ある守銭奴の目覚め

中国 醒悟

子どものころ、我が家は貧しくて学費が払えず、私は垣根を作って学費を稼ぎました。農作業で小指を切ったときも、治療費がなくて完治しませんでした。今もまっすぐ伸ばせません。結婚後も私たち夫婦は貧乏でした。友人や親戚に見下され、避けられました。金持ちが尊敬され、食べ物や着る物の心配がないのを見ると、羨んだものです。人はいつも「金があれば鬼にひき臼を回させることができる」「金はすべてではないが、金なしでは何もできない」「金がものを言う」などと言ってますが、当時はどれも本当だと思ってました。お金があれば衣食をまかない、尊敬と羨望を得られる。お金こそすべてだと思い、頑張ってもっと稼ごうと誓いました。貧乏から抜け出てお金持ちのように暮らしたかったのです。

その後、ある学校の食堂を夫婦で経営することになりました。毎日数百人が食事するのですが、お金を貯めようと一人しか雇わず、夫と一緒に毎日朝四時から深夜まで働きました。風邪を引いても休まずに。もっと稼ぐために農作業も沢山引き受け、農繁期は夜に植え付けや収穫をしました。日夜働いてたので、目眩に襲われることもたびたびでした。うとうとしながら野菜を切って、手に怪我したこともあります。傷口に塩と水が染み込み、痛いのなんの……たとえ疲れがたまっても、どんどん稼ぐたびに嬉しくなって、頑張った甲斐があると思いました。またいい服を着て笑いながら食事してるお金持ちを見て、「もっと稼がなきゃ!」と自分に言い聞かせました。必死に頑張っていればいつかお金持ちの仲間入りよ、と。

毎日冷たい水に触れてたせいで重いリウマチにかかり、関節が変形しだしました。また長年の疲労のせいで椎間板がずれて、骨過形成と座骨神経痛になりました。医者には手術と三ヵ月の入院を勧められましたが、お金を稼ぎたくて断わりました。三日間でも長すぎます。こうして日夜働き続けましたが、不規則な食事と睡眠不足のせいで結局、胃下垂と胃腸炎になりました。その直後、子宮筋腫、卵巣脱垂、心臓病、心筋炎、重度の貧血を発症、次から次へ病気になったのです。痛みはとても耐えがたく、夜眠ることもできません。何度泣いたか数え切れない。困惑して、「生きる意味は何? 稼ぐために苦労するだけなの?」と思いましたが、答えは見つかりません。社会で何か成し遂げるにはお金が不可欠だと思っていたので、「立てる限り働ける」と自分に言い聞かせました。そうしてお金稼ぎに戻ったのです。でもある日、病院の検査で二種類の癌が発症したと診断されました。初期の肺がんと乳がん。青天の霹靂で力が脱けてしまい、ベッドに伏せって何時間も泣きました。治療を求めてあらゆる病院に行き、貯金もほぼ使い果たしました。でも効果はなく、薬のせいで全身が腫れ上がりました。毎晩みんな寝静まったころ、私は絶望の中、ベッドから外を眺めたものです。稼ぐことに人生を費やしたのに、お金持ちになるどころか、病気になって人生は惨め。生きることに何の意味があるの? もう命がけでお金を稼ぐのは嫌だと思いました。ですが夫はお金を愛してて、「生きてる限り働かなきゃ!」と言うのです。その冷たさに私は戸惑いがっかりしましたが、何と言っても無力感を覚えました。自分はまだ四十代。幸せな生活なんか無縁だったし、息子の結婚もまだ。このまま死ぬ覚悟なんてないし、生き続けたい。でもお金がなければ、治療を受けて生き延びるなんて無理。お金を稼ぎ続けるしかない。そこで投薬治療を受けながら働き続けました。

一年後、夫が残りの貯金を使って練炭工場を建て、翌年には搾油工場を開設。私は病気にもかかわらず、日々両方の工場で雑用をしました。数年の努力を経てやっといくらか稼ぎ、街に家を建てて車を買い、物に恵まれた生活を楽しみました。友人や親戚にもちやほやされて羨ましがられました。社会的地位が変わり新たな身分を手に入れたのです。本当に満足でした。長年の苦労がようやく報われたように思えた。だけど良いときは続きません。長年の疲労のせいで身体が壊れ始め、医者にこう言われました。「病状があまりに複雑です。すべての臓器が正常に機能していません。我々には何もできない」その言葉が死刑宣告のように聞こえ、受け入れることができませんでした。家に帰って死ぬのを待てってこと? お金はあるし恵まれた生活を送っているけど、それが何の役に立つの? もうお金がいくらあっても助からない。病気の苦痛に死にたいとまで思いました。他に何ができるでしょう? 私は思わず天を仰いで叫びました。「天よ、どうか助けてください!」って。

絶望が頂点に達したとき、友人が終わりの日の全能神の福音を分かち合ってくれました。終わりの日、神は人類を救い、真理を表わし、人生の奥義を明かすべく、肉になられたというのです。世の邪悪と闇の根源、人生が空虚で苦しみに満ちている理由、病気の由来、人の運命は誰の手中にあるのか、人生を真に有意義にするものは何かなどを明かされると。さらに、御言葉を読んで真理を理解すれば、こうした物事を見抜いて苦しみが軽くなると言いました。そして全能神の御言葉を読んでくれました。「人間が生涯にわたって耐える、出生、死、疾病、老齢の苦痛は、何が根源なのでしょうか。これらの事が人間に発生する原因は何でしょうか。人間が最初に造られた時、こうした苦痛は人間に発生したか、というと、発生しなかったのではないでしょうか。それならば、こうした苦痛は、何に由来するものでしょうか。それらは、人間がサタンによって誘惑され、肉体が堕落したあとで発生しました。人間の肉の痛みや苦しみ、虚無感、人の世における極度の悲惨な出来事といったことは、サタンが人類を堕落させて初めて生じました。人間がサタンによって堕落させられた後、それは人間を苛み始めました。結果として人間は一層堕落してゆき、人間の病はますます深刻になり、人間の苦しみは一層激しくなりました。人の世の空虚感や悲劇、この世で生き続けることが不可能であることを、人は一層感じるようになったのです。そしてこの世に対する希望もますます感じなくなっていきました。この苦しみはサタンから人間にもたらされたものです(『終わりの日のキリスト講話集』の「神が世俗の苦しみを味わうことの意義」)

すると友人はこう話してくれました。「神に創られたとき、人はみな神の加護のもとで生き、エデンの園で自由に暮らし、死も、病気も、不安もなかった。でもサタンにそそのかされて堕落し、神を裏切りその気遣いと加護を失った。人はサタンの原則にしたがい、サタンの支配下で生きています。名声と富と地位を巡って競い合い、嘘をついて騙し、争います。病、そして霊の苦痛と悲しみはここから生じるのです。またこうした苦しみや不安のせいで、人生は苦痛と疲労と困難に満ちていると誰もが感じます。それはどれもサタンに堕落させられたことが原因で、サタンが人を苦しめているのです。しかし私たちを救うべく、神は肉となってこの世に来られ、私たちが救いを得て清められるよう、すべての真理を表わされます。神の御言葉を読んで生きれば神の加護と導きを得られ、堕落を取り除いて神に救われ、最後の終着点に導いていただけます」その言葉を聞いて一種の希望を感じ、全能神なら私を苦しみから救えると思って、全能神の働きを調べますと答えました。すると『言葉は肉において現れる』をくれたんです。その後は神の御言葉を毎日読み、兄弟姉妹と会いました。

ある日のデボーションで御言葉の朗読の動画を見たので、全能神は言われます。「背景が何であれ、また前途がどうであれ、天の指揮と采配から逃れられる者はいない。また自分の運命を支配できる者もいない。なぜなら、万物を支配するその方しかそのような働きはできないからである。人類が誕生して以来、神は宇宙を経営し、万物の変化の法則とそれらの運行の軌跡を指揮しながら、ずっとこのように働いてきた。万物と同様に、人間は秘かに、知らないうちに、神から来る蜜と雨露によって養われている。他のあらゆるものと同様に、人は知らないうちに神の手による指揮のもとに生存している。人の心と霊は神の手中に握られており、人の生活の一部始終が神の目に見られている。あなたがこのことを信じているかどうかにかかわらず、生きているものであれ死んでいるものであれ、万物は神の思いによって移ろい、変転し、新しくされ、消滅する。これこそが神が全てのものを統治する方法である(『神の出現と働き』「神は人間のいのちの源である」〔『言葉』第1巻〕)。この動画を見てわかりました。神は創造主でいらっしゃり、すべてを支配され、人類全員に糧を施されると。私たちの運命、生死、幸せは神の手中にあります。忙しく走り回るだけでは変えられません。でも私は神の支配をわかってませんでした。自分の力に頼って運命を変え、お金持ちになろうとしたんです。だけど少しばかり稼いでも、幸せは感じませんでした。霊は苦しみ身体もぼろぼろ。そのとき気づいた。神を信じて礼拝せず、神の支配に従わず、欲望のために運命に抗えば、苦しんだところで無駄になり、死後は地獄に落ちると。神だけが真の支えだと知り、神に祈って自分の体調を託しました。生きるか死ぬかにかかわらず、神の支配に従おう。

その後、教会生活にたびたび参加しました。御言葉を読んで真理を追求し、本分を尽くして神を満足させようとする兄弟姉妹を見て、本当に羨ましかった。以前の生活を捨てて生まれ変わりたいと思いました。そこでたびたび神に祈り、もっと集会に出て本分を尽くせるよう、道を授けてくださいと願いました。その後、道路建設のために搾油工場が立ち退くことになりました。もう二つの工場を行き来する必要はありません。集会に出て神の御言葉を交わり、御言葉を味わって神に近づく時間を得られました。毎日が充実していました。やがて、体調もよくなり始めました。活力が生まれ、身体も強くなって、落ち着きと安らぎを感じました。神への感謝で一杯でした。

その後、別の御言葉の朗読を視聴しました。全能神は言われます。「『地獄の沙汰も金次第』はサタンの哲学であり、人類全体に、あらゆる人間社会に蔓延しています。この格言は人間一人ひとりの心に染み込んでいるので、社会動向であると言うことができます。当初、人はこの格言を受け入れていなかったのですが、やがて現実の人生に触れたとき、それを暗黙のうちに受け入れるようになり、これらの言葉は実は本当だと感じるようになりました。これは、サタンが人間を堕落させる手順ではありませんか。……サタンがこの社会動向を用いて人を堕落させた後、それは人にどのように表れますか。皆さんはお金がなくてはこの世で生き延びられない、一日でさえもお金なしでは過ごせないと感じませんか。人の地位はその人がどれだけお金をもっているかに基づいており、それは人が受ける尊敬の念についても同じです。貧しい人々は恥じて背を丸め、その一方で富裕な人々は高い地位を享受しています。彼らは胸を張って威張り、大きな声で話し、傲慢に暮らします。この格言と社会動向は人に何をもたらしますか。多くの人がお金を求めて何らかの犠牲を払っているというのが真実ではありませんか。より多くのお金を求めて自分の尊厳や高潔さを犠牲にしていませんか。しかも、お金のために、自らの本分を尽くして神に従う機会を失っていませんか。これは人にとって損失ではありませんか。(損失です。)この方法と格言を用いて人間をここまで堕落させるサタンは邪悪ではありませんか。これは悪意に満ちた策略ではありませんか(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 V.」〔『言葉』第2巻〕)。これを見てわかりました。苦痛と疲労の数十年を過ごしたのは、サタンの堕落と社会の影響のせいで、世の流れに従い、お金を崇拝したため。子供時代は貧乏で、排除され見下された。よい暮らしを送り、尊敬されているお金持ちを見て、この世で生きるにはお金が必要だと確信した。「金はすべてではないが、金なしでは何もできない」「金があれば鬼にひき臼を回させることができる」「金がものを言う」「お金は全てに勝り」「人間は金銭のために身を滅ぼし、鳥は餌のために身を滅ぼす」。こうしたサタンの誤謬が心に根ざし、私の考えを支配していました。お金がすべてだと思い込み、お金で羨望と尊敬と幸福を得られると考えました。お金の追求が唯一の目的で、もっと稼ぐことしか考えなかった。目まいや疲労や病気に襲われ、身体が耐えられなくてもお構いなし。お金持ちになって豊かな生活を送るんだと思い、歯を食いしばって頑張った。癌になっても同じまま。それどころか、お金がますます大事になった。治療を受けて生き延びるのに必要だから。そうなってもお金を稼ごうとしたんです。サタンに固く縛られ、守銭奴以外の何物でもなかった。車と家とお金があり、尊敬と羨望を集めていても、全然幸せじゃなかった。多くの病気を抱え、癌にもなった。お金は苦痛を軽くできず、私の命も救えなかった。ひどい苦痛と絶望を感じました。お金が増えても役に立たなかったでしょう。以前は命とお金を引き換え、今はお金で命を買っている。お金を稼ぐために生きてきたけど、結局何も残らなかった。そのとき、お金の追求は間違った生き方だとはっきりわかりました。お金は私たちを傷つけ堕落させるサタンの手段。首に巻かれたサタンのくびきです。神の御言葉がなければ、今もわからなかったでしょう。サタンがお金で私たちを縛り、支配し、傷つけ、いまだ私の鼻を引っぱり回し、私を責めて弄んでいただろうと。人は真理を理解してないので、生き方を知らないのだとわかりました。群衆に従うだけでお金を最優先にしてる。本当に情けない。神の御声を聞き、神の御前に出てサタンの虐待から逃れた私は幸運でした。それは神の救いで、私の心は神への感謝で一杯でした。

その後、夫が出荷に出かけるとき、私が工場で働かなければならなくなりました。集会の時間にぶつかることもあり、集会に出てもそわそわしました。罪悪感を覚えました。稼ぐために自分を病気に追い込み、医者からも死刑を宣告された。死の淵にいた私を救い、第二のチャンスをくださったのは神なのに、本分を尽くして神の愛に報いられない。神に申し訳ないと思い、主イエスの御言葉を考えました。「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか(マタイによる福音書16章26節)。テモテへの第一の手紙6章8節にはこうあります。「ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである」。命を失うんだったら、お金を稼ぐことに何の意味があるでしょう。私は練炭工場を貸すことを考えました。稼ぎは減りますが、生活には十分。神を崇めて本分を尽くせます。でもよく考えると、練炭工場は順調で、始めるときも大変だった。諦めるなんてもったいない。私はためらい、どうすべきかわからなかったので、神に祈って助けを求めました。

するとある日、こんな御言葉を読みました。「こうした状態から自由になるための非常に簡単な方法があります。それは、自分の以前の生き方や人生の目標と訣別し、以前の生き方、人生観、追求、願望、理想を概括し、分析し、それを神の旨や人間への要求と比較し、それらのいずれかが、神の旨や要求と一致しているか、人生の正しい価値をもたらすか、一層深い真理の理解へと導くか、人間性と人間らしさを伴った生き方を可能にするかを確認することです。人々が追求する人生の様々な目標や多種多様な生き方を繰り返し調査し、注意深く分析すると、創造主が人類を創った時の創造主の本来の意図と一致するものがひとつもないことが分かります。それらはすべて、人間を創造主の統治と慈しみから引き離し、人々を堕落させて地獄へと導く罠です。このことを認識した後の課題は、以前の人生観を捨て、様々な罠から離れ、自分の人生を神に託して神の采配に委ねることです。それは、神の指揮と導きのみに従うよう心がけ、個人的な選択肢を持たず、神を崇拝する人になるということです(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 III.」〔『言葉』第2巻〕)。神の御言葉を読んで、豊かになろうと以前頼ったサタンの生存法則を考えました。「金があれば鬼にひき臼を回させることができる」「お金はすべてではないが、それがなければ何もできない」豊かになって人から尊敬されるため、お金を得ようと格闘した。苦しく惨めな日々でした。お金がそんなに大事でしょうか? それで何が得られるのでしょうか? 家や車を買い、物に恵まれた生活を送る助けとなり、尊敬と、束の間の肉の喜びをもたらせます。だけど心の虚しさを埋めたり、苦痛を取り除いたり、安らぎや喜びをもたらしたり、病気の苦しみを終わらせ、命を救ったりすることはできなかった。地元の学校の校長も、お金と地位があったのに、癌で死んでしまいました。お金も地位も、苦しみと死から逃れる助けにはなれなかったのです。お金持ちなのに苦しく虚しい生活を送り、それを終わらせるために命を絶った人、嘘をついて人を騙し、争い、詐欺を働き、人間性と良心を失った人もいます。こうした話や自分自身の経験のおかげで、金銭を求めても人は堕落し腐敗するだけだとわかりました。神から遠ざけ、悪に向かわせるのです。ヨブはお金も豊かさも求めず、神の支配に従い、万事において神の御業を認識しようとし、最後は神の祝福を得ました。またイエスに呼ばれたペテロは他のすべてを捨てて神に従いました。神を知ろうと求め、神を愛し、神によって完全にされ、有意義な人生を送ったのです。おかげで、神を知って崇め、御言葉に沿って生き、神にたたえていただくことが、人生で一番大事なんだとわかりました。信仰と正しい道には容易に至れませんでした。ですが富と俗世の喜びを追い続け、真理と救いの追求を止(や)めるなんて馬鹿げてるとわかったのです。そう考えると、心の疑いはなくなりました。もう守銭奴ではいたくありません。真理の追求にもっと時間と精力を費やしたい。その後、工場を貸すことについて夫と話し合ったのですが、神の不思議な采配のおかげで貸すことになりました。ちゃんと集会に出て本分を尽くせるようになったのです。

二年後、夫が病気で急死しました。夫の死は私にとってつらく、命のはかなさを思い知ったものです。夫は人生の大半を駆け回り、お金を稼ぐことに費やした。血圧が二百を超えても働き続けた。腰の骨を折っても全快しないまま働き、私が言っても休まなかった。夫も守銭奴で、サタンに生涯支配され、傷つけられていたのです。死が迫っても諦めようとせず、お金を稼いでよい生活を夢見てましたが、命を失いました。名声と富は夫を救えず、苦痛や死から逃れる助けにならなかった。神が言われるとおりです。「人々は、金銭と名声を追い求めて人生を過ごします。それらがあれば、生き長らえて死を免れるとでもいうように、金銭と名声が唯一の支えだと考え、それらの藁にしがみつくのです。しかし、死が迫る時になって初めて、こうした物事がどれほど自分に無縁であるか、死に直面した自分がどれほど弱いか、どれほど脆いか、どれほど孤独で無力であり、進退窮まった状態にあるかを悟ります。人間は、いのちは金銭や名声で買うことができないこと、いかに裕福であっても、いかに高い地位であっても、死を前にした人間は皆同様に貧しく取るに足らない存在であることを悟ります。人間は、金銭でいのちを買えないこと、名声で死を消し去れないこと、金銭や名声では、一分一秒たりとも人間の寿命を延ばせないことを悟ります(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 III.」〔『言葉』第2巻〕)。振り返ると、私はお金を稼ごうと駆け回ることに人生の大半を費やし、尊敬と羨望を得ましたが、サタンに苦しめられ、あと一歩で死ぬところでした。でも神が救ってくださった。お金の渦から私を救い、人生の目標を変えてくださったのです。私はいま、真理を求めて本分を尽くしながら、自由と安らぎを感じています。これはお金では買えません。私を救ってくださった全能神に感謝します!

前へ: 名声と富がもたらした苦しみ

次へ: 生活の中で神の権威と支配を知る

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

関連記事

刈り込みと取り扱いから収穫を得る

韓国 有信全能神は言われます。「人は自分の性質を変えることができず、神の言葉による裁きと刑罰、苦難と精錬を経験するか、あるいは神の言葉による取り扱い、懲らしめ、そして刈り込みを受けなければならない。そうして初めて、その人は神への従順と忠誠を実現することができ、もはや神に対していい…

本分を尽くす意義がやっとわかった

韓国 寻求 全能神は言われます。「人間が本分を尽くすということは、実際のところ、人間に本来備わっているもの、つまり、人間に可能なことをすべて成し遂げることである。そうすると、その人の本分は尽くされる。奉仕する最中の人間の欠点は、徐々に経験を積むことと、裁きを受ける過程を通して少し…

真理の実践こそが協調の鍵

米国 东峰2018年8月、私は王兄弟と映画の小道具を作る本分に就いていました。最初は知らないことが多かったので、王兄弟に手伝ってもらってばかり。少しすると仕事がわかってきました。それに、自分は内装を勉強して建築の仕事をしたことがあり、その方面の経験がいくらかあったので、小道具もす…

残忍な拷問を受けた日々

中国 陳輝私は中国の一般家庭で育ちました。父は軍人で、幼い頃から父の影響を受けて私の性格が形作られていったので、兵士の天命と義務は母国に仕えること、命令に従い共産党と人民のために滅私奉公することだと信じるようになりました。また、自分も兵士になって父の歩んだ道を進むことを決心しまし…

設定

  • 文章
  • テーマ

単色

テーマ

フォント

文字サイズ

行間

行間

ページ幅

目次

検索する

  • 表示テキスト内検索
  • 全文検索