偽指導者を暴く:個人の戦い

チェンイー(韓国)

昨年、わたしは町の外の教会で本分を尽くしていましたが、実際の働きをしていないせいで解任され、自宅に戻りました。その後、リー姉妹というわたしたちの指導者が、神の御言葉について光のあることを何も語れず、教義を文字通り説いているだけだということを知りました。自己認識することについて話したり、自身の経験を伝えたりすることがないのです。他の人の問題を解決するときも、見習いにものを教える親方のように横柄で、実際の問題を解決することができません。自分が仰ぎ見られ、尊敬されるよう、本分を尽くす中でいかに働き、苦しんだかをいつも語っていました。まさに自分自身が法なのです。一方、中国共産党がクリスチャンを逮捕しているのを見て恐怖を感じている、信仰の道に入ったばかりの姉妹がいました。しかしリー姉妹は真理の交わりをして彼女を支えるのでなく、単に本分から外しただけでした。わたしは一部の執事と一緒に何度も意見をしましたが、彼女は言い訳をしたり、わたしたちと口論するばかりです。原則に基づけば、真理の原則に沿って物事を行なわず、兄弟姉妹の監視と刈り込みを受け入れようとしない指導者は、真理を受け入れそれに従う人ではありません。リー姉妹は自己を認識しておらず、いのちの入りも欠いていて、他者の現実の問題を解決することができません。このような教会指導者は、教会の働きと兄弟姉妹のいのちに害をもたらすことしかできません。リー姉妹は偽指導者であり、教会の働きにふさわしくないと確信したわたしは、彼女のことを報告しようと思いました。しかし、報告の手紙を書いていたところ、怖じ気づいてしまったのです。わたしは解任されたばかりで、自分の本分を尽くしていない。リー姉妹のことを報告しても、みんながわたしと同じように見てくれなければ、わたしに背を向けてしまうかもしれない。「ほら、チェンイーを見て。解任されたばかりなのに、頭を低くしていることができない。他の人ではなく、自分自身に目を向けるべきだわ。本物の自己認識も悔い改めもしてないみたい」。そんなことを言われたら、一緒にいるとき顔を上げることができません。解任された偽指導者である自分には、ものを言う余地などこれっぽっちもないのだと思いました。また、その報告によってリー姉妹は気分を害するかもしれないけれど、同じ教会にいる以上、いつも顔を合わせていることがとりわけ頭から離れませんでした。そうなれば、どうしてうまく付き合っていけるでしょう? 彼女が自分の地位を保ち、わたしを困らせるようなことになったら? それを考えれば考えるほど、追い詰められた気分になりました。報告したら彼女を怒らせるかもしれないし、自分はそのように首を突っ込むべきではない。自分の状況を考えたら、とてもそんな余裕はないし、教会の偽指導者だけがわたしの抱えている問題じゃない。他の誰かに彼女のことを報告させよう。集会に出て、和を守れればそれで十分。

こうしてその問題を頭から追い出すことにしましたが、それでも不安が消えません。夜、わたしはベッドに横たわったものの、集会で自分を誇示し、丸暗記した教義を説くリー姉妹の姿で頭の中が一杯でした。このような状態が続けば、兄弟姉妹に害が及ぶ。声を上げなかったことが申し訳なく思われました。その後、神のこの御言葉を読んだのです。「例えば、ある人物が指導する人々のチームがあるとします。もし、この人物が『リーダー』または『労働者』と呼ばれるなら、チーム内におけるその役目は何ですか。(リーダーという役目です。)この人物が指導する人々とチームに対して、その指導は全体的にどのような影響を与えますか。それは、チームの方向性と道筋に影響します。すなわち、もし指導者の立場にいるこの人物が誤った道を歩めば、少なくともその下にいる人々とチーム全体が正しい道から逸れるということです。その上、彼らがそのまま進むにつれ、チーム全体の速度と歩調だけでなく、その方向性をも分裂させたり破壊させたりする可能性があります。そのため、人々のこうしたグループにおいては、この人物による神への信仰と同様に、この人物が辿る道や選ぶ道、真理に対する理解度も、本人のみならず、その指導を受けるすべての兄弟姉妹に影響します。もしリーダーが正しい人物であり、正しい道を歩み、真理を追求し、実践するなら、そのリーダーが指導する人々は適切に飲み食いし、適切に求め、同時に、そのリーダーの個人的な進歩は常に他の人たちから認識されるでしょう。それでは、リーダーが歩むべき正しい道とはどのようなものですか。それは、他者が真理を理解し、真理へと入るように導くことができ、他者を神の前に導くことができる道です。誤った道とはどのようなものですか。それは、頻繫に自分自身を持ち上げ、自分自身を証しし、地位、名声、利益を追い求め、神を一切証ししない道です。これは、その人物の下にいる人々にどのような影響を及ぼしますか。(それらの人々をその人物の前に立たせます。)人々は神から遠く離れてさまよい、このリーダーの支配を受けることになります。もしあなたが人を自らの前に立たせるように導くなら、人を墜落した人類の前に立たせるように導いているのであり、神ではなく、サタンの前に立たせるように導いているのです。人を真理の前に立たせるように導いて初めて、人を神の前に立たせるように導くことになるのです。これらが、この二種類の人物――正しい道を歩む人と誤った道を歩む人――が、その指導を受ける人に与える影響です」(『反キリストを暴く』より)。指導者の歩む道は、自分自身に影響を与えるだけでなく、他者のいのちの入りと、教会の働き全体にも直接影響を与えるのだと、神の御言葉からわかりました。リー姉妹は空虚な言葉を説くばかりで、兄弟姉妹の実生活における困難を解決することができません。いつも自分を誇示し、人々や兄弟姉妹を惑わせて、自分を仰ぎ見るようにさせています。その上、傲慢かつ横暴で、教会の働きの多くで彼女だけが決定権を握っています。真理の原則を求めることも、みんなの提案を受け入れることもせず、自分の観念を基に物事を扱うばかりです。彼女が教会の働きを守るなどとても無理で、ただ妨げているだけです。このような偽指導者が教会にいると、教会姉妹も彼女もろとも引きずり込まれてしまいます。数多くの信者が偽指導者に惑わされ、そのせいで彼らのいのちが苦しんでいる様を、神は深い悲しみとともにご覧になっています。リー姉妹が偽指導者であることをわたしはすでに見抜いており、また偽指導者が実権を握ることで兄弟姉妹や教会生活にもたらされる害も目にしました。しかし、彼女を怒らせるのが怖いという、ただそれだけの理由で、教会の働きとみんなのいのちの入りが妨げられているのを、わたしはただ見ていただけなのです。彼女を暴いて報告しようと立ち上がることはしませんでした。まったく義ではなく、神の御旨を配慮していません。感覚というものがないのです!以前の本分で実際の働きをしなかったことにより、わたしはすでに教会の働きに害を及ぼしています。そして今、偽指導者が神の選民を惑わすのを目にしながら、立ち上がって彼女のことを報告せず、教会の利益も守らないなんて、わたしは道から外れています!自分は神に借りがあり、また一つの被造物として立ち上がり、神の御旨に配慮して教会の働きを守らなければならないと、ますます強く感じました。それがわたしの本分であり、果たすべき責任なのです!そう考えると力が湧き、自分にこう言い聞かせました。「教会の利益のために、そして神の選民が本物の教会生活を送れるようにするために、わたしは真理を実践し、リー姉妹の問題について声を上げなければ。偽指導者が兄弟姉妹を導いて迷わせるのを、これ以上許すわけにはいかない!」こうして報告書を書こうと準備したのですが、最近、ある年配の姉妹がリー姉妹の問題を本人に直接指摘したところ、彼女との集会をやめたという話が耳に入りました。それを聞いてわたしは激怒しました。彼女は真理を受け入れるのをきっぱり拒んだ。しかし同時に、再び不安が生じました。多少の意見を言ったからという理由で、彼女はその姉妹を排斥した。わたしが報告したことを知ったら、わたしに腹を立てて困らせるかしら? わたしを非難し始め、指導者と働き手を攻撃したと言って責めたら、他の人はどう思うだろう? 彼女に抑え込まれれば本分を尽くす機会がなくなるし、そっちのほうがずっと耐えがたい。でも報告しなければ、罪の意識を感じるはず。わたしの中で葛藤が始まり、心が大いに乱れました。

そこで神の御前に出て祈り、探求したあと、神の御言葉の中からこの文章を読みました。「皆が自分は神の重荷を思いやっており教会の証しを守るつもりだと言うが、一体誰が本当に神の重荷を思いやったのか。自問してみなさい、あなたは神の重荷に配慮を示した人間なのか。神のために義を実践することができるか。立ち上がってわたしのために語ることができるか。真理を揺るぎなく実践に移すことができるか。サタンのすべての仕業に大胆に立ち向かうことができるか。わたしの真理のために、感情を脇に置き、サタンを暴露することができるか。わたしの旨をあなたの中で成就させることができるか。最も重要なときに、自分の心を捧げたのか。あなたはわたしの旨を行う者か。こうしたことを頻繁に自問し、考えてみなさい」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第十三章」)。一言一句がわたしの良心の扉を叩いているように感じられましたが、「皆が自分は神の重荷を思いやっており教会の証しを守るつもりだと言うが、一体誰が本当に神の重荷を思いやったのか」という部分は特にそうでした。神がわたしのすぐそばに立たれ、この質問をなさっているように思われたのです。リー姉妹が偽指導者であり、それをすぐに解決できなければ、神の選民のいのちの入りに害が及ぶとわかっていながら、彼女を怒らせたら不満を持たれるのではないか、または孤立させられ、教会から追い出されるのではないかと不安になっていました。事あるごとに自分の利益を守るばかりで、原則を守って彼女のことを報告しようとはしなかったのです。この霊の戦いでは、重大なときに証しに立つことが求められますが、わたしは自分の利益を守ってお人好しになり、神を嫌悪させていました。本当に自分が憎くなりました。これ以上お人好しでいたくはありません。その後、わたしは心を落ち着け自分自身を反省しました。自分は、彼女が偽指導者であることを十分認識しており、原則に沿って彼女のことを報告したいと思っている。でも、意見をしたという理由で彼女が誰かを排斥したと聞くと、教会の働きのために立ち上がるのでなく、自分を守るほうを選んでしまった。なぜそうしたの? どうしていつも自分の利益を守っているの? わたしは祈り、この問題についての探求を始めました。

そしてある日のデボーションで、次の神の御言葉を読んだのです。「ほとんどの人は真理を追い求めて実践したいと願っていますが、多くの場合、そういう決意や願いを持つだけで終わってしまい、真理のいのちを持つことはありません。その結果として、悪の勢力に出くわしたり、悪行を行う邪悪で悪質な人たちや、原則に反するやり方で行動し、それによって神の家の働きに損失を与え、神の選民を害している偽指導者や反キリストに遭遇したりすると、立ち上がって声を上げる勇気を失ってしまうのです。勇気がないとはどういう意味でしょうか。臆病だったり、意見をはっきり言えなかったりするのでしょうか。それともあまりよくわかっていないので、声を上げる自信がないのでしょうか。どれも違います。それはさまざまな種類の堕落した性質に支配されているということなのです。その性質の一つがずる賢さです。あなたはまず自分のことを心配して、『声を上げたら、自分にとって何の役に立つだろうか? 声を上げて誰かを不快にさせたら、その人と今後どうやっていけばいい?』などと考えます。これはずる賢い考え方ですよね? ずる賢い性質の現れではないでしょうか。もう一つは、利己的かつ下劣な性質であり、あなたはこのように考えます。『神の家の利益が損なわれても、それがわたしに何の関係があるのか。どうして気にしなければいけないのか。わたしには何の関係もない。そうなるのを見聞きしたとしても、何もする必要はない。それはわたしの責任ではない。指導者ではないのだから』。あなたはこのようなことを内側に抱えていて、それはあたかも無意識から生じ、心の中で永久的な位置を占めているかのようです。このようなものが人の堕落したサタン的性質なのです。堕落した性質があなたの思いを支配し、あなたの手足を縛り、あなたの口を操ります。何か言いたいと心の中で思うと、言葉が口から出かかりますが、言わないか、あるいは口にしたとしても、言葉は回りくどく、策略の余地があります。全然はっきりと話さないからです。あなたの言葉を聞いても人は何も感じず、あなたの発言は問題を解決していません。あなたは内心こう考えます。『とにかく話した。良心は落ち着いている。自分の責任は果たした』。実際のところ、あなたは自分が言うべきことをすべて言っておらず、言ったことには何の効果もなく、神の家の働きへの損失がまだ残っていると心の中ではわかっています。あなたは責任を果たしていないのに、自分は責任を果たしたとか、何が起きたかはっきりわからなかったなどとあからさまに言います。これでは、堕落したサタン的性質に完全に支配されているのではないですか」(『終わりの日のキリスト講話集』の「真理を実践する者だけが神を畏れる」)。神の御言葉を通じて、わたしは問題に直面しても自分のことしか考えていなかったことに気づきました。利己的で不実だったのです。「己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす」、「賢い人は保身に長け、ひたすら過ちを犯さないようにする」、「誤りだと知っても指摘しないほうがよい」、「利成らずば早起きは無駄」といったサタンの哲学に従い、それらがわたしの本性に深く根を下ろし、わたしを固く縛りつけていたので、真理を実践することがとんでもなく難しくなっていました。教会の働きのため、原則に沿って彼女のことを報告すべきだと知りながら、いざそうしようとすると、彼女を怒らせ、批判され虐げられることを恐れました。そう考えたとたん、義務や責任や本分に対する感覚を一切失い、教会に偽指導者がいても、それは自分の問題ではないと思いました。彼女を怒らせず、自分を守ることができるよう、さざ波を立てまいとしました。聖霊の啓きに何度も逆らい、しまいには罪悪感さえ覚えなくなりました。サタンの堕落にすっかり縛られていたのです。わたしは以前の本分でも同じような過ちを犯し、サタンの人生哲学によって生きていました。そして真理を曲解し、それゆえ解任されるべき傲慢な指導者がいるのを突きとめました。しかしそのとき、彼女が多少の素質を持っていて、教義を文字通り説き、他人を惑わすのに優れていることを目にしました。大勢の兄弟姉妹が彼女のことを見抜けずにいることを知ったわたしは、もし彼女が解任されてしまうと、みんながわたしを非難し、この人は冷血だと言うのではないかと不安になりました。そのため、彼女が解任されるまで二ヵ月以上もの時間を無駄にしてしまったのです。これは教会の働きをとんでもなく妨げました。わたしは教会に偽指導者がいることを知りながら、以前と同じ過ちを犯してしまい、それに関わらないようにしたのです。このように本分を尽くしていたことで、自分がいかに利己的かつ不実だったかがわかり、また自分の利益に影響が出ると、真理を実践できないことも知りました。何度も真理に背いて証しを失ったのであり、これは恥の印です。それに気づいたわたしは神の前でひれ伏し、こう祈りました。「ああ、神よ! サタンがわたしをどれだけ深く堕落させていたか、今ようやくわかりました。わたしは自分勝手で卑劣なお人好しです。下劣で汚れています。神よ、どうかわたしを堕落した性質の束縛からお救いください」。

その後、わたしは次のような内容の説教を読みました。つまり、サタンは俗世を支配しているものの、教会では神と真理が実権を握っており、両者は二つの異なる世界であって、また神の家では、悪人や人間性に乏しい者が指導者に選ばれることがあっても、真理の現実がなければ、その地位に長く留まれないのです。これは、神の家では真理が支配していることを証明しています。サタンは俗世を闇で掌握し、人々はその哲学を基に話したり行動したりすることを余儀なくされています。おべっかを言うのが先へ進む唯一の方法なのです。正直にものを言って誰かを怒らせると、それは懲罰につながります。普通の人のあいだであろうと、あるいは権力者のあいだであろうと、正直でいるといじめられ、排斥され、多くの人がそのせいで命さえも落とします。しかし神の家では真理と義が支配しています。真理を追い求める人、正義感を持つ誠実な人を神は祝福して好まれます。教会の利益と神の選民を守り、偽指導者や反キリストを進んで暴く人は、神に認められ、救われ、守っていただけます。そうした人はまた、他の人たちにも認められ、支えてもらえます。真理に従わず、それに逆らう人は、名声や地位がどれほど立派でも、最後は聖霊に捨てられ淘汰されます。昨年教会から追い出された、ヤンという反キリストがまさにそうでした。彼女は指導者を務め、家族や友人を重要な地位に就けていましたが、異を唱える人は誰であっても抑え込み、排斥していました。神に逆らう中で自分の帝国を築こうとし、捧げ物を盗みさえしたのです。自分は家族や友人に囲まれているのだから、悪事が暴かれることはないと思い込んでいました。しかし、神はすべてをご覧になり、そのお知恵でもって、サタンの策略をご自身の有利になるよう用いられます。正義感を持つ人が彼女の悪を報告して暴く環境を、神は整えられました。教会による調査と確認が行なわれたあと、彼女は盗んだものをすべて戻すことを余儀なくされただけでなく、その教会から永遠に追放されました。本分や地位が何であろうと、悪事を犯したり、真理を追い求めなかったりする人は、誰一人神の義なる裁きから逃れられないということを、この事実は示しています。神の家は俗世と違います。真理に反する物事が神の家で栄えることはあり得ません。真理に反することを見つけたら、誰であっても立ち上がり、それを暴いて止めることができます。これは、神の家では真理が支配していることを示しています。リー姉妹を報告することについて、わたしは神の義を理解しておらず、神が万物をご覧になり、支配されていることにも気づいていませんでした。偽指導者や反キリストは神の家で足がかりを得られません。自分に尽くすべき本分があるかどうか、自分の運命と結末がどういったものであるかは、すべて神の手中にあり、指導者の手中にはありません。わたしはこれ以上、彼女に妨げられるわけにはいきません。そこでリー姉妹の問題について、事実に基づいた報告書を記しました。その直後、状況を確かめるべく一人の指導者が教会に来ました。そして、原則によればリー姉妹は偽指導者であると判断され、追放されました。その後、リー姉妹はデボーションと反省を通じて多少の自己認識を得て、悔い改めて変わることを望みました。次に選ばれた指導者は真理を追い求める姉妹であり、教会の働きもすべて徐々に回復していきました。わたしは神の義を見るとともに、神の家では真理が支配していることを目の当たりにしました。神はわたしの利己心と不実さを暴き、偽指導者の報告を通じてわたしの堕落を清めてくださいました。これはまさに、神がわたしを救い、完全にしてくださっているのです!

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