は声を潜め、ずる賢い口調で言いました。「それはだめだ。いま君たちを追放したら、兄弟姉妹は我々のことをどう思う? ネットの集会に出ただけで君たちを追放したと言うだろうし、そうなれば我々が血も涙もない人間に映ってしまう。1ヵ月後、我々は教会の兄弟姉妹にこう言うつもりだ。自分たちは君らを説得しようと力を尽くし、考え直すのに十分すぎる時間を与えたが、結局君らは全能神を信じることにこだわって教会を離れることにしたので、我々はついに君らを追放した、とな」。

牧師がそのように言うのを聞いて私は嫌悪を感じ、これ以上何も言いたくなくなりました。そして母を引っ張ってその場を立ち去ろうとしたのですが、歩きだしたところで牧師がこのように警告しました。「全能神を信じようと信じまいと君たちの勝手だが、我々の教会の兄弟姉妹とこれ以上接触することは許さないぞ」。

私たちが教会をあとにしたとき、時刻はすでに深夜の1時でした。いままでの出来事を振り返ると、その道徳心と高潔さでいつも尊敬されてきた牧師や伝道師があのように振る舞えることがどうしても信じられません。ちょうどそのとき、神の御言葉が頭に浮かびました。「荘厳な教会で聖書を読み、一日中聖句を唱える人がいるが、そうした人は誰一人として神の働きの目的を理解していない。そうした人は誰一人として神を知ることができず、ましてや神の心意と一致することなど到底できない。そのような人はみな、価値のない下劣な人であり、高い位置から神を説く。神を旗印に使いながらも、故意に神に反対する。神を信じていると断言しながらも、人の肉を食べ、人の血を飲む。そのような人はみな、人の魂を食い尽くす悪魔であり、正しい道を歩もうとする人をわざと邪魔する悪霊の頭であり、神を求める人を妨害するつまずきの石である。彼らは『健全な体質』をしているように見えるかもしれないが、神に対抗するように人々を導く反キリストに他ならないことを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか。彼らが人間の魂をむさぼり食うことを専門とする生きた悪魔であることを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか(『神の出現と働き』「神を知らない人はすべて神に反対する人である」〔『言葉』第1巻〕)

私はずっと、牧師と長老は主に仕える人で、聖書について最高の知識をもち、神の御心にもっともかなう人のはずだと思っていました。主がお戻りになるとき、主をお迎えできるのはきっとこの人たちだと考えてきたのです。主の再臨の知らせを聞いたその牧師がそれを求めも調べもせず、あそこまで傲慢かつ独善的になって自分の観念と想像に固執し、神のこと、そして神による終わりの日の働きのことを裁いて断罪するなどとは想像もしていませんでした。神を畏れる心がまったくなく、ひたすら自分の地位と生計を守ろうと、「信徒を守る」という旗印のもと、信者が神による終わりの日の働きを調べるのを妨げ阻止しているほどなのです。神による終わりの日の働きを受け入れた信者について言えば、牧師と長老は教会からの追放という脅しで彼らを怯えさせ、教会に所属する他の兄弟姉妹が彼らのことを拒絶するように仕向けてさえいます。それらの兄弟姉妹に福音を宣べ伝えることができないようにするためです。なんとよこしまで悪意に満ちた人たちなのでしょう! ユダヤの時代のパリサイ人は自分の地位と生計を守るべく、主に激しく抵抗して断罪し、主を十字架にかけました。今日の牧師や長老はパリサイ人とまさに同じ本質をもっています。彼らは終わりの日の神の働きによって暴かれた反キリストであり、人の魂を食い尽くす悪魔なのです。その瞬間、神のことも、神の働きのことも知らずに神を信じれば、どれほど苦しんでいるように見えようと、あるいはどれほど自分を費やしているように見えようと、その人は傲慢で自惚れた自分のサタン的性質に頼ることで、絶えず神に抵抗し、神の性質に背くということがようやく完全にわかりました。

そのとき、私は心の中で神に感謝を捧げ、神を讃美せずにはいられなくなりました。振り返ると、自分は牧師や長老の信心家ぶった見かけに惑わされ、常に彼らを崇拝し、彼らに従って服従していました。主をお迎えすることになると、私は彼らと手を携えて神に抵抗さえしたのです。神が彼らの正体を暴かれたおかげで、私はようやく牧師や長老の神を憎み真理を憎む悪魔的本質を目の当たりにし、彼らが私に仕掛けた迷宮をくぐり抜けて主の再臨をお迎えできるようになりました。私を救ってくださった神に心から感謝するとともに、神の愛に報いることができるよう、神への信仰の道で熱心に真理を追い求めていきたいと思います!

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