神の光の導きで苦境を切り抜ける

2021年1月31日

私は子供の頃、山あいの地に住んでいました。外の世界をあまり見たことがなく、さしたる望みも抱いていませんでした。結婚して子供ができ、二人の息子は利口で素直に育ち、夫は働き者でした。私たちはあまり裕福ではありませんでしたが、一家仲良く暮らし、私はとても幸せで満ち足りていました。1996年、私は突然重病にかかり、それがきっかけで主イエスへの信仰をもちました。以来、聖書を頻繁に読み、教会の集会にも積極的に参加しました。驚いたことに、病気が徐々に快方に向かい、かくして主イエスにつき従おうという私の信仰は一層強まったのです。

ところが1999年、主イエスへの信仰を理由に警察に逮捕されるという、まったく予期せぬことが起こりました。丸一日拘置され、二百四十元(訳注:約三千六百円)の罰金を課せられました。一般の人には大した金額ではないかもしれませんが、貧しい山岳地帯に住む私たち農家にとっては決して小額ではありません。それだけの金を工面するために、苦労して自分の畑に植えたピーナッツを全部売るはめになったのです。本当に理解できなかったのは、なぜ自分が中共政府に「反革命組織に参加した」犯罪者と指定されたかでした。政府は家族全員を脅し、息子たちが大学を卒業しても就職できないと言いました。そのため夫も両親も親戚も私に圧力をかけるようになり、私の信仰を抑圧し、妨害しようとしたのです。家族は私に大変で疲れる用事をさせ、私はそれにただ黙って耐えるしかありませんでした。

2003年、私は幸運にも終わりの日の全能神の働きを受け入れました。神の御言葉を読むことで、全能神が再臨された主イエスだと確信したのです。生きている間に神と再会できることはこの上ない祝福だ、と非常に胸を躍らせました。しかしそれ以来、中共政府からも家からも更に圧力を受けたのです。このような環境の中、私は神に「どんなにつらくなっても、どんなに苦しんでも最後まであなたにつき従います」と誓いを立てました。その後、中共警察が私の家に来て、「お前が神を信じるのは違法で、この国では許されないことは知っているのか。信仰を続けたら刑務所暮らしだぞ」と威嚇しました。夫はそれを聞くと、私をもっと圧迫するようになりました。私をしばしば殴って怒鳴りつけ、家に居させてもくれませんでした。私はやむをえず自分の中のつらさを押さえ、中共政府による迫害と逮捕を避けるために家を出るしかありませんでした。そのときの私は、中共の迫害のため故郷を追われ、放浪生活を余儀なくされたにもかかわらず、その背後にある、一家の離散を引き起こした悪意ある手を未だに認知していませんでした。獄中生活と、中共政府による際限なき攻撃と虚偽の告発を自ら体験して初めて、中共のよこしまで反動的な本質を真に認識し、中共こそが人々の幸せな家庭を壊し、人々に凄惨な災難をもたらす元凶であると悟ったのです。

2012年12月16日、私が5人の兄弟姉妹と福音を宣教していたとき、突然4人の警官が車で走り寄って来て私たちを逮捕しました。私たちを警察署に連れて行き、私に手錠をかけた後、そのうちの一人が叫びました。「いいか、お前ら、盗みや追いはぎはしてもいい、殺しや放火もいい、体を売るのも我々にはどうでもいい。だが神を信じることだけはもっての外だ。神を信じることで、お前たちは共産党に楯突いている。罰せねばならん」その男は話しながら、私を激しく平手打ちし、ひどく蹴りました。その暴行に私はもう限界だと感じたため、心の中で何度も神に呼びかけました。「ああ神よ、この悪しき警官たちがいつまで私を痛めつけるかわからず、これ以上耐えられそうにありません。しかしユダになるよりは死んだほうがましです。あなたを裏切りはしません。どうか私を見守り、加護と導きをお与えください。」祈った後、「息が絶えるまで神に忠誠を尽くし、最後までサタンと戦おう。そして神の証しを立てて神に満足して頂こう」と心の中で静かに決心しました。その後、警察の一人が私を捜索し、所持していた二百三十元の現金を見つけました。その男は陰険ににやけながら、「この金は盗品だ。没収しないとな」と言って現金をポケットにしまい、自分のものにしました。その後、彼らは私たちに「どこから来た。名前は何だ。誰がお前たちをここに送った」と尋問し始めました。私が名前と住所を伝えると、彼らはすぐに私の家族全員の情報をコンピューターで見つけました。私は彼らに自分の基本的な個人情報を提供しましたが、教会に関する尋問には一つも答えようとしませんでした。

その後、警察は常套手段の一つを仕掛けました。神を信じない人を路上で十数人見つけ、私が全能神の国の福音を説いていたことを証言させたのです。それから警察はその人々に、私に関する多くの嘘と虚偽の告発を伝えました。その人々はみな私を嘲笑し、中傷し、侮辱しました。私はひどく悔しくなり、どうすればこの状況を切り抜けられるかわからなかったので、信仰と強さをお与えくださいと心の中で神に呼びかけ続けました。ちょうどその時、神の御言葉の賛美歌の一部が心に浮かびました。「肉にある神は裁かれ 罪に定められ 嘲笑され 悪魔と宗教界に追い払われた 誰も神の痛みを埋め合わすことはできない神は忍耐強く 堕落から人を救い 傷つきながら人を愛する これは数ある中で最も辛い働きである人類の抵抗や中傷 追跡とでっち上げは 神の肉が危機に直面する原因となる 誰がその苦痛を理解し和らげることができるのか?(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「神は傷つきながら人を愛する」より編集)以前の私は、神が人類を救うために受けられる苦痛を理論でしか理解していませんでしたが、このとき自分がそのような実際の状況に置かれて初めて、神の苦しみがいかに大きいかがようやくわかり始めたのです。義にして聖なる神は、卑しく堕落した私たち人間とともに生きるために肉となられました。私たちを救うためにあらゆる嘲笑と侮辱、断罪と中傷、迫害と追跡に耐えてこられました。神を信じる私たちすら神を理解しないことが多く、神を思い誤り、神を責めさえします。こうした仕打ちは神にとって非常につらいものですが、それでも神はご自身の傷に耐え、人類を愛してくださいます。神の本質はそれほどまでに偉大で尊いのです。私は以前聖書で「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない(ルカ17:24–25)という言葉を読みましたが、今日初めて、それが実現したと悟りました。これに私は非常に悲しくなり、それまで神の御心を意識していなかったことを後悔しました……私が落ち着きを取り戻すより早く、警察が私の首に「邪教信者」と書かれた札を掛けて写真を撮りました。その後、さらに数枚の写真を撮りながら、私にしゃがんで福音の資料を指差すように命じました。私は足があまりにも痛くてしゃがんでいられませんでした。そのとき私の携帯電話が鳴り、私はハッとして、「教会の兄弟か姉妹からだ。絶対に巻き込むわけにはいかない」と思いました。すかさず電話を手に取って床に叩きつけ、粉々に砕きました。これに警察は即座に激怒しました。彼らは我を忘れたように、私を首輪で持ち上げ、顔を数回激しく打ちました。私はすぐに顔が焼けるように熱くなり、ひどく耳鳴りがして何も聞こえなくなりました。それから彼らは力いっぱい私の足を蹴りますが、それでも怒りを発散しきれず、この悪しき警察は私を暗い部屋に引きずり込み、顔を平手打ちしながら壁を背にして立たせました。そして私にまたひどい一撃を加えたのです。そんな中、私はなんとか涙をこらえ、無言で神に祈りました。「全能神よ、今起こっていることのすべてにはあなたのご厚意がこめられていると信じています。この悪しき警官たちにどう痛めつけられても、私は常にあなたの証しを立て、決してサタンに屈しません」驚いたことに、この祈りを口にしたとたん、急に聴覚が戻り、悪しき警官の一人がこう話すのだけが聞こえました。「この女は本当に頑固だ。涙一つ流さないし、悲鳴も上げない。まだ攻めが甘いかもしれないな。テーザー銃を持ってこい。これで少しは声を出すかどうか見てやろう」別の警官が電気棒を握って、私の太ももに強く押し付けました。引き裂くような激痛が即座に走り、私はあまりの痛さにすぐさま床に倒れました。頭が壁にぶつかり、血が流れ出しました。警官たちは私を指差して叫びました。「ふりをするのはやめろ。起きるんだ。三分待ってやる。立たないとまた打ちのめすぞ。死んだふりなどとも考えもするな」しかしどう叫んでも私が本当に動けなかったので、彼らは私にひどい蹴りをもう一発入れて終わりにしました。

私は警察から加えられる残忍で非人道的な拷問に耐えかね、真剣に神に祈りました。「ああ、全能神よ。私はもう耐えられません。どうか私に信仰と強さをお与えください」激しい苦しみの中で、神の御言葉の賛美歌が思い浮かびました。「あなたは神を信じているのだから、神の前で自分の心を差し出さなければならない。神の前で自分の心を捧げ、神に委ねるなら、精錬の間、あなたが神を否定したり、神から離れたりすることはあり得ない。……神の試練が突如降りかかる日が来ても、あなたは神の側に立つことができるだけでなく、神への証しも行なえる。その時、あなたはヨブのように、ペテロのようになるのである。神への証しを行なったあなたは、真に神を愛し、神のために喜んで命を差し出すだろう。あなたは神の証人であり、神に愛される者となるだろう。精錬を経た愛は強く、弱くはない。いつ、どのように神があなたを試練に晒そうとも、あなたは自分の生死に関する懸念を捨て去り、神のために喜んですべてをなげうち、神のためにどんなことでも耐えることができる。かくして、あなたの愛は純粋になり、信仰は本物になる。その時初めてあなたは真に神に愛される者、神によって真に完全にされた者となる(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「神を信じるなら神の前で心を捧げなさい」)神の啓きのおかげで私は御心を理解することができ、無尽蔵の信仰と強さも得ました。私は再び神に祈りました。「ああ神よ、今日私の身に起こっていることはすべてあなたのお許しによって起こっており、そのすべてにあなたのご厚意がこめられていると信じます。この悪魔たちの演出を通して、私は中共の管理下にある法執行機関が暴力組織であることがやっとわかり、彼らに屈することはできません。私はただあなたに心を捧げ、あなたの傍らに立つことを望みます。ああ神よ、私のあなたへの愛はそのような試練と精錬を経験することでのみ強められると私は知っています。たとえ今日サタンに命を奪われたとしても、私は不平を言いません。あなたの証しをできるのは、被造物としての私の名誉です。以前の私は本分を十分に尽くしておらず、あなたに大きな借りがあります。今日あなたのために死ぬ機会をもてたことは、最も意味のあることです。あなたに従うことを望みます」この祈りの後、私は大いに感慨にふけり、神に従うためにこの苦痛を受けるのは信じられないほど有意義なことであり、たとえ死んでもそれだけの価値があると感じました。

ある女性警察官が来て私を立ち上がらせてくれたのはおそらくそれから十数分後でした。彼女は親切を装ってこう言いました。「考えてみて。あなたはもうその年で、子供は二人とも大学生でしょう。こんな目に遭って本当に意味があるのかしら。知りたいことを教えてくれたらすぐ出られるのよ」  私が返答しなかったので、彼女は続けました、「あなたは母親なのだから、息子さんたちのことを考えるべきよ。私たちは今共産党の支配下で暮らしていて、中共政府はすべての宗教信仰に反対し、抑圧している。特に全能神を信じるあなたたちを嫌っている。あなたがどうしても政府に反抗すると言うなら、家族全員が罪に問われてもいいのかしら。やがてご両親もご主人もみんな巻き込まれて、子供と孫は軍隊に入ることも、幹部になることも、公務員になることもあきらめないといけない。警備員に雇ってくれる人もいないわ。息子さんたちが大人になったとき、ただの労働者になって、あなたのように雑用ばかりして、一生貧しくなってもいいのかしら」サタンが私に狡猾な策略を仕掛けていたそのとき、神の御言葉がさっと私の心をよぎりました。「宇宙で起こるすべてのことのうち、わたしが最終的な決定権を持たないものはない。わたしの手の中にないものなどあるだろうか。わたしの言うことは何であれ実行されるが、人間のうちの誰にわたしの心を変えられるというのか(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第一章」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉のおかげで、私はサタンの狡猾な策略を見抜くことができ、中共が子供たちの将来を利用して私の口を割らせようとしていることに気づきました。それでも、私たちの人間としての運命は私たち自身の手にも、警察の手にもなく、神の御手に握られていることを私は承知していました。私の子供たちが将来どのような仕事をするか、裕福になるか貧しくなるかはすべて神次第なのです。そのことに思いを巡らせると、私は警察に少しも束縛された感じがしませんでした。御言葉の導きのおかげで、神が自分のそばにいて、守ってくださっていることを真に理解でき、神をよりしっかり信頼するようになりました。そのため私はそっぽを向いて沈黙しました。警官は私をさんざん叱りつけ、かんかんになって去りました。

夜が近づいていました。警察は私からも教会の姉妹からも何一つ聞き出せなかったので、私たちを県の拘置所に送るしかありませんでした。しかしそこの警察は、「かなり重大な案件だ。市の拘留所に行ってもらう」と言いました。そこに着いたのはすでに午前一時過ぎで、私に見えたのは金属の棒でできた何列かの大きな門だけ。それはどこから見ても実に重苦しく、恐怖を感じさせるものでした。 最初の門で、私たちは衣類を全部脱いで、身体検査を受けなければなりませんでした。その後、服のボタンとチャックが全部切り取られ、ずたずたになった服を着させられて、私は乞食になったような気分でした。二番目の門では、体の状態の検査を受けさせられました。検査官は私の足に警察に打たれた時のあざを見つけ、私が歩きづらそうにしているのに気づきましたが、ただじろじろ見て、「まったく大丈夫だ。何も心配することはない」と嘘をついたのです。刑務所の規則では、「検査中に病気や怪我が発見された場合、治療を施すべし」と明記されていますが、実際のところ、彼らは囚人が生きようか死のうが気にしません。彼らは私に「お前たち全能神の信者は神が守ってくれる。何とかなるだろう」と皮肉を言いました。監房に連れて行かれたところ、ある囚人がシーツの下から顔を出し、「服を全部脱ぎなさい」と私に大声で言いました。私はせめて下着だけはと乞いましたが、彼女はただ意地悪そうに薄笑いを浮かべ、「ここに来たら決まりを守らないといけないのよ」と言いました。すると他の囚人が全員、シーツの下から顔を出し、がやがやとひどい音を立て始めました。二十平方メートルちょっとの部屋に十八人の囚人が閉じ込められていたのです。彼女たちは麻薬の売人、殺人犯、横領犯、泥棒でした。監房のいわゆる「班長」の仕事は、毎日様々なやり方で人を罰することでした。ただ楽しみのために人を苦しめるのです。朝になると、「副班長」が私に決まりを教え、床を毎日二回モップがけするように言いました。彼女は絶えず私に与える用事を見つけ、「絶対に生産ノルマをこなすのよ。もっと早くやりなさい。さもないと罰よ」と言いました。看守たちは野獣のように振る舞い、理由もなく囚人を罰することもよくありました。その一人は私に「俺の言うことは何でも通る。お前が報告しても構わん。したければ報告してみろ。期待以上のことをしてやるからな」と脅しました。この悪しき刑務官はまったく好き勝手にのさばっていました。そこでは、「金があれば鬼にひき臼を回させることができる」であり、刑務官にお金を渡しさえすれば「法」を免れたのです。囚人の中に大金を横領した官僚夫人がいました。彼女はしばしば看守にお金を渡し、毎日班長に軽食を買っていました。そのおかげで一日中何も仕事をせずにすみ、他の人に食器を洗ってもらったり、シーツをたたんでもらったりしていたのです。私はこの地獄のような刑務所の監房で暮らし、お金も権利もなく、ありとあらゆるいじめや拷問に毎日耐えなければなりませんでしたが、二人の教会の姉妹と一緒だったことがせめてもの慰めでした。私たちは家族のようでした。この困難な時期も、機会があればいつでも交わりました。互いに支え、助け合いました。絶えず神にすがり、信仰と強さを与えてくださるようにお願いしました。それぞれが助け合って、支え合い、ともにこのつらい時期を乗り越えました。

私は拘留所にいる間、警察の尋問をさらに四回受けました。その中の一度、尋問に来た男たちは市公安局と国家安全隊の者だと言いました。私は「市公安局の人なら地元の警官より確実に有能で教養もある。ちゃんと法律どおりにするはずだ」と思いました。しかし、現実は想像と違いました。市公安局の男は部屋に入るや否やテーブルに足を載せて椅子にふんぞり返りました。全身が傲慢さを醸し出しており、私に侮蔑の眼差しを向けました。そして立ち上がり、私のもとへ歩いて来たかと思うとタバコを深く吸い込み、煙を私の顔に吐きかけたのです。これで私は中共警察がみな同じであるとやっと気づき、この男は違うだろうと思った自分を笑わずにはいられませんでした。彼らが次にどんな策略を仕掛けてくるかわからなかったため、私は無言で神に祈りました。「ああ全能神よ。サタンを打ち負かすための知恵を私に与え、私があなたに栄光を帰して証しを立てられるようにしてください」ちょうどその時、国家安全隊の警官が「お前のことはもう知り尽くしている。協力すれば釈放してやろう」と言いました。私はその警官に目を向け、陰気に笑いかけました。私に妥協する気があると思った彼らは「今から協力する気はあるか」と言いました。私が「言うべきことはとっくに言いました」と答えると、悪しき警察は怒り狂い、私に卑猥な言葉を浴びせました。「俺たちはお前がここを堂々と出られるようにしてやっているんだ。なのにお前は断るのか。今日しゃべるつもりがないなら、これからもじっくり相手をしてやる。息子たちを退学させて、卒業できないようにするぞ」そして私の携帯電話を取り出して、脅しました。「ここに入っている番号は誰のだ。今日教えないと、七、八年の懲役だぞ。他の囚人たちにいつもいたぶられて、死んだほうがましだと思うようにしてやる」警官がどう答えを迫って来ても、私は反応せず、恐れさえしませんでした。神の御言葉が私を心の奥から啓いてくれたからです。「なぜなら、救われて生き残るために、あなたはそうした苦難を耐えなければならないからです。さらに、それは神によって予め定められたことです。ゆえに、この苦難があなたに降りかかるのは、あなたの祝福なのです。……その背後にある意味はとても深遠で、極めて重大です」キリストの言葉の記録「聖霊の働きを失った者は最も危険に晒されている」)その尋問は二時間半続きました。私から何も聞き出せなかったので、彼らは私を更に恫喝し、落胆した様子で去って行きました。

2013年1月6日、警察は別の手を使おうと、私を家に連れて行くと言いました。私は囚人服を着せられて手錠をかけられ、刑務所のトラックで地元の警察署に連れて行かれました。そこに着いたとき、この悪しき警察が私の息子たちと義父母を見つけ、我が家を捜索して聞き込みを行い、私が過去数年間何をしていたかを大体把握したと聞かされました。警官の一人はこう言いました。「我々は何年もこの女を追っていたが、捕まえることはなかった。夫が亡くなったとき、この女は家に一晩しかいなかった。我々はその家で何日も無駄に待ち伏せした。この女の息子が心臓手術を受けたとき、我々は逮捕するために病院に行ったが、女は現れなかった。この女は家族全員を捨てるほど神を強く信じているのだ。押さえたからには今度こそ片をつけねばならない」警官がそう言うのを聞いて、私の心は叫びました。「いつ私が家に帰りたくなかったことがあるの。夫の死には胸がつぶれそうになったし、息子が心臓手術を受けたときはすごく心配した。本当に息子のそばにいてあげたかった。私が家族を捨てたのではなく、中共政府が執拗に私を迫害し、追い回して、家に帰れなくしたのよ」トラックは私の家に向かって高速道路をひた走り、私は心の中で静かに泣きました。私は絶え間なく神に祈りました。「ああ神よ、中共の迫害のため、私は何年も家を離れていました。私はもうすぐ家族に会いますが、家族を見ると弱くなり、サタンの狡猾な策略の餌食になることを恐れています。どうか私をお助けになり、サタンを前にしても、神を信じる者の一人としての尊厳と気骨をもって生きられるようにしてください。私が彼らにだまされないようにしてください。あなたに満足して頂くべく、ただあなたの証しを立てることを願います」祈り終わると気がより楽になり、解放感を覚えました。これは神が私とともにおられ、強さを与えてくださっているのだとわかったのです。もう少しで家に着く頃、警察は高速道路の脇に車を止めました。私は囚人服と手錠のまま、警察を家まで案内することを余儀なくされました。近所の人たちはみな遠くから私をじっと見つめ、私のほうに身振りをしていました。彼らに侮辱され、陰口を叩かれているのが背後から聞こえました。中庭に通じる門をくぐると、息子が服を洗っているのがすぐ目に止まりした。息子は私が入って来るのを聞きましたが、頭を上げません。それで自分が息子に嫌われているとわかりました。義父母は白髪になっており、義母が出て来て悪しき警官たちを迎えましたが、それから黙っていました。悪しき警官が「この女はあなたの義理の娘か」と尋ねたところ、義母は小さくうなずきました。警官はそこで義父母を脅し始めました。「この女が我々に協力しなければ、我々は学校に電話することになり、息子たちは即退学になる。あなたがたの社会保障などの手当ても取り消しになるだろう」警官に脅された老齢の義父母は顔が青ざめ、震える声で話しました。私が家を六、七年留守にし、他の場所で信仰を実践していたことを急いで認めたのです。すると警察は義父母に怒鳴りつけました。「党と人民は何年もあなたがたの面倒をこんなによく見てきたのだぞ。言え。共産党は良い党か」義母は恐怖のあまり、「はい、良い党です」とすぐに答えました。次に警察は「では現在の政策は良策か」と尋ねました。義母は「はい、良策です」と答えました。「では、あなたの家族に起こった不幸も」と警官は続けました。「あなたの息子の死も、すべてあなたの義理の娘が引き起こしたのではないのか。この女があなたたち一家の疫病神ではなかったか」義母は頭を下げて小さくうなずきました。自分たちの作戦がうまく行ったと見て、警察は私を家の中に引きずり込み、壁に飾られた息子の賞状の数々を私に見せました。警官の一人はそこで体裁ぶって私を指差し、怒鳴って言いました。「俺は生まれてこのかたお前ほどの人でなしを見たことがない。こんな立派な息子がいるのに、神を信じるためだけに息子を捨てて逃げるのか。そんなことをして何になるのだ」壁一面に貼られた息子の賞状を見て、私は自分の信仰が息子の勉学に今どう影響しているか、義父母がどんな恫喝や脅迫を受けているかを考えました。我が家は引き裂かれたのです。しかし誰がその原因でしょうか。単に私の信仰のせいでしょうか。私の神への信仰は、真理を追い求め、人生の正しい道を歩むことです。それのどこが間違っているのでしょうか。中共に追跡され、迫害されることがなかったなら、私は家を離れてこれまで何年も身を隠す必要があったでしょうか。それでも彼らは私が自分の家族を気にかけず、まともに生活していないと誤った非難を浴びせているのです。そうすることで、彼らは明らかに事実を歪曲し、真実をひっくり返しているのではないでしょうか。その時、自分の中でこのサタンの手下たちに抱く憎しみがつのり、噴火する火山のように飛び出しそうになり、私は叫びたくなりました。「サタンの手下たち、私はあなたたちが憎い。心底憎い。ここ数年、私が家にいられなかったのは、中共政府の迫害のせいではなかったの。息子のそばにいて、母親としての愛と温かさを与えたいと私が思わなかったというの。家族と平和で幸せに暮らしたいと思わなかったというの。なのにあなたたちサタンの手下は急に善人ぶって、私たちに説教し、我が家に起こった災難を全部神のせいにして、その責任を全部私に押し付ける。あなたたちは真実を引っくり返し、全くのでたらめを並べる。あなたたち悪霊は本当によこしまで、最悪の犯罪者のくせにしらばくれる。あなたたちが本当の不幸の元凶、不吉の兆し、疫病神だわ。中共政府が私の家族を壊した張本人よ。この国で暮らす人々にどんな幸せがあるというのよ」彼らは茶番を終えた後、私に「出ろ」と叫び、家から私を出させました。全能神が私をお守りになり、こうしてサタンの狡猾な策略を見極め、悪しき中共の反動的な邪悪さをはっきり見て、しっかり証しを立てられるようにしてくださったことに、私は感謝します。

1月12日、警察は私に最後の尋問をしました。二人の警官が再び私に兄弟姉妹を売り渡すことを強要しようとしましたが、私はどんな脅迫や圧迫を受けても、知らないとしか言いませんでした。彼らはそれを聞くや否や激怒し、私の顔を激しく叩き始め、狂ったように私の髪を引っ張りました。私の両側に立って私をあちこちに突き飛ばし、足を思いきり蹴りました。そして銅パイプで私の頭を殴りながら叫びました。「ぶたないと思うか。一体これをどうするつもりなのだ。どれだけタフか確かめてやろう」ありがたいことに全能神が守ってくださいました。たとえ彼らからそのような拷問を受けても、私に感じられたのは体が麻痺していくことだけで、痛みはほとんどありませんでした。この2人の悪しき警官は四時間にわたって私を拷問し、疲れきって汗だくになってやっとやめました。ソファに座って息を切らし、「いいだろう。このまま行けば、お前はこれから一生刑務所暮らしだ。そうなれば死んでも永久に自由にならないぞ」と言いました。そう言われても、私は何も感じませんでした。なぜならすでに心を固め、たとえ自分の命が犠牲になっても決してこの悪魔たちの軍門には降らないと誓ったからです。私は神に黙祷しました。「神よ、私はあなたにわが身を捧げたい。たとえ悪しき警察にこれから一生閉じ込められたとしても、私は最後まであなたにつき従います。たとえ地獄に置かれてもあなたを讃えます」監房に戻ったとき、私は残りの人生を刑務所で過ごすことになると思いこんでいたので、神が私に抜け道を開いてくださったのは驚きでした。1月16日の午後、警察は意外にも私を何の罪状もなく釈放したのです。

この悲痛な体験は思い出したくもない悪夢のようでした。私のような普通の女性が単に神を信じるだけで警察の「関心の対象」となり、中共政府に敵と見なされ、あれほどの命の危険にさらされるとは夢にも思いませんでした。あるとき、私は尋問中に彼らに尋ねました。「私はどんな間違いを犯したの。どの法律を破ったのかしら。党や人民に対してどんな批判をしたの。なぜ私は逮捕されたの」警察は私の質問に答えることができなかったため、ただ私に怒鳴りました。「盗みや追いはぎはしてもいい、殺しや放火もいい、体を売るのも我々にはどうでもいい。だが神を信じることだけはもっての外だ。神を信じることで、お前たちは共産党に楯突いている。罰せねばならん」そのような高飛車で、暴君的で、真理を歪める言葉が悪魔の口からそのまま出たのです。神を信じ、神を崇拝することは不変の原理です。それは天の意志に適い、人の心に沿っています。中共政府は神に抵抗し、人が正しい道をたどることを禁じています。それどころか被害者を責め、私たちが中共の敵であると厚かましくも主張し、こうして自らの悪魔的本質を完全に露呈しているのです。中共政府は神の働きに猛烈に抵抗し、信者を逮捕するだけでなく、うわさを捏造して、誰もが中共の嘘を信じ、神を否定し、神に抵抗するようにしようとしています。また、人が真の救いを得る機会をも破壊しています。その悪事は枚挙に暇がなく、人からも神からも怒りを買っています。私はこの悪魔たちが引き起こした苦しみを受けた後、中共の神に背き天の意志に反する反動的な本質を完全にはっきり見極め、神の愛とお気遣いが本当にわかるようになりました。神の本質が美と善であると悟ったのです。私がこの上なく痛みを感じるたびに、また、自分の苦しみがこの上なく耐え難いと感じるたびに、神の御言葉が私の中にあり、私を導いて啓き、私に強さを授け、信仰を与え、サタンの狡猾な策略を見極めてしっかり立てるようにしてくれました。私は神の臨在と導きを実感し、そうして初めてあらゆる困難を克服し、しっかり証しを立てられました。神の愛はそれほど偉大なのです。この日から、私は神の愛に報いるために全身全霊を捧げ、真理を得て有意義な生活を生きるよう努めます。

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