主は本当に雲に乗って戻るのか

2021年12月15日

災害が次々と起き、ウイルスが世界に蔓延しています。主が雲に乗って戻り、自分たちを天に上げ、この暗い世界と災害から救い、天国へ導くのを、信者は心待ちにしています。空を眺めてひたすら祈り、雲に乗った主を見たいと切に願い、主が来て自分たちを災害に放り込んではたまらないと、目を離しません。しかし、災害が訪れたのに、彼らは主イエスの降臨を迎えておらず、失望しています。多くの人が、主イエスは本当に来るのかと疑問を抱いているのです。中には不安を感じ、主はもう自分を災害に放り込んだと考える人も。多くの牧師も無力を感じて話を変え、主は災害の途中か後に来ると言っています。さらに、主は2028年か2030年に来ると主張する者さえいます。聖句のこうした解釈は結局信者を災害へ陥れますが、何も問題ないと安心しています。しかし、信仰の長さや懸命な頑張りにかかわらず、いまだ主を迎えていません。それがどれほどつらいか、想像がつくでしょう。信者はみな聖書の話を知っています。災害に陥って泣きわめき、歯ぎしりするのは恥辱の印で、信仰が成功するか否かは、災害の前に主を迎えられるかどうかで決まる、と。ならば、宗教界の人たちが主を迎えておらず、災害に陥ったのはなぜでしょう? 主は不誠実で、だからいまだ現われていないのか? 絶対に違います。宗教界が主を迎えていないのは、まだ戻っていないからではありません。実際、主はずっと前に肉へと戻り、人の子として現われ、働いています。あらゆる教派の多くの人が神の声を聞き、主を迎えていますが、雲に乗った到来という考えにこだわる宗教界の人たちは、いまだ主を迎えていません。1991年、東方閃電が全能神の出現と働きの証しを始め、それから30年が経過しました。全能神は数百万字の言葉を表わし、真理を愛する各教派の人たちがそれを読んで真理そのものだと認め、神の声を聞いていると気づいて全能神の前に出て、主を迎えたのです。全能神が表わした真理は以前からネットで公開され、稲妻のように東から西へとひらめき、全世界を照らしていますが、それは主イエスの言葉を成就させています。「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」(マタイによる福音書 24:27)。全能神の出現と働きは全世界を揺るがしましたが、宗教界の反キリスト勢力は神の出現と働きを調べさえせず、東方閃電を非難・断罪しています。その根拠は、雲に乗って来ない主イエスはどれも偽物で、受肉して来る主は偽キリストだ、というだけ。これでわかります。宗教界が主を迎えず、災害に陥ったのは、主イエスの預言通りに主を迎えず、自分の観念にこだわり、主は雲に乗って戻ると勝手に判断しているから。主が戻り、自分たちをまっすぐ天国に上げるのを望みながら、主自身の言葉を実践していない。主を迎えるという一大事にそうしたひどい間違いを犯すと、引き上げられる機会を失い、災害に陥って泣きわめき、歯ぎしりすることになりますが、それは神の言葉を成就させます。「わたしの民は知識がないために滅ぼされる」(ホセア書 4:6)。

主イエスは雲に乗って戻るのか、それとも受肉した人の子として現われ、働くのかを知るには、まず冷静になり、第2の到来に関する主イエスの預言をじっくり考えましょう。そうすれば大いに啓かれます。ここで聖句を見ましょう。「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」(マタイによる福音書 24:27)。「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」(ルカによる福音書 17:24-25)。「だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである」(マタイによる福音書 24:44)。「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう」(マタイによる福音書 24:37)。「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした」(マタイによる福音書 25:6)。「もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない」(ヨハネの黙示録 3:3)。「見よ、わたしは盗人のように来る」(ヨハネの黙示録 16:15)。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう」(ヨハネの黙示録 3:20)。これらをじっくり考えれば、再来に関する主イエスの預言で、「人の子」に何度も触れていることがわかります。「人の子の現れる」「人の子が来る」「人の子もその日には」「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう」主イエスが「人の子の現れる」と何度も言ったのは、終わりの日に主を迎える上で大事だからです。では、「人の子」は何を指しているのでしょう? 疑問の余地なく、人の子として肉をまとった神の霊です。神の受肉たり得るのはこれだけです。また主は何度も、「盗人のように」戻ると言っています。「盗人のように」とはどういう意味でしょう? 人の知らぬ間に、主が静かに、密かに来るという意味です。神は人の子として受肉し、語って働くべく、密かに降臨します。ゆえに主は終わりの日に人の子として再臨し、それは災害の前、世が最も暗いときだと確認できます。「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした」(マタイによる福音書 25:6)。東方閃電は1991年から全能神の証しをしており、2021年までの30年間、中国共産党による激しい圧迫、取り締まり、そして害を受けてきました。共産党は全国規模の宣伝機関さえも使い、東方閃電が証しする「全能神」の名を世界中に広め、誰もが知る名前にしました。それは主イエスの預言を成就させています。「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」(ルカによる福音書 17:24-25)。東方閃電が全能神を長年証ししたあと、真理を愛するすべての教派の人たちが全能神の言葉を読んで、これは真理だ、聖霊の諸教会への言葉だと認めました。神の声を聞き、喜んで全能神を受け入れたのです。彼らは神の御座の前に引き上げられ、主の宴に出ている賢い乙女です。全能神を批判・断罪しながら、後にその言葉を読み、神の声を聞いて御前に出て、全能神に逆らい、断罪したことを後悔する人も大勢います。彼らは子羊の婚宴に出ている賢い乙女で、全能神こそ終わりの日の人の子の顕現、降臨だと証ししています。しかし聖書の字句にこだわり、雲に乗った主の降臨しか受け入れない人は愚かな乙女で、災害へと陥っており、大災害のあと、主イエスが雲に乗って来るのを待つだけです。そうした人が主を迎えられないのはおもに、人による聖書の預言しか信じず、主イエスの口から出た預言を信じないからです。雲に乗った主の降臨しか受け入れず、神が肉において現れ、人の子として働いている事実を拒絶します。なんという愚かさでしょう! 主は再来の預言で「人の子」に何度も触れましたが、「賢く聡明な」牧師や聖書学者の多くは、「人の子」の解釈を誤り、大きな間違いを犯しています。自分の知性の犠牲者なのです! 全能神が多くの真理を表わしたのに、彼らは全能神を人の子と認めようとしない。何も見えないのでしょうか? 受肉した神でなければ、これほど多くの真理をどうして表わせるでしょう? 彼らはいまだ、雲に乗った主イエスの降臨しか受け入れようとせず、ゆえに引き上げられる機会を失い、災害へと陥っており、永遠に悔いるでしょう。

今や明白です。主は働きを為すべく、受肉した人の子として戻った。これは誰一人否定できない、反論不可能な事実です。しかし多くの人がこう問います。黙示録1章7節の「見よ、彼は、雲に乗ってこられる」は、雲に乗った主の降臨を意味するのではないか? 雲と共に来るのだから、「人の子として来る」は矛盾していないか? そう見えるかもしれませんが、矛盾はありません。これは人間の理解力の問題です。聖書の預言はすべて必ず成就しますが、特定の過程と段階があります。また人の子の出現と、雲に乗った主の降臨との間には順序があります。主は初めに肉となり、密かに来て働き、それから雲に乗って公然と現われます。なぜ2段階なのでしょう? その間、何があるのでしょう? そこに奥義があります。まずは主イエスの預言を見ましょう。主イエスは言われました。「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう」(ヨハネによる福音書 16:12-13)。「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります」(ヨハネによる福音書 17:17)。「たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう」(ヨハネによる福音書 12:47-48)。「父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。……そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった」(ヨハネによる福音書 5:22、27)。そして「さばきが神の家から始められる時がきた」(ペテロの第一の手紙 4:17)。主イエスの預言は完全に成就しました。人類が予想もしないうちに、人の子が密かに来て、多数の真理を表わし、終わりの日の裁きの働きを行なった。それは真理の霊で、神の選民をあらゆる真理に導き、災害の前に勝利者の一団を完成させました。また全能神の国の福音が各国に広まっており、これは全能神がサタンを負かし、すべての栄光を得たことを示しています。大災害が始まった今、神は勝利者の一団を完成させ、偉大な働きを成し遂げようとしています。災害後は雲に乗って、万国万民の前に公然と現われ、人の子の出現と、雲に乗った主の到来に関する預言が、この時点で完全に成就します。全能神が現われ、神の家から始まる裁きを開始して以来、全能神を受け入れた人は神の言葉を日々飲み食いし、神の裁きと清めを受け入れることで、罪とサタンの勢力から徐々に逃れています。そして災害前に神によって勝利者とされ、初穂になったのです。これで黙示録の預言が完全に成就します。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう」(ヨハネの黙示録 3:20)。「彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である」(ヨハネの黙示録 14:4)。終わりの日の裁きの働きをすべく、全能神が密かに来てから30年。多数の真理を表わし、聖書の奥義と6,000年にわたる神の経営計画の奥義をすべて明かしました。また人の堕落した実質を裁いて暴く多数の言葉を発し、人はそれら真理の道により、罪とサタンの勢力から逃れ、完全に救われます。神の選民は全能神の裁き、刑罰、刈り込み、取り扱い、試練、精錬を受け、自分の堕落をはっきり見て恥ずかしく感じ、後悔のあまり神の前でひれ伏し、自分を忌み嫌います。また、神の義なる性質が背きを許さないことを知って神への畏敬が生まれ、神を畏れて悪を避けるようになり、真に悔い改めて変わります。全能神は災害の前に勝利者の一団を完成させ、初穂を得ました。これら勝利者の証しは動画や映画となってネット上で公開されており、それを見た人は心から納得します。これは明らかに、終わりの日の神の出現と働きです! 全能神は多数の真理を表わし、かくも偉大な働きを為すことで、全世界だけでなく全宇宙を揺るがせています。世界を変え、古い時代を終わらせて、新たな時代を始めたのです。神の国の時代が始まりましたが、全能神が人の子の出現、主イエスの再臨であることを証明しています。救い主が現われ、働きを行なっているのです! 神の家から始まる裁きの働きはもうほとんど完了し、それとともに大災害が降りました。災害はすでに始まり、ますますひどくなると言えます。神に逆らう悪人はみな災害の中で懲罰され、滅ぼされますが、終わりの日の神の裁きと刑罰で清められた人は災害の中で神に守られ、生き延びます。災害が終わると、このサタンの悪しき世は滅ぼされ、神が雲に乗って公然と万民に姿を見せます。これで黙示録1章7節の預言が成就します。「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう」。諸族がみな嘆くのはなぜでしょう? 全能神が多数の真理を表わし、かくも偉大な働きを為したのに、調べようとしないどころか、宗教界の反キリスト勢力に追随し、批判、断罪、冒涜したからです。神の性質に背き、災害へと陥りました。最後は胸を叩いて嘆き、歯ぎしりするしかないでしょう。「地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう」という黙示録の悲しい預言が成就します。全能神の裁きと刑罰を受け入れることで清められ、完全にされた人は神の公然たる出現を見て、歓喜のあまり飛び回り、神の全能、知恵、義を称えます。全能神の言葉の通りです。「わたしの憐れみは、わたしを愛し、自分を否定する人に向けて現わされる。そして、邪悪な者にもたらされる懲罰はわたしの義なる性質の証明そのものであり、それ以上にわたしの怒りの証である。災いがやって来ると、わたしに反抗する者はみな飢饉や疫病に苛まれ、涙を流す。あらゆる悪事を犯してきたが、長年わたしに従って来た者でも罪の償いを免れることはできない。何百万年の時を通して誰も目にしたことのないような災いに陥り、絶えず恐怖と不安の中に生きることになる。そして、わたしだけに忠誠を示して従ってきた人は喜び、わたしの力に拍手喝采する。彼らは言葉に表せないほどの満足感を体験し、わたしが人類にいまだかつて与えたことのないような喜びの中に生きる。わたしは人の善行を宝とし、悪行を忌み嫌うからである。わたしが初めて人類を導き始めたときから、わたしと心を同じとする人の集まりを獲得することを熱望してきた。わたしと同じ心を持たない人については、わたしは決して忘れない。彼らに報いを与え、その様子を楽しみながら眺める機会を待ち望みながら、彼らに心の中で憎み続ける。今日、遂にその日を迎え、もはや待つ必要はない」(「終着点のために十分な善行を積みなさい」『言葉は肉において現れる』)。

全能神は真理と終わりの日の裁きの働きで、人を完全に清めて救います。人が救われ、神の国に入る唯一の機会、千載一遇の機会です。大災害が始まった今、すぐに目覚めて全能神の働きを調べる人は間に合います。全能神の言葉にある通りです。「たしが多くの民を罰するとき、宗教界にいる者は、わたしの働きによって征服され、程度の差はあれ、わたしの国に戻る。彼らは聖なる方が白い雲に乗って降臨するのを見たからである」(『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」「第二十六章」)。これでわかります。災害の中で神の声を聞き、神の業を見、神の前に出て、救いを得られる人がいる。災害の中で引き上げられるのですが、これは最後のチャンスにして、人類に対する神の偉大な慈悲です。聡明な人は何を選ぶべきかがわかりますが、雲に乗った主の到来を待ちわびる人の結末は自明です。最後に全能神の言葉をもう一節見ましょう。「多くの者はわたしの言うことに耳を傾けないかもしれない。だがそれでも、天からイエスが白い雲に乗って降臨するのをあなたがたが自分の目で見る時、これは義の太陽が公に現れることであると、わたしはイエスに付き従ういわゆる聖徒全員に伝えたい。おそらく、その時あなたにとって大いなる興奮の時となるであろう。だが、あなたがイエスが天から降臨するのを見る時は、あなたが地獄へ落ち、懲罰を受ける時でもあることを知るべきである。それは神の経営(救いの)計画の終わりの時であり、神が善良な人々を報い、邪悪な者たちを罰する時である。神の裁きは人間がしるしを見る前に、真理の現れだけがある時には終わっている。真理を受け入れてしるしを求めることがなく、故に清められている人々は、神の玉座の前に戻り、造物主の胸に抱かれる。『白い雲に乗らないイエスは偽キリストだ』という信念に執着する者たちだけは、永久に続く懲罰を受けなければならない。彼らはただしるしを示すイエスしか信じず、厳しい裁きを宣言し、真の道といのちを解き放つイエスを認めないからである。そのような者たちは、イエスが白い雲に乗って公に戻ってくる時に取り扱うしかない。彼らはあまりに頑なで、自信過剰で、傲慢である。どうしてこのような堕落した者たちがイエスに報いてもらえるだろうか。イエスの再臨は、真理を受け入れることのできる者には大いなる救いであるが、真理を受け入れることのできない者にとっては、罪に定められるしるしである。あなたがたは自分自身の道を選ぶべきで、聖霊を冒涜したり真理を拒んだりするべきではない。あなたがたは無知で傲慢な者でなく、聖霊の導きに従い真理を慕い求める者にならなければならない。そうすることでのみ、あなたがたの益となる」(「あなたがイエスの霊体を見る時、神はすでに天地を新しくしている」『言葉は肉において現れる』)。

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