神の愛に限りはない

2019年12月14日

私は人生における辛酸を散々なめてきました。結婚して何年も経たないうちに夫が亡くなり、その時から一人で家族の世話をするという重荷が肩にのしかかってきました。幼い子供を抱えて大変な暮らしを送っていました。私は常に人の冷笑と軽蔑の的でした。弱く無力で、毎日涙で顔を洗い、この世の生活はあまりにも生きづらいと感じました。悲観と絶望のどん底に埋まっていたその頃、ある姉妹が終わりの日の全能神の働きの福音を伝えてくれたのです。全能神の御言葉を読んだとき、私の心は温かさに満たされました。

あなたが疲れているとき、この世の荒廃のようなものを感じはじめるとき、途方に暮れてはならない、泣いてはならない。全能神という、見守る者がいつでもあなたが来るのを抱擁して迎えるからである(『神の出現と働き』「全能者のため息」〔『言葉』第1巻〕)

神が愛情深い母親のように呼びかけてくださり、私はついに自分の家を、支えを、霊の休まる場所を見出したように感じました。以来、毎日神の御言葉を読み、神がすべての生命の源であり、すべての人の運命を支配なさり、全能神が人類の唯一の支えと救いであることを知りました。さらに真理を理解するために、積極的に教会の集会に参加しました。全能神教会では兄弟姉妹が皆純真でお互いに正直であるのを目にしました。兄弟姉妹と一緒にいると安心し、心に大きな解放感が湧き、この世でそれまで経験したことのないような幸福と喜びを味わいました。そのため、自分の将来への自信と希望に満たされました。神の愛に報いるために教会で本分を果たすようになりました。ところが驚いたことに、中国共産党政府は人が真の神を信じ、正しい道を歩むことを許さず、私はただ信仰のために中共政府の手による残忍で非人道的な捕獲と迫害を受けることになったのです。

2009年12月のある午後、私が家で洗濯をしていたとき、突然私服警官が五、六人中庭に飛び込んできました。そのうちの一人が「全能神の信者取り締まりの特別刑事隊だ!」と叫び、私が平静を取り戻す間もなく、警官らは盗賊のように家中を引っ掻き回しました。家の中も外も荒らし、見つけ出した神への信仰についての書籍、DVDプレーヤー、CDプレーヤー二台を押収してから、私をパトカーに入れ、派出所に連行しました。その道中、兄弟姉妹が悪しき警察に逮捕され、残酷な拷問を受けた話をしていたことを思い出し、心臓がのど元までせり上がったようにとても怖くなりました。窮境の中、切実に神に祈りました。

「あぁ、全能神! 私は今とても弱気になっています。拷問されると思うとすごく恐怖を感じます。どうか私に信仰と強さを与えて、恐怖を追い払ってください」

祈った後、御言葉の二節を思い出しました。

権力を持っている者たちは、外側から見ると悪質に見えるかもしれないが、恐れることはない。それは、あなた方の信仰があまりに僅かだからである。あなた方の信仰が成長する限り、難しいことは何もない(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第七十五章」〔『言葉』第1巻〕)

わたしの計画すべてにおいて、赤い大きな竜はわたしの引き立て役、わたしの敵、そしてまた、わたしのしもべである。したがって、わたしはけっして竜の『要求』を緩めたことがない(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第二十九章」〔『言葉』第1巻〕)

御言葉をじっくり考えていると、自分がサタンの残酷な拷問を恐れているのは神への真の信仰がないからであると気づきました。私は思いました。

「サタンは実際には神様の働きに効力する引き立て役だ。どんなに野蛮で残酷でも所詮は神様の御手の中だし、神様の指揮と采配に従うしかない。それに、サタンが野蛮で残酷なほど、神様に証しを立てるために余計に信仰に頼らないといけない。この大事な時、サタンの横暴な力に屈するわけには絶対にいかない。それどころか神様が与えてくださる信仰と強さに頼ってサタンを打ち負かさなきゃ」

派出所に着くと、警官が二人何も言わずに私に手錠をかけると、私を蹴りながら二階に押しやった後、「お前のような奴には『特別待遇』をしてやる」と怒鳴りました。この「特別待遇」が拷問を意味することは私にはわかっていました。その時、心の中で神に祈り続けました。神の気遣いと加護を失ってサタンの狡猾な策略にはまることを恐れ、片時も神から離れることなどできませんでした。尋問室に入るとすぐに、悪しき警官の一人にひざまずけと言われました。それを拒むと、その警官に膝の後ろをひどく蹴られ、思わずバタンと膝をついて倒れました。その後、警官らは私を取り囲んで殴り、蹴り、私はやがて目が回ってぼやけ、鼻と口から激しく出血しました。しかしそれでも済まず、床に座らせられ、私の前に椅子が置かれました。悪しき警官の一人が背中を強く叩きだしました。叩くたびに私の顔と頭を椅子に打ちつけ、私は頭がガンガンし、耐え難く痛みました。警官の一人が私に陰険そうにニヤニヤ笑い、「お前を売り渡してくれた奴がいるんだ。しゃべらないとぶっ殺すぞ」と言いながら、私の胸を拳で突きました。そのあまりの痛さに私はしばらく息ができませんでした。別の警官が叫びました。

「劉胡蘭にでもなったつもりか? そのうち腕ずくでも口を割らせてやる!」

悪しき警官連中はありとあらゆる手で私を拷問し、自分たちが疲れるとやっと手を止めました。少しは息継ぎをさせてもらえるかもしれないと思っていたとき、五十代の警官がやって来て、「いいお巡りさん」を装って私をだまそうとしました。

「お前が教会の指導者だと言う奴がいた。しゃべらなければこっちは起訴できないと思っているのか? 長いことお前を追ってきたし、証拠が十分だから逮捕したんだ。だから吐き出すんだ!」

警官のこの言葉に私は衝撃を受け、思いました。

「まさか本当なの? もし本当にユダになって私を売り渡した人がいるなら、警察はもう私のことを何もかも知っているんじゃないの? 何も言わずに済ませられるかな? どうすればいいの?」

絶望の中、全能神の御言葉が思い浮かびました。

あなたは、自分が得た恵みの全て、聞いた言葉の全てを思う時、それを無駄にできるであろうか。誰が逃げ出したとしても、あなたは逃げ出せない。他の人々は信じないが、あなたは信じなければならない。他の人々は神を見捨てるが、あなたは神を支持し証しなければならない。他の者たちは神を罵るが、あなたは罵れない。神がどれほどあなたに不親切であったとしても、あなたはなおも神と正しく接しなければならない。あなたは神の愛に報い、良心を持たなければならない。なぜなら、神は純真だからである。人間の中で業を行うために神が天から地に来たことは、それだけで大いなる屈辱である。神は何の穢れもない聖なる方である。穢れた地に来ることで、神はどれほどの屈辱に耐えたであろうか。あなたがたの中で業を行うことは、あなたがたのためである(『神の出現と働き』「モアブの子孫を救うことの意義」〔『言葉』第1巻〕)

神の御言葉の一句一句は私の麻痺していた心を打ち、私は良心の呵責を大いに感じました。自分がそれまで何年も全能神に従い、神からの無限の愛と温かさを享受し、神の豊かないのちの施しを受け、歴史を通じて誰にもわからなかった真理がわかり、人生の意味と価値を悟り、痛み、荒廃、絶望に満ちた過去の暗い暮らしを脱したことを振り返りました。

「神は私にこれほどとてつもない愛を与えてくださった。どうしてそれを忘れられるの? 他の誰かが神を裏切ったと聞いたとたんに、どうして自分を見失って、神を裏切ろうなどと考えることができるの?」

そう思いながら、私は泣きに泣き、それほど良心と人らしさに欠けている自分を憎みました。人が優しくしてくれたときはいつもできる限りのことをして優しさに報いようと思います。それなのに、神は私に実に多くの恵みと多くの祝福を与え、実に大きな救いを授けてくださったのに、私の良心は麻痺したままでした。御恩に報いようと思わなかったばかりか、窮地に立たされると神を裏切ることさえ考えていました。神の心をとても悲しませていたのです! その瞬間、私はたじろいだことを深く後悔しました。もし他の誰かが本当に神を裏切ったのなら、神は間違いなくひどい苦痛と悲しみを感じておられるでしょうし、私は自分の忠実さをもって神の心をお慰めしようとすべきです。しかし私はあまりに利己的で卑劣だったため、神の傍らに立たなかったばかりか、情けなく卑しい生き様を続けるために神を裏切ることさえ考えました。良心も理知もなく、自分のことしか考えず、神の心を大いに悲しませたため、神にとても嫌われていたのです。自責と反省の中、静かに神に祈りを捧げました。

「ああ全能神! 私は本当に良心と人らしさに欠けています! 神様が私に与えてくださったのは愛と祝福以外にないのに、私が神様に与えたのは傷と痛みだけです。神様! 今何をすべきかを私に教えてくださったお導きに感謝します。私は今この度実際の行いで神様にご満足頂きたいです。サタンにどのように苦しめられても、神様への証しができなくなるより死ぬ方がましですし、神様を決して裏切りません!」

悪しき警官は私がどれほど泣いているかを見て、そろそろくじけそうだと思ったため、寄ってきて優しさを装いながら言いました。

「こっちが知りたいことを教えるんだ。教えたら家に帰れるぞ」

私は警官をにらみつけ、憤って言いました。

「絶対に神様を裏切るものですか!」

私のこの言葉に警官は激怒し、私の顔を平手打ちし、ヒステリー気味に叫びました。

「じゃあ飴よりも鞭がいいんだな、え? せっかく堂々と通れる抜け道をくれてやろうとしたのに、突き返しやがって。こっちがお前に何もできないと思ってるのか? 大人しく白状しないなら、五年間刑務所にぶち込んで、ガキは学校に行けなくなるぞ」

私は答えました。

「五年間服役することになるなら、そうしなきゃいけないだけです。子供に学校を止めさせることはできるけど、あの子の運命はあの子の運命のまま。私は神様の統治に従います」

悪魔連中はますます怒り狂い、その一人に私は襟をつかまれ、コンクリートの台まで引きずられていき、床に脚を伸ばして座らされました。警官の一人が私の脚を踏みつけ、別の警官は膝で背中を突きながら、乱暴に両腕を後方に引っ張りました。とたんに私の腕にはまるで折れたかのような耐えがたい痛みが走り、頭が思わず前によろめいてコンクリートの台に当たり、すぐに大きなこぶができました。その時は真冬で、骨まで冷えるような風が吹き、水の一滴一滴が氷になっていましたが、私は汗で服が全部ぐしょぐしょになるところまで悪しき警官たちに拷問されました。私がまだ屈服しそうにないと見て、警官は私の綿入りの上着を引き剥がし、薄い下着だけにして凍るような床に仰向けにさせ、尋問を続けました。それでも私は尋問にまったく答えなかったため、また蹴りを入れられました。この悪魔連中は夕方になって自分たちが疲れきるまで私を拷問しましたが、それでも何も聞き出せませんでした。夕食をとりに出るとき、警官らは私を脅して言いました。

「今夜も黙り続けるなら、お前を『虎の椅子』に手錠でつないで、凍え死にするまで放置するだけだぞ!」

そう言うとかんかんになって出て行きました。私はちょうどその時怖くなりだし、思いました。

「凶悪警察は他にどんな拷問をしてくるの? 耐えられるかな?」

特に彼らの残忍な表情と、拷問された場面を思い出したとき、ますます苦悩し、無力を感じました。残酷な拷問に耐えられず、神を裏切ってしまうのではないかと恐れていたので、神に祈り続けました。その瞬間、神の御言葉が私にあることを思い出させてくださいました。

臆病と恐怖を抱いている者はサタンに騙されているのだ。サタンは私たちが信仰の橋を渡って神の中に入ることを恐れている(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第六章」〔『言葉』第1巻〕)

神の御言葉のおかげで私の心は澄みわたり、その時、自分の恐怖がサタンに惑わされて神への信仰を失ったためだったと知りました。また、自分が鍛えられ、啓かれるにはこうした事態を実際に経験しなくてはならず、さもなければ永久に神への真の信仰を培うことはできないということに気づきました。さらに、自分がこの逆境の中を一人で戦っていたのではなく、全能神を頑強な後ろ盾としていたと悟ったのです。そしてイスラエル人がエジプトから連れ出され、エジプト兵に紅海まで追われていたときのことを思いました。その時にはイスラエル人はもはや後戻りはできず、神の御言葉に従い、信仰に頼って紅海を渡りました。驚いたことに、神が紅海をお割りになり、乾いた陸地が現れたのです。彼らは安全にそこを通って危険から逃れたため、エジプト兵による追跡と虐殺を回避しました。私がその時中共警察の残酷な拷問に遭っていたのは、まったく同じでした。私も信仰を持ち、神に頼っている限り、サタンを必ず打ち負かすでしょう! やがて強さが私の心に戻ってきて、もはや怯えも怖がりもしませんでした。私は心の中で神に祈りを捧げました。

「ああ全能神! 私は神様に頼りつつサタンと戦い、悪しき警察の横暴な力に二度と圧倒されないことを望みます! 神様への証しを立てます!」

この危険の時に、全能神は私の強力な後ろ盾となってくださっただけでなく、私の弱さに憐れみと思いやりを示してくださいました。その夜、警察は私に再び尋問することはなく、私は安全に夜を過ごしました。

翌日の早朝、人でも殺しかねない目つきをした警官が数人やってきて、私を威嚇しだしました。

「協力しないとただじゃすまんぞ! 死を味見させてやる! お前の全能神には今のお前は助けられない。劉胡蘭だったとしても無事ではいられんぞ! さっさとしゃべらないなら生きて出られると思うな」

その後、彼らは再び私に綿入りの上着を脱がせ、冷たい床に横たわらせたまま尋問しました。邪気に満ちた彼らの一人一人ににらまれる中、私にはただ神に必死に呼びかけ、しっかりと証しを立てさせてくださいと願うことしかできませんでした。私が黙ったままだったため、彼らは恥をかいて腹を立てました。警官の一人が私の頭を書類入れで激しく殴打し始め、私はやがてめまいがして気分が悪くなりました。警官は私を叩きながら口汚くののしり、脅して言いました。

「今日はこの女に断頭台を味わわせてやろう。息子の学校はどこだ? 校長に言って息子をここに連れてこい。この女に死んだほうがましだと思わせてやる」

そして警官らは私の家で見つけた物品について私を尋問しましたが、納得の行く返事をしなかったので私は口を書類入れで叩かれ、口角から血が滴りました。その後、彼らは私の全身を乱打し、自分たちが疲れるまでやめませんでした。ちょうどその時、ある警官が部屋に入ってきて、私が何も自白していないと知りました。次に警官が四、五人私のところに来て手錠を外し、後ろ手にかけ直しました。そして私を大きな机の前に座らせ、頭の高さを机の端に合わせ、脚は伸ばさせました。脚がちゃんとまっすぐになっていないとみなすと踏みつけ、肩を押さえつけました。私は長時間腕と手錠を後ろ手で高く固定され、彼らの指示通りの姿勢のままずっと静止させられました。前方に動くと頭が机に当たり、左右や後方に動くと厳しく罰せられました。この卑劣なやり方のせいで、死にたいと思うほどの激痛にさいなまれ、血も凍るような悲鳴を上げ続けました。彼らは私が瀕死だと知るとやっと解放し、床に横たわらせました。まもなくして、その人でなしの悪魔連中は再び私を拷問、蹂躙し始めました。悪しき警官が四、五人私の脚と腕を踏んで身動きできないようにした後、鼻を押さえ、頬をつまんで口を開けさせ、口に冷たい水をどんどん注ぎこみました。私は息苦しくなって必死にもがきましたが、それでも警官らから逃がされず、徐々に意識を失いました。いつまで失神していたのかわかりませんが、突然目が覚めたときには、水で窒息しかかっており、ひどい咳が出ました。口、鼻、耳から水が出て、胸が死ぬほど苦しかったです。感じられたのは自分を取り巻く真っ暗闇であり、目玉が眼窩から飛び出してきそうなことだけでした。息の詰まり方があまりにひどく、息を吐けても吸えませんでした。目はうつろになり、自分の死が近いように感じました。虫の息だったその時、急にまた発作のようなひどい咳が出てけいれんを起こし、水をある程度吐き出すことができました。その後少し気分が良くなりました。悪しき警官の一人がそこで私の髪の毛をつかみ、引きずって座らせ、手錠を乱暴に引っぱりました。そして、私に使うために部下の一人に電撃棒を持って来るように命じました。驚いたことに、部下は戻ってきたとき、「四本しか見当たりません。二本は故障していて、もう二本は充電しないといけません」と言ったのです。これを聞いて、警官は「役立たずの大ばか者! 唐辛子水をもって来い!」と怒鳴りました。私はひたすら神に祈り、それらの悪しき警察が加えるあらゆる残酷な拷問に打ち勝てるようにお守りくださいと願いました。するとその瞬間に意外なことが起こりました。警官の一人が何とこう言ったのです。

「それはやりすぎだ。さんざん痛めつけてきたんだ。もうやめろ」

警官はこう言われると手をゆるめることしかできませんでした。その瞬間、私は神による万物の統治と支配を真に認識しました。神が私を守り、この一時しのぎを与えてくださったからです。しかしこの悪しき警官たちはまだ私を放すつもりはなく、再び私に後ろ手で手錠をかけ、私の脚を踏み、手錠を力いっぱい引っぱり上げました。私はまるで腕が折れているかのような耐え難い痛みしか感じられず、悲鳴が止まりませんでした。心の中で全能神に呼びかけ続け、思わず「全…」ともらしてしまいました。しかしすぐに声を低くして、「全部知っていることを話します」と言いました。連中は私が本当に洗いざらい話したがっていると思ったので、手錠を解いて怒鳴りました。

「俺たちはみんな捜査のプロだ。だまそうなどと考えもするな。今大人しく全部話さないなら、長生きすることもここを出ることもあきらめるんだ。少し考える時間をやる」

私は彼らの拷問と威嚇を前にとても苦悩し、思いました。

「ここで死にたくないけど、神様を裏切るのも教会を売り渡すのもいや。どうすればいいの? 兄弟姉妹一人だけのことでも教えたらどうかな?」

しかし、そんなことは絶対にできない、彼らに何を伝えても神を裏切ることになり、ユダになってしまうとはっと悟ったのです。苦痛の中、私は神に祈りました。

「ああ神様! 私はどうすべきでしょうか? どうか私を啓き、導き、強さを与えてください!」

祈った後、神の御言葉を思い出しました。

教会はわたしの心であり

わたしの証しを守るべく、全てを犠牲にしなければならない。これを目標として行動しなさい。これを忘れてはならない(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第四十一章」〔『言葉』第1巻〕)

私は思いました。

「その通り。教会は神様の心。兄弟姉妹を一人でも売れば教会に大混乱をもたらすことになるし、それは神様を一番悲しませること。教会を傷つけるようなことをしてはいけない。神様は私たちを救う働きをなさるために天から地上に来られ、サタンは神様に選ばれた私たちを虎視眈々と狙い、一網打尽にして神様の教会を滅ぼそうという妄想を抱いている。兄弟姉妹を売り渡せば、サタンの陰湿な陰謀を成功させることになるのでは? 神様は善良で、神様が人になさることはすべて愛から来ている。神様の心を傷つけてはいけない。今日神様のためにできることは何もないから、神様の愛に報いるために証しを立てられるようにだけお願いしよう。私にできるのはこれだけ」

ひとたび神の御心を理解すると、神に祈りを捧げました。

「ああ神様! 彼らが今も私にどんな拷問を用意しているのか私はわかりません。私が実に霊的背丈が小さく、しばしば怯えて怖がることを神様はご存知です。しかし私は神様がすべてを御手に握っておられると信じており、自分の命を犠牲にしてでも神様への証しを立てることを御前で決意したいと思います」

ちょうどその時、悪しき警官の一人が怒号を上げました。

「もう考え直したか? 大人しく全部吐かないと、今日ここで死んでもらうぞ! 全能な神でもお前を救うことはできん!」

私は目をしっかり閉じて、自分の命を犠牲にしてでも証しを立てる決意に徹し、一言も言いませんでした。警官たちは怒って歯ぎしりすると私に飛び掛り、前と同様に私を踏みつけ叩くなどして、ひっきりなしに辱め、拷問しました。彼らに頭をひどく殴られ、私は目が回りました。目の前が真っ暗になり、頭が割れたかと思いました。目を動かせなくなり、体が痛みを感じず、何もはっきり聞こえなくなるのをだんだん感じだしました。知覚できたのは遠くから響いているような警官らの声だけでした。しかし頭はとても冴えており、心の中で「私はユダじゃない。ユダになる前に死ぬ」という言葉を繰り返しました。どれくらい時間が経ったかわかりませんが、目が覚めると水でずぶ濡れになっており、悪しき警官が四、五人私の生死を確認しようとしているのか、私を取り囲んでしゃがんでいるのが見えました。獣も同然のこの警官連中を見たとき、私は自分の中で大きな憤りが強まるのを感じました。

「これが『人民を我が子のように愛する人民警察』? これでも『正義を守り、悪人を懲らしめ、善人を助ける』法執行機関? みんな地獄の悪魔と鬼じゃない!」

ちょうどその時、私はある説教の一節を思い起こしました。

「赤い大きな竜は最も悪意に満ちて猛烈に神に抵抗し、攻撃し、神の選民を最もひどく激しく傷つけます。これが事実です。赤い大きな竜は神の選民を迫害し、威圧しますが、そうする目的は何ですか? それは終わりの日の神の働きを根絶やしにし、そうして神の再臨を消し去りたいのです。これが赤い大きな竜の悪意であり、サタンの狡猾な策略なのです」(『いのちに入ることに関する交わりと説教』)

この言葉に照らして身の回りを見ると、私には中共政府がサタンの権化であり、最初から神に反対してきた悪しき者であることがとてもはっきりとわかりました。なぜなら悪魔サタンだけが真理を憎み、真の光を恐れ、真の神の到来を追い払うことを望んでいるからです。サタンだけが、神に従って正しい道を歩む人々を残酷に傷つけ、非人道的に拷問することができるからです。神は今や肉となられ、サタンの巣窟で働くために来られ、私がある事態に遭うように采配なさいました。そのおかげで私は、サタンに深く惑わされているにもかかわらず、悪魔サタンが人々を傷つけ、貪っていること、その闇の支配を超えた光があること、私たちを日夜見守り、施してくださる真の神がおられることを悟ることができました。全能神の到来が私に真理と光をもたらし、日頃から「偉大、栄光、公正」を自称する中共政府の悪魔的な素顔をついに私は見ることができました。それにより中共政府への激しい憎しみが内にこみあげました。また、全能神が来られたおかげで、真理を追い求める意味と価値を悟り、人生における光の道が見えるようになりました。そのことを考えるほど理解が深まり、私の中に強さが湧き上がり、警官の残酷な拷問と向かい合うことができました。肉体的な苦痛も減少し、これは神が私を守り、拷問で自白させようという警察の試みに私を打ち勝たせてくださっているのだと身に染みるほどわかりました。

結局、警察は私から何も聞き出せないと見て、私に「社会の治安を乱した」という罪状を着せ、拘置所に連行しました。中共政府は囚人をそこで機械のように、終日無休で働かせます。私も毎晩わずか五時間の睡眠すらできず、毎日あまりにも疲れ果てて全身がバラバラに崩れていくように感じました。それにもかかわらず看守は私に十分な食事を与えませんでした。食事は小さな蒸しパン二きれといくらかの野菜だけで一滴の油も入っていませんでした。そこに閉じ込められている間、悪しき警察が何度も尋問に来ました。最後に尋問したとき、彼らは私を二年間の労働再教育に処すと言いました。大胆にも私は彼らに尋ねました。

「国の法律では信仰は自由だとされていませんか? なぜ二年の労働再教育なんです? 私は病気なんですよ。私が死んだら、子供と両親はどうなるんです?」

五十代の警官は、「国の法を破ったからこうなるんだ。動かぬ証拠もある!」と厳しく言いました。私は反発しました。

「神を信じるのは良いことです。私は人殺しも放火もしないし、何も悪いことはしません。ただ良い人になろうとしているだけです。なのに、どうして信仰させてくれないんですか?」

警官らは私の反発に面目がつぶれて腹を立て、そのうちの一人は寄って来て私を平手打ちして床に叩きつけました。その後、警官らは私を無理に横たわらせると、一人が肩を押さえ、もう一人が脚を押さえました。さらにもう一人が革靴で私の顔を激しく踏みつけ、「ちょうど今日は市場がある。素っ裸にして市場を歩き回らせてやろう!」と恥知らずにも言い放ちました。そう言うと、私の下半身と胸を強く踏みつけました。片方の足で私の胸を踏み、もう片方の足を威嚇するように上げ、この動作を繰り返し、時々太ももを踏みつけました。ズボンが踏みにじられた末に破れ、股下の部分も裂けました。あまりの辱めに私は涙がとめどなくあふれ、バラバラになってしまうように感じました。この悪魔たちにこうした屈辱を受けるのが我慢できなかったのです。このまま生きているのがあまりにも辛くなり、死んだほうがましだと感じました。こうしてひどく悲嘆に暮れていたとき、神の御言葉を思い出したのです。

神の愛に報いるべき時が来た……私達が神への信仰の道を歩んでいるため、多くの嘲笑、罵倒、迫害の対象となっているが、これは有意義なことだと考える。これは栄誉なことであり、恥ではなく、何であれ私達が享受している祝福は甚大である(『神の出現と働き』「道……〔2〕」〔『言葉』第1巻〕)

義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである(マタイによる福音書5:10)

御言葉のおかげで、私はすぐに記憶を呼び起こされ、「そうだ」と思いました。

「今日受けている苦痛と屈辱にはこの上ない意味と価値がある。こうして苦しんでいるのは、神を信じて正しい道を歩んでいるからで、真理を得て、いのちを得るための苦しみ。この苦しみは恥ずべきことではなく、むしろ神様からの祝福。ただ私は神の御心がわからず、いざこの苦痛と屈辱に遭うと死んで楽になりたいと思い、神様の愛と祝福がまったく見えない。これでどうして神様を悲しませていないといえる?」

こうしたことを思うと神に大変負い目を感じ、黙って決意しました。

「この悪魔たちにどう辱められ、痛めつけられても決してサタンに屈しない。たとえ息が少ししか残っていなくてもそれを大事に使って神様を証しし、絶対に神様を失望させない」

警察は二日二晩拷問しても何も聞き出せなかったため、私を市の拘置所に送りました。

拘置所で、私は過去数日間経験してきたことをすべて振り返り、そのような迫害と逆境を経験することは神の私への格別に深い愛と救いであると徐々に理解しました。神はこの事態を用いて、私の意志と苦しむ決意を鍛え、私の中に真の信仰と愛を植え付けようとなさりたかったのです。こうして私がこのような窮境の中でも従順でいて神の証しを立てるようになるためです。神の愛を前に、私は自分が残酷な拷問を受けているうちに何度も弱気で反抗的になったことを思い出しました。そのため、深く悔い改めて神の御前に出ました。

「ああ全能神! 私はとても盲目で無知です。神様の愛と祝福を認識せず、肉体的な苦しみは悪いことだといつも思っていました。でも今では、自分に起こっていることはすべて神様からの祝福であることがわかります。この祝福は私の観念に反し、表向きには私の肉は苦痛と屈辱を受けているように見えますが、実際にはこれは神様が私に最も貴いいのちの宝を授けてくださっているのであり、神様のサタンに対する勝利の証しであり、さらに、神様が私に最も真実で現実の愛を示してくださっているのです。ああ神様! 神様の愛と救いには報いようがありません。私にできることは、ただ神様に心を捧げ、あらゆる苦痛と屈辱を受けることで神様への証しを立てることだけです!」

まったく驚いたことに、私が刑務所に行く心構えをし、神にご満足頂く決心を固めたとき、神は抜け道を開いてくださいました。拘留されて十三日目に、神の手引きにより、私の姉の夫が三千元もかけて警察をもてなして贈り物をし、私を裁判まで保釈させるために五千元を警察に渡したのです。家に着いたとき、悪しき警官にあまりにも踏みつけられたため私の脚の肉が壊死していたことがわかりました。硬く黒くなっており、全治三ヶ月でした。警察による拷問は脳と心臓にも深刻な損傷を引き起こし、後遺症も出ています。私はこの痛みによる苦しみに今でも耐えています。もし神の加護がなかったなら、おそらく体が麻痺して寝たきりになっていたでしょう。今普通の生活ができるのは、すべて神の偉大な愛と加護によるのです。

この迫害と逆境を経験した後、私は中共政府の神に抵抗する悪魔的な本質が本当にわかるようになりました。中共政府が悪しき者であり、神にとって不倶戴天の敵であることもはっきりとわかりました。私は中共政府へのあくなき憎しみを心の底で募らせています。また、以前より神の愛を深く理解するようにもなり、神が人になさる働きはすべて人を救うためで、愛ゆえになされることがわかりました。神は恵みと祝福を通して私たちへの愛を示してくださるだけでなく、それ以上に苦しみと逆境を通して示されます。警察に残酷な拷問と侮辱をさんざん加えられているときもずっとしっかりと立ち、悪魔の巣窟から抜け出ることができて、私はこれはすべて全能神の御言葉が信仰と強さを与えてくださったおかげだと実感するようになりました。それ以上に、それは全能神の愛に感化されたからであり、この愛ゆえに私は一歩ずつサタンに打ち勝ち、悪魔の巣窟から自由に出られたのです。私を愛し、救ってくださる神に感謝! すべての栄光と賞賛は全能神のもの!

山東省 周晴(チョウチン)

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

関連記事

神の御言葉に導かれ、闇の勢力の圧政に勝利した

私は子どものころから母と一緒に主イエスを信じてきました。主イエスに従う日々を送る中で、しばしばその愛に感動したものです。主は私たちを愛されるあまり十字架にかけられ、最後の一滴の血を流されて私たちを贖われたのだと私は思いました。当時、私たちの教会の兄弟姉妹はみな互いに愛し合い、支え…

困難を経て、神への愛が強まる

私は周瑞という名前で、全能神教会のクリスチャンです。物心ついた時から、両親が生活のために朝から晩まで畑で一生懸命働くのを見ていました。両親が大変な努力をしても、毎年のように稼ぎがほとんどなかったため、私たち一家の暮らしは常に困窮していました。権力や影響力のある人たちが一生懸命働か…

迫害の苦しみを経験したことで愛と憎しみを明確に区別するようになった

私は趙志といいます。今年で52歳になります。14年間全能神に従っています。信仰する前は私は事業をしていて、接待をしたり、礼物を送ったり、付き合いしたりで忙しくしていました。毎日のようにカラオケやカジノなどの遊興にふけっていました。妻はこのことでいつも私と喧嘩し、最後には怒って離婚…

残酷な迫害を生き延びて、神への信仰が強まる

私は趙睿という名前です。神の恵みにより、1993年に家族とともに主イエスにつき従うようになりました。1996年、16歳のときに主イエスの愛に引き寄せられ、教会で働いて説教するようになりました。ところが、まもなくして教会内でひどくがっかりさせられることを多く見受けるようになり…