ようやく人間らしく生きる

2022年7月16日

チョウホン 中国

 2018年に教会指導者になったとき、優れた素質の持ち主で、真理を追い求めているヤンという名の姉妹がいました。わたしは「彼女をきちんと訓練できれば、わたしも楽に物事を進められるし、働きも改善して指導者に褒めてもらえる」と思って彼女の訓練に力を入れ、彼女が問題に突き当たるたびに交わりをし、チームリーダーを任せました。彼女は急速に進歩して本分を熱心に尽くすようになり、すぐに彼女のチームの働きは軌道に乗りました。そこで私はこう考えました。「ヤン姉妹のような人があと何人かいれば、教会の働きはすべて大いに改善するはず。そうなれば少し落ち着けるし、よりよい成果を挙げられる。そしてわたしは立派な仕事をしたと、みんなに言ってもらえるはずよ」。ある日のこと、反キリストや悪人の排斥と追放に関する文書を編集する人が急遽必要になったのですが、わたしとパートナーは、ヤン姉妹に任せるべきだということで意見が一致しました。すると驚いたことに、彼女はすぐに原則を把握して、客観的で正確な文書をまとめ上げたのです。この間、指導者に何度も、文書をまとめるのが得意な人がいないかと訊かれており、ヤン姉妹が適任であることはわたしにもわかっていました。しかし、彼女が異動になり、それが私たちの働きに与える影響を考えた瞬間、ヤン姉妹を手放したくないと思い、指導者に彼女を推薦しませんでした。

 ある日の集会で、指導者は反キリストや悪人の排斥と追放に関する文書をまとめる人が必要だと言った上で、そのような人材はいないかとわたしたちに尋ねました。それを聞いてわたしは思いました。「それならヤン姉妹が得意だけれど、他の誰かを訓練しなければならなくなる。そんなの大変。わたしたちの働きがもたつくようになってしまったら、指導者にどう思われるだろう? 文書の編集ならタン姉妹も得意だけど、本分に対して少し受け身で、助けを必要とすることが多い。代わりに彼女を推薦しよう。そうすれば、その仕事を担当する人材を提供できるし、ヤン姉妹を手元に留めておける。働きが影響を受けることはない」。そこでわたしはタン姉妹を推薦して彼女の長所を並べ上げ、わざとヤン姉妹が低く見られるようにしました。数日後、タン姉妹がその仕事に選ばれたものの、自力で対処できないことをわたしは後になって知り、こう思いました。「大丈夫、ヤン姉妹ならそれに対処できる。でも、彼女を手放したくない。自身の本分にとても優れているし、彼女がいなくなったらわたしたちの働きはどうなるだろう?」。それでまたしても、ヤン姉妹を推薦しないことにしました。それから数日が経ち、指導者は特にヤン姉妹のことを尋ねた上で、彼女の代わりとなる人をできるだけすぐ見つけるようにと言いました。わたしはその考えに心から反感を抱き、「ヤン姉妹がいなくなったら、誰が教会の文書を編集するというの? 適任者が見つかっても、経験が浅いから原則は知らないはず。訓練が必要。わたしたちの働きに影響が出るだけでなく、そんなことは大変だし、わたしも苦労することになる」と考えました。そんな考えが間違っていることはわかっていましたが、こんな言い訳を自分にしました。「ヤン姉妹を訓練したのはこのわたし。彼女がここを離れたら、彼女の仕事をできる人はこのチームにいない。どんなことになるだろう? いいえ、パートナーとこの件を話し合って指導者に手紙を書き、他の誰かを訓練するまでの数ヵ月間、ヤン姉妹をここに留めておくようお願いしなきゃ」。それをパートナー2人に伝えたところ、こう反論されました。「わたしたちは神の家の働きをさせるために人を訓練しているんです。ヤン姉妹がいなくなっても、別の誰かを訓練すればいいでしょう。ヤン姉妹がここを離れるのを止めようとしているあなたは、利己的なんじゃないですか?」。でもわたしは反省せず、それどころか「ずいぶん甘いことを言うわね。人を訓練するのが簡単だと思ってるの?」と考えました。ますます動揺して反感を抱き、わたしの立場を理解できないパートナーたちを不快に思ったのです。その直後、身体が燃え上がって火に包まれたような感覚に襲われだし、全身から力が脱けるのを感じました。「天気はいいし風邪もひいていない。本当に変だわ」。すると、これは神から懲らしめられているのだと気づき、神の御言葉が脳裏に浮かびました。「今、わたしがあなたがたの間で働きを行っているときに、あなたがたはこのように行動している。いつの日かあなたがたを見守る者がいなくなったら、あなたがたは皆、お山の大将を名乗るのではないか(『神の出現と働き』「極めて深刻な問題――裏切り〔1〕」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉がわたし自身の状態を正確に暴いていることに気づいて、わたしは愕然としました。わたしはヤン姉妹を自分の所有物のように扱っていた。彼女を訓練したのは自分なのだから、彼女はわたしのもので、この教会に留まってわたしに光を当てるべきだと思い、彼女を手放そうとしませんでした。実際には、兄弟姉妹はみな神の家で自身の本分を尽くしており、彼らに託されたことはすべて神に由来しています。神の家が必要とするならばいつでもどこでも、神の采配通りに本分を尽くします。しかしわたしは不実で、自分の威信と地位のために他の人たちを騙し、ヤン姉妹を手元に留めておくためなら何でもしました。私 は、御言葉の中の「お山の大将」のようでした。わたしはヤン姉妹を操り、神から彼女を奪おうとしていた。これは反キリストの行ないであり、滅びへの道です。それに気づいたわたしは心から後悔しました。あまりに傲慢で利己的だったのです。

 そして、この神の御言葉を読みました。「人の行ないが善か悪かを判断する基準は何ですか。それは、考えや表現や行動において真理を実行に移し、真理の現実を生きる証しを有しているかどうかによります。その現実がなかったり、それを生きていなかったりすれば、疑問の余地なくあなたは悪を行なう者です(『終わりの日のキリスト講話集』の「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」)。「神を信じながら神の言葉に注意を払わず、真理を受け入れることも、神の采配と指揮に従うこともなければ、またある種の善行を示すだけで、肉を捨てられず、自尊心や利益を少しも手放せないなら、また表面上は本分を尽くしているように見えながら、依然としてサタン的性質に頼って生き、サタンの哲学や生き方を少しも捨てておらず、変わらないならば、神を信じているなどとどうして言えますか。これは宗教的な信仰です。このような人は、表面的には物事を捨てて自分を費やしますが、その歩む道、することすべての源と原動力は、神の言葉や真理に基づいていません。それどころか、自分の想像や欲望や主観的な思い込みに沿って行動し続け、サタンの哲学と性質が存在と行動の基礎であり続けます。真理を理解していない事柄において、このような人は真理を求めず、また真理を理解している事柄においては、真理を実践せず、神を偉大な存在として崇めず、真理を大事にしません。名目上は神の信者ですが、それは言葉だけのことで、その行ないの実質は、堕落した性質の表明に過ぎません。動機や意図が、真理を実践して神の言葉通りに行動する兆候はありません。他の何よりも先に自分の利益を考え、まず自分の欲望と意図を満たそうとする人は、神に従う人ですか。(違います。)神に従わない人が、自分の性質に変化を引き起こせますか。(引き起こせません。)性質を変えられないのなら、それは哀れな人ではありませんか(『終わりの日のキリスト講話集』の「宗教的な信仰は決して救いにつながらない」)。わたしは神の御言葉をじっくり考え、自分の振る舞いを反省しました。神のために犠牲を払っているように見せかけながら、本分におけるわたしの動機は自分の利益を満たすことだった。文書をまとめられる人はいないかと指導者に訊かれたとき、ヤン姉妹がその仕事にうってつけだと知っていたものの、自分の利益を守るために嘘をついて騙し、かわりにタン姉妹を推薦した。タン姉妹がその仕事で苦労しているのを目にし、働きを遅らせていることがわかっても、それでもヤン姉妹を推薦しなかった。神の家のことを考えず、神の旨にも配慮していなかったのです。自分の威信と地位を守るため、兄弟姉妹を道具として利用するだけだった。わたしはあまりによこしまで、利己的で、卑劣でした。長年神を信じていながら、考えや見方はすべて自身のサタン的性質と、サタンの生存戦術を基にしていた。神の御言葉に従うことも、真理を実践することもなかった。まさに神の御言葉が描く通りの不信者でした。これ以上自分勝手ではいられません。才能ある人材を提供し、教会のためにもっと多くの人を訓練しなければ。そこでわたしたちはヤン姉妹の教会での仕事を引き継ぐ人を用意し、彼女は異動になりました。その後、人の排斥と追放に関する文書を、ヤン姉妹がすぐにまとめ上げたことを知ったのですが、それを聞いて申し訳なく思いました。もっと早く彼女を推薦し、自分の利益を脇にのけていれば、この仕事がここまで長く遅れることはなかった。これはわたしの自分勝手さのせい。過ちを犯し、悪事を行なった。わたしはこれを、二度と自分の利益を神の家に優先させないようにという警告として受け止めました。

 この経験のおかげで少し変わったと思っていましたが、同じ問題が待ち受けており、その醜い頭を再びもたげたのです。それから間もなくして、指導者からリウ姉妹のことについて訊かれました。近くの教会で新しい信者を潤すのを、彼女に手伝ってほしいというのです。それを聞いてためらいましたが、自分勝手であってはいけない、教会の働きを守らなければならないし、別の誰かをいつでも訓練できると考え、リウ姉妹を行かせることに同意しました。しかし指導者は、文書の編纂を担当しているリー姉妹が昇格すると告げた上で、彼女の評価を記すようにと言いました。あんまりだと思いました。リー姉妹がいなくなったら、誰が文書の編纂を担当するの? わたしはリー姉妹に行ってもらいたくないと思い、なかなか評価を記しませんでした。彼女が行くのを数日でも遅らせられれば、その間に指導者が別の誰かを見つけ、リー姉妹をここに留めておくはず。わたしが評価を記していないことにパートナーが気づき、そうするようにと促しました。けれどわたしはそれをごまかし、すぐに取りかかると言いましたが、それでも評価を記しませんでした。そして10日くらいが経ったころ、パートナーがこう言いました。「指導者はリー姉妹を異動させましたよ。彼女のことは他の人から聞いたみたい」。わたしは一瞬、それをのみ込むことができませんでした。あまりに早すぎる! 優れた素質の持ち主をみんな奪われてしまった。こんなことじゃ、教会で何も成し遂げられない。そうした考えで頭がいっぱいになり、爆発しそうでした。心がずっしり重くなるのを感じ、それから数日は食欲も湧きません。どのように人材を見つければいいのか、どれほど大きなプレッシャーが自分にかかっているのかと、そればかり考えていたのです。とんでもなく苦労することになりそうでした。それを考えれば考えるほど不安で押しつぶされ、すっかり疲れ果ててしまいました。

 ある日、階段を降りていたところ、足を踏み外してしまい、足の骨が折れるような音が聞こえました。わたしは思いました。「これで終わった。足を骨折したら本分を尽くせない」。これが神の懲らしめであることはわかっていました。人が一人ひとり異動になり、心の中で神と言い争い、それに抵抗したことが頭に浮かびます。本分に対するわたしの態度が神を立腹させたに違いなく、ゆえに神はわたしから本分を取り上げたのです。そう考えると、心から怖くなりました。脚も激しく痛みます。わたしは心から悔い改めたいと思い、ひたすら神に祈りました。すると驚いたことに、その日の昼食を取り終えたあと、まるで怪我などまったくしなかったかのように、足の痛みが突然なくなったのです。わたしは心の中でわかっていました。これは、わたしが反省して自己認識できるようにするための、神からの警告に違いない。そして、「いつも自分の利益を最優先するのはなぜだろう?」と考えました。

 その後、神の御言葉の朗読動画を見ました。全能神は言われます。「人が神の働きを経験し、真理を得るまで、人を内側から管理し支配するのはサタンの本性です。この本性は具体的に何を伴っているでしょうか。例えば、あなたはなぜ利己的なのですか。なぜ自分の地位を守るのですか。なぜあなたはそのような強い感情を持っているのですか。なぜそうした不義な物事を楽しむのですか。なぜそのような悪を好むのですか。あなたがそのような物事を好む根拠は何ですか。それらの物事はどこから来るのですか。あなたはなぜそれらを喜んで受け入れるのですか。それらの物事の背後にある主たる原因は、サタンの毒があなたの中にあることだと、あなたがたは今ではみな理解しています。サタンの毒とは何かといえば、それは言葉で十分表現できます。例えば、『人はどのように生きるべきか。人は何のために生きるべきか』とあなたが尋ねたら、人々は『己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす』と答えるでしょう。この単純な言葉が問題の根源を表しています。サタンの哲学が人々のいのちとなったのです。何であろうと、人は追い求め、自分のためにそれを行ないます――ゆえに、人は自分のためだけに生きているのです。『己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす』――これが人のいのちであり、哲学であり、また人間の本性を表しています。こうしたサタンの言葉こそサタンの毒であり、人がそれを取り込むと、それは人の本性となるのです。サタンの本性はこれらの言葉をとおして暴露され、これらの言葉がサタンの本性を完全に表現しています。この毒は人のいのちとなり、人の生存の基礎ともなります。何千年もの間、堕落した人類はこの害毒に支配されてきました(『終わりの日のキリスト講話集』の「ペテロの道を歩むには」)

 人類がサタンによって堕落させられたあと、ありとあらゆるサタンの害毒がわたしたちの心に植え込まれ、わたしたちの本性になったのだと、神の御言葉は述べています。たとえば、「己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす」といった言葉です。誰もがそうしたサタンの害毒によって生き、わたしたちが行なうことはどれも自分の利益のためであり、それが正しく適切だと考えているので、ますます利己的かつ不実になっているのです。わたしは我が身を振り返りました。指導者がわたしの教会から人を異動させると、わたしは反感を抱いてそれを妨害しようとし、不実になるほどだった。人をあたかも自分の所有物のように扱い、神の家のものにするのを拒んだ。あまりに利己的で、卑劣で、理知がまったくなかった。わたしは神の家の働きを妨げていたのです! 主イエスが来られて働きをなさったとき、パリサイ人は人々がイエスに付き従うのを止めさせることで、自身の地位と生活を守ろうとしました。信者を自分のものとして扱い、彼らを巡って主と争ったのです。結局彼らは神の性質に背き、神に懲罰されました。わたしの振る舞いはパリサイ人とどこが違うでしょう? 兄弟姉妹は神の羊であり、神の家には望み通りに彼らを配置する権利があります。わたしに干渉する権利はありません。教会指導者であるわたしは、神の家が求める通りに、原則に沿って自身の本分を尽くし、真理の交わりをして問題を解決し、人を教育する必要があります。それがわたしの本分、わたしの責任なのです。しかし私は神の御旨に配慮せず、原則に沿って人を配置することもしませんでした。より多くの人を教育すべく、進んで努力していませんでした。才能ある人材を自ら提供せず、その人たちを自分の支配下に置き、わたし自身の威信のために働かせ、奉仕させようとしました。神の家に逆らって、自分のことをしていたのではないでしょうか? わたしは神に反抗し、反キリストの道を歩んでいました。そう考えると怖くなり、わたしを懲らしめ、さらに悪事を犯すのを止めてくださった神に感謝しました。

 その後、神の御言葉の違う朗読動画を見ました。全能神は言われます。「人類の感情は利己的で暗闇の世界に属している。それは神の意志のために存在するものではなく、ましてや神の計画のために存在するものではないため、人と神のことを同等に語ることは決してできない。神は永遠に至高かつ尊厳ある方であり、一方人間は永遠に下劣で、価値もない。これは、神が永遠に犠牲を払い、人類のために自身を捧げているからである。しかし人は、いつも自分の為に得る努力しかしない。神は人類の生存のために永遠に労苦しているが、人が光や義に寄与することは全くない。人が一時期働いたとしても、それは一回の打撃にも耐えることができない。人の働きは常に自分のためであって、他の人のためではないからである。人は常に利己的であるが、神は永遠に無私無欲である。神は公正なもの、良いもの、そして美しいもの全ての源であるが、人は醜いものと邪悪なもの全てを継承し、表現する者である。神が自身の義と美しさの本質を変えることは決してないが、人はいかなる時や状況においても、義を裏切り、神から遠く離れてしまう可能性がある(『神の出現と働き』「神の性質を理解することは極めて重要である」〔『言葉』第1巻〕)。神には私心がないことを、神の御言葉は示しています。神がなさることはどれもわたしたちを救うために行なわれるのであり、すべてわたしたちに益をもたらします。神の家が人を昇格させ、訓練を施すのは、優れた素質を持つ真理の探求者がさらに多くのことを実践し、最終的には神の委託を引き受けられるようにするためです。これは兄弟姉妹に、また神の家の働きに益をもたらします。わたしについて言えば、神の御言葉の潤しと糧、神の家による訓練を自由に受け取っていながら、本分を尽くして神の愛に報いることは考えていませんでした。どうすれば人を自分の支配下に置けるのかと、そればかり考えていました。自身の威信と地位のためなら、神の家が人を訓練して働きを守るのを、躊躇なく妨げました。わたしはあまりに利己的で悪意に満ち、神の御前で生きる資格などありません。そのようにし続けられないことはわかっていました。神の家に有能な人材を提供し、さらに多くの兄弟姉妹がそれぞれふさわしい場所で本分を尽くせるようにする必要があるのです。ひとたび自分の考えを正せると、リー姉妹の仕事を引き継ぐ人がすぐに見つかり、わたしは神に感謝しました。この新人は原則を知らず、わたしもより懸命に働く必要に迫られましたが、心が穏やかに落ち着くのを感じました。犠牲を払って自分ができることを何でもして、また教会の働きをきちんと行なえるよう、兄弟姉妹と進んで祈りました。

 それから二週間後、指導者にこう言われました。「文書を編集しているチャオ姉妹を別の教会に移し、そこで本分を尽くしてもらおうと考えている」。それを聞いてわたしは思いました。「神の家の働き全体を考えなければ。もう利己的ではいられない。でも、今度もまた、別の姉妹の訓練を始めたばかりで、彼女は原則をまだ知らない。きっと働きに影響が出るはず。チャオ姉妹にこのままここにいてもらったほうがいいのかも」。そのとき、またしても自分の利益を考えていることに気づき、自分が以前に反キリストの道を歩み、教会の働きを何度も妨げ、神の性質に背いたことを考えました。そして恐怖を覚えました。すると神の御言葉が頭に浮かんだのです。「いつも自分のために物事を行なったり、絶えず自身の利益を考えたりしてはいけません。人の利益を考慮せず、自分の自尊心、評判、あるいは地位を考えないこと。また、人の利益を考慮してはいけません。まずは神の家の利益を考慮し、それを最優先にしなければなりません。神の旨を想い、自分が本分を尽くす中で不純だったかどうか、忠誠を尽くし、自分の責任を果たし、自分のすべてを捧げたかどうか、そして自分の本分と教会の働きを心から考えてきたかどうかを熟慮することから始めなさい。あなたはこれらのことを考えなければなりません。これらのことを頻繁に考えなさい。そうすれば、立派に本分を尽くすのがより簡単になります。素質が劣っていたり、経験が浅かったり、自分の職業に熟練していなかったりした場合、働きの中に誤りや欠陥があったり、結果が思わしくなかったりするかもしれませんが、それでもあなたは全力を尽くしているでしょう。行動において自分の私欲や利益のことを考えず、その代わり神の家の働きを絶えず考慮し、その利益を心に留め、立派に本分を尽くしているとき、あなたは神の前で善行を積み重ねていることになります。そうした善行を行なう人は真理現実を自分のものにしている人たちであり、ゆえに証しをしたのです(『終わりの日のキリスト講話集』の「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」)。神の御言葉は実践の道を授けてくれました。神の御旨と教会の働きに注意を払わなければ。利己的になって、才能ある人材を手元に留めようとしてはいけない。そこで神に祈りを唱えました。「神よ、わたしはあまりに利己的かつ下劣で、神の家が人を昇格させるのをいつも邪魔し、教会の働きに影響を及ぼしていました。これ以上あなたに抵抗したくありません。肉を捨てて真理を実践できるよう、どうかわたしをお導きください」。祈りのあと、チャオ姉妹に会いに行き、異動のことを伝えました。彼女は異動になりましたが、わたしは以前のように動揺しませんでした。その代わり、こうした人材を神の家に提供できたのは、神の優しさと祝福だと感じたのです。また、本分を尽くすこともでき、心は穏やかさと喜びで一杯でした。全能神に感謝します!

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