中共刑務所での日々

中国 楊毅(ヤン・イー)

私は全能神教会のクリスチャンで、全能神の信者になって10年以上になります。当時のことで私が決して忘れられないのは、10年前に中国共産党の警察に逮捕された際に強いられた恐るべき患難です。当時、私は邪悪な悪魔たちに拷問され、手荒く扱われ、何度か死を目前にしましたが、全能神が力強い御手で私を導き、守り、蘇らせ、安全な場所へと引き戻してくださったのです……それを通じて、私は神のいのちの力の超越性と偉大さを真の形で体験し、神から授かったいのちという貴重な財産を手にしたのです。

それは2004年1月23日(旧正月の2日目)のことでした。私は教会の姉妹のもとを訪ねなければならなくなりました。困った状況におかれて至急助けを必要としていたのです。彼女が遠く離れた場所に住んでいたので、私はその日のうちに帰って来られるよう、タクシーに乗ろうと朝早くに起床しました。私が家を出たとき、外はちょうど明るくなり始めていました。街頭には人がほとんどおらず、ゴミを掃除している作業員がいるだけです。私は心配しながらタクシーを探しましたが、1台も見当たりませんでした。タクシー乗り場に移動したところ1台来るのが見えたので、道路に出て手を挙げ、その車を止めたのですが、実は環境保護局の車でした。なぜ車を止めたのかと訊かれた私は、「すいません、間違えました。タクシーかと思ったんですよ」と答えました。すると相手は、「違法のポスターを貼っていたんだろう」と言ってきたのです。「私がやっているのを見たんですか? どこにポスターを貼ったと言うんです?」と私は言い返しました。しかし、その3人は私に説明する機会すら与えず、こちらに駆け寄り強制的に私のバッグを調べ、説教のコピー、メモ帳、小銭入れ、携帯電話、もう使っていないポケットベルなど、バッグの中身を1つ残らず入念に調べました。説教のコピーとメモ帳はさらに詳しく確認されました。私のバッグにポスターが入っていないことを確かめた彼らは、説教のコピーを手にしてこう言いました。「違法なポスターは貼っていなかったかも知れんが、お前は全能神を信仰しているな」彼らはそう言うと、続いて国家保安大隊の宗教課に電話をかけました。その後すぐ、国家保安大隊の隊員4人が到着しました。バッグの中身を見たとたん、私が全能神の信者だと分かったのです。彼らは有無を言わせず私を車の中に放り込み、私が逃げられないようにドアをロックしました。

公安局に到着すると、警察は私をある部屋へと連れて行きました。警察官の1人が手掛かりを求めて私のポケットベルと携帯電話をいじり、携帯電話の電源を入れようとしましたが、充電不足の表示が出て、やがてバッテリーが完全に切れました。どうしても電源を入れることができなかったのです。その警察官は携帯電話を手に困った表情を浮かべていました。私も首をひねりました。携帯電話はその日の朝に充電したばかりだったのです。どうしてバッテリーが切れたのだろうか。すると突然、神が奇跡的にこの采配をなさり、他の兄弟姉妹たちの情報を警察が入手できないようにしていらっしゃるのだと気づきました。また神がおっしゃるこの御言葉を理解することもできました。「あなたがこのことを信じているかどうかにかかわらず、生きているものであれ死んでいるものであれ、万物は神の思いによって移ろい、変転し、新しくされ、消滅する。これこそが神が全てのものを統治する方法である」(「神は人間のいのちの源である」『言葉は肉において現れる』)。まことに、一切の物事と出来事は神の御手の中にあるのです。生きていようと死んでいようと、万事は神のお考えにしたがって変化します。その瞬間、神が万物を支配なさり、指揮していらっしゃることについて、私は真の認識を得ました。さらに、神に頼って来たるべき尋問に向き合う必要があることを確信したのです。すると警察官はバッグの中身を指さしながら、私を非難する口調でこう言いました。「これを見れば分かるように、お前は明らかに単なる教会の一員ではない。上級指導者の1人、もしくは何らかの重要人物に違いない。下級の指導者ならポケットベルや携帯電話など持っていないからな。違うか?」私が「何のことだか分かりません」と答えたところ、相手は「知らないふりをしてるんだろ!」と声を荒げ、しゃがんで話せと命令しました。しかし私が従おうとしないので、連中は私を取り囲むと、殺そうとするかのように殴る蹴るの暴行を加えてきたのです。顔が血まみれになって腫れ上がり、体中が耐えがたい苦痛に苛まれる中、私は床に崩れ落ちました。腹立たしさが募り、「私が一体何をしたと言うの。どうしてこんなふうに殴ったりするんですか」と言って彼らを説得し、自分の言い分を主張したくて仕方なかったのですが、彼らと理性的に話す術などありませんでした。なぜなら中国共産党政府は理性的な話などしないからです。私は困惑こそしていましたが、彼らの暴力に屈しようとは思いませんでした。途方に暮れていたまさにそのとき、私は突然、これら中国共産党政府の邪悪な警察官たちはとてつもなく不合理で、私に理性的な言葉を何1つ喋らせようとしないのだから、何も話す必要はないと考えました。黙っていたほうがいい、そうすれば連中の役には立たないんだから、というわけです。このように考えた私は、彼らの言うことに注意を払うのを止めました。この方法が私に何の効果もないと知った邪悪な警察官たちは、猛烈に怒りだしてさらに野蛮になりました。拷問によって私に白状させることにしたのです。床にねじ止めされた金属製の椅子に手錠をかけられ、しゃがむことも立ち上がることもできない姿勢にさせられます。すると警官の1人が、手錠がかかっていない方の手を椅子の上に置いて、手の甲に青黒いあざが出来るまで靴で殴りました。その間、もう1人の警官が革靴で私の足を踏みつけ、私のつま先を潰すように靴を転がしました。そのとき私は、心臓にまっすぐ突き刺さるかのようなとてつもない痛みを感じました。その後、6、7人の警官が交代で私を拷問しました。その1人は腕の関節を集中的に狙って力一杯ねじ上げたので、それから1か月経っても私は腕を曲げることができませんでした。他の警官は私の髪を掴んで頭を左右に振り、私が上を向いた状態になるよう頭を後ろにねじってから、「空を見て神がいるかどうか確かめろ」と悪意も露わに言いました。これらは日が暮れるまで続きました。私が何も白状しないうえ、旧正月の時期だったこともあり、警察は私を拘置所に送りました。

拘置所に到着すると、刑務官が女性の囚人に私の服を全部脱がせ、ゴミ箱に捨てるよう指示しました。そして私に悪臭のする汚い囚人服を着させました。それから刑務官は私を監房に入れると、他の囚人たちにこんな嘘をついたのです。「こいつは他人の家族をわざと壊した女だ。こいつのせいで沢山の家族が滅茶苦茶にされた。この女は嘘つきで、正直な人を騙し、公の秩序を乱している……」こうして刑務官に騙された他の囚人たちは、私への対処は甘過ぎで、私ほどの悪人には銃殺刑がふさわしいと口を揃えて言いました。私はそれを聞いて猛烈に腹が立ちましたが、できることは何もありません。私の抵抗の試みはまったく無駄で、さらなる責め苦と残虐行為を引き起こしただけでした。拘置所では、刑務官が囚人たちに毎日規則を暗唱させていました。

「罪を自白し法に従うこと。罪を犯すよう他人をそそのかしてはならない。徒党を組んではならない。喧嘩をしてはならない。他人を虐めたり侮辱したりしてはならない。他人に言いがかりをつけてはならない。他人の食べ物や所持品を盗んではならない。他人をからかってはならない。刑務所内で乱暴行為を働く者は厳重に処分される。いかなる規則違反であっても、即座に刑務官または看守に報告すること。事実を隠蔽すること、規制違反を犯した囚人を守ることは禁じられており、刑務所規則は人道にかなう形で施行されなければならない……」ところが現実はというと、刑務官は他の囚人たちに私を痛めつけるよう働きかけ、私へのいたずらを許していたのです。気温が零下8ないし9度のときに私の靴を水に浸したり、私の食べ物にこっそり水を入れたりしていました。夜になって私が寝ているあいだ、私の綿入りの上着をずぶぬれにするということもありました。私を便所の隣で寝かせ、掛け布団をはぎ取ったり髪の毛を引っ張ったりして、私が眠れないようにしました。私のまんじゅうを盗み、便所掃除を強制し、残った薬を無理やり口に突っ込んだりもしました。私は用を足すことすら許されなかったのです……私が言われたことをしないと、連中は私を取り囲んで殴るのですが、そういった状況になると刑務官も看守もあわててその場を後にするか、何も見なかったふりをよくしていました。時には少し離れた所で隠れながら見ていることすらあったのです。囚人たちが私を数日間痛めつけないことがあると、刑務官は囚人たちに私を痛めつけるよう働きかけました。刑務官による残忍な責め苦を受けた私は、連中に対する嫌悪でいっぱいになりました。これを自ら目の当たりにして実際に体験していなければ、慈悲と道義で満ち溢れているはずの中国共産党政府がこれほど邪悪で、恐ろしく、残酷になり得るとは決して信じなかったでしょう。その不実で表裏のある正体を目にすることも決してなかったはずです。「人民に奉仕し、文明的かつ調和のとれた社会を建設する」という主張は人々を惑わし騙すための虚偽であり、自らを美化して、受けるにふさわしくない賛美を得る手段にして策略なのです。このとき、私は次の神の御言葉について考えました。「肉にある神が完全に隠れたままであっても、不思議ではない。悪魔が残忍非道をはたらく暗黒社会において、眉一つ動かさずに人々を殺す魔王が、愛しく優しく聖い神の存在をどうして容認できようか。どうして魔王が神の到来に喜び喝采を送ることができようか。卑屈な者ども。彼らは恩を仇で返し、神を侮って久しく、神を虐待し、残忍を極め、神を少しも敬うことなく、強奪や略奪を行い、良心を完全に失い、良心にすっかり逆らい、純真な人々を誘惑し無分別な状態に陥れる。遠い昔の祖先とは何なのか。愛すべき指導者とは。彼らは皆、神に反抗している。その干渉により、地にある者すべてが闇と混沌に陥れられている。宗教の自由だと。市民の正当な権利と利益だと。そのようなものはどれも罪を隠蔽する手口である」(「働きと入ること(8)」『言葉は肉において現れる』)。中国共産党政府は私に無理やり神を拒絶させ、神を裏切らせ、あの手この手で私を拷問し、ひどく痛めつけました。しかし拷問すればするほど、私がその悪魔のような本性をより明瞭に目の当たりにし、心の底からますますそれを嫌って拒絶するなど、知る由もなかったのです。神に従うための確信はより強くなりました。

自分たちの望むことを私が喋ろうとしないので、警察は人手も物資も資金も惜しまず、あらゆる所を駆け回って私が神の信者である証拠を探しました。しかし3か月後、彼らの奔走は失敗に終わりました。そこで結局、彼らは奥の手を使い、熟練した尋問官を見つけてきたのです。その男のもとに連れて行かれた人はみな3種類の拷問を受け、自白しなかった者は1人もいないということでした。ある日、4人の警察官がやって来て、「今日はお前を新しい家に連れていってやる」と言いました。そして私を護送車に押し込み、後ろ手に手錠をかけ、頭に頭巾をかぶせました。彼らがどうやって私を苦しめるのかわからなく、緊張していました。 その時、私は主の言葉を頭に浮かびました。「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」(マタイによる福音書 16:25)「何万もの霊の親族が福音のために自らを犠牲にし、そうすることで永遠のいのちを手にしてきた。主の殉教者になろう、主の殉教者になろう。私は主の殉教者になる覚悟ができている」その日、私はようやくこの讃美歌の一節を理解することができました。主に従う者は大きな代価を払わなくてはならないのです。主の言葉は私に確信と力を与えてくださいました。この悪魔の都−中国で神を信じ、神に従うために、命を失う覚悟がないといけないのです。私も神のために死ぬ覚悟はできていました。護送車に乗ったあと、私はたまたま邪悪な警官たちの会話を耳にして驚きました。どうやら私を別の場所に連れて行って、そこで尋問するつもりなのです。そうか! 私は神の殉教者として死ぬ覚悟をしていましたが、警察は私を処刑するために連れ出したわけではなかったのです。そのように考えていると、警官の1人が頭巾の紐をきつく締めました。私はたちまち苦しくなり、窒息するかのように思われました。本当に死ぬまで拷問されるのではないかという不安が襲ってきます。その瞬間、イエス様の使徒が福音を伝道すべく自ら犠牲になったことについて考えました。私だって臆病者になるつもりはありません。たとえ命を落とすことになっても、紐を緩めてほしいと乞うつもりはなく、負けを認める気などさらさらありませんでした。しかし自分を制御することはできず、気を失って警官の上に崩れ落ちてしまいました。それを見た警官たちはすぐに頭巾の紐を緩めました。私は口から泡を吹き始め、嘔吐が止まらなくなりました。内蔵を吐き出してしまいそうな感じがします。目眩を覚え、頭の中は真っ白になり、目を開くこともできません。全身が麻痺したかのように力を失い、口の中に吐き出すことができないべたべたした物があるような感じがします。虚弱体質だった私は、このような虐待を受けて自分が危険な状態にあるのを感じ、いまにも呼吸が止まりそうに思えました。そして苦痛の中、神にこう祈りを捧げました。「ああ、神様! 私は生きようと死のうと、喜んであなたに従います。あなたが指揮して采配なさるすべてのことに従えるよう、どうか私の心をお守り下さい」しばらくして、護送車はホテルに到着しました。そのとき、私は全身が弱っていて、目を開くこともできません。警官たちは私を密室に運び入れました。私の耳に入るのは、周りに立つ中国共産党政府の大勢の手先たちが話し合う声だけです。彼らは、まるで劉胡蘭を見ているかのようだと言っていました。「これは意外だ。大したもんだな! この女は劉胡蘭よりもタフだぞ!」

これを聞いて、私の心は興奮でいっぱいになりました。信仰にすがって神に頼れば必ずやサタンに勝利できること、サタンは神の足元にすら及ばないことを知ったのです。私は神に感謝と賛美を捧げました。この瞬間、私は痛みを忘れ、自分が神を賛美していることに大きな喜びを感じたのです。程なくして、警官の言っていた「尋問のエキスパート」が到着しました。彼は部屋に入ったとたんこう叫びました。「その馬鹿女はどこだ? ちょっと見せてみろ!」そして私の前に歩いてきて身体を掴み、顔を何度も平手打ちしたあと、胸と背中を強く殴り、片方の革靴を脱いで私の顔を殴りました。このような暴行を受けたあと、口やお腹の中に何か吐き出せない物があるという感覚はなくなりました。もはや目まいも感じず、目を開くことができるようになりました。次第に手足の感覚が戻り、体にも力が戻り始めます。すると尋問官は私の肩を乱暴に掴んで背中を壁に押しつけると、こちらを見て質問に応えろと命令しました。しかし、私がそれを完全に無視したので尋問官は激怒し、私の反応を引き出そうと神をけなし、中傷し、冒涜したのです。私をけしかけようと最も卑劣で下劣な手段を使い、不気味な口調でこう言いました。「肉体的にも精神的にも耐え難い方法でゆっくりと痛めつけてやるからな。普通の人間なら耐えられないような苦痛を味わわせてやる。死んだほうがましだと思うようになるぞ。しまいには逃がしてくれと乞うだろう。そのとき、お前は初めてまともなことを言うんだ。お前の運命は神の手中ではなく、俺の手中にあるんだとな。俺がお前の死を望めば、それは一瞬にして現実となる。生かしてやろうと思ったら、お前は生きる。どんな苦しみであろうと、お前は俺の思い通りに苦しむことになるんだ。お前らの全能神がお前を救うことなどできない。お前は俺たちに命乞いをして初めて、生き延びることができるんだ」この卑劣で恥知らずで下劣な悪党たち、野獣たち、邪悪な悪魔たちを目の前にして、私は心から戦いたいと思いこう考えました。

「天地の万物は神によって造られ、動かされている。私の運命も神の支配と采配を受けているわ。神は生死を司る方でいらっしゃる。自分が望むからといって私が死ぬとでも思ってるの」その瞬間、心が怒りで一杯になり、警官たちが私にふるった卑劣な行為、そして今日口にした神への冒涜や抵抗はすべて、真理を憎んで神に抵抗する彼らの悪魔的な実質をはっきり暴きましたが、それは神が断罪し、懲罰し、そして滅ぼされるのに必要な証拠となるに違いありません。

私が自白を拒否したせいで、このいわゆるエキスパートは大恥をかいていました。そして怒りも露わに私の片腕を背中の後ろにねじり上げ、もう一方の腕を肩の後ろに引っ張り上げると、両手にきつく手錠をかけました。30分もしないうちに、大粒の汗が私の顔を滴り落ちて目に入り、開けることができなくなりました。私が依然として質問に答えようとしないので、尋問官は私を地面に投げつけてから、背中の手錠を掴んで私を持ち上げました。骨折したかのような激痛が即座に両腕を襲います。呼吸ができなくなるほどの痛さです。次いで尋問官は私を壁に投げつけ、壁を背にして立たせました。汗のせいで視界がぼやけ、あまりの苦痛で体中が汗まみれになり、靴までがずぶぬれになっていました。虚弱体質だった私はこの時点で倒れ込んでしまい、口であえぐこと以外は何もできませんでした。この悪魔は部屋の片隅に立ちながら私を監視しています。その目で何を見ているかはわかりませんでしたが、私が死んだら責任を負わされると不安だったのかもしれません。すばやくティッシュペーパーを掴んで私の汗を拭いた後、コップ一杯の水を与えたのです。これが30分毎に行なわれました。そのとき、自分がどのような見た目になっていたかはわかりませんが、口であえぐことしかできなかったことを考えると、かなり悲惨な様子だったのは間違いないでしょう。私は鼻で呼吸する能力を失ったように感じました。唇は渇いてひび割れ、呼吸するのも全力を振り絞る必要がありました。またしても死に近づき、今回は本当に死ぬだろうと思いました。しかしその瞬間、私は、イエス様の使徒の一人、ルカが絞首刑に処されたことを思い出しました。すると心の中で無意識のうちに力を取り戻し、次のように何度も何度も自分に言い聞かせました。「ルカは絞首刑に処されて命を落とした。私もルカのようにならなきゃいけないわ。ルカのように、ルカのように……喜んで神の指揮と采配に従おう。ルカのように死ぬまで神に忠実でいたいのよ」痛みが我慢できないほどひどくなり、私が瀕死の状態に陥ったまさにそのとき、私は突然、全能神を信じる数名の兄弟姉妹が逮捕されたと、邪悪な警官の1人が言うのを耳にしました。私は心の中でショックを受けました。「さらに数人の兄弟姉妹が拷問を受けることになってしまう。邪悪な警官たちは、兄弟には特に厳しく当たるわ」私の心は不安でいっぱいになりました。心の中で静かに彼らのために祈っていました。私は聖霊に触れていただいたのかもしれません。祈りを捧げれば捧げるほど、ますます鼓舞されたのです。痛みも無意識のうちに忘れていました。これが神による賢い采配であることを、私はしっかりわかっていました。神は私の弱さを気遣われ、最もつらい状況の中、私を導いていらっしゃったのです。その夜、私は邪悪な警官からどのような扱いを受けるかなどはもはや気にならなくなり、彼らの尋問にもまったく注意を払わなくなりました。この状況を見た邪悪な警官たちは拳で私の顔面をどう猛に殴り、私の頭髪を指に巻きつけ、ねじりました。耳もねじられて腫れ上がり、顔の見分けがつかなくなってしまい、厚板で殴られた臀部と太ももはあざができて皮がむけ、木片で押し潰されたつま先にも青黒いあざができていました。6時間にわたって手錠で吊るされたあと、邪悪な警官たちによって手錠を外されたときには、左手の親指の皮膚と肉がすっかりむけてしまい、薄皮が骨を覆う状態になっていました。それに加え、手錠のせいで手首も黄色い水ぶくれに覆われ、手錠をかけ直すこともできない状態になっていました。そのとき、偉そうな風采の女性警官が入ってきました。彼女は私を頭からつま先までじろじろ見たあと、「これ以上殴ったら駄目よ。もう死にそうだわ」と言いました。警察は私をホテルの一室に閉じ込めました。部屋のカーテンは四六時中きっちり閉じられています。入り口には見張りが立ち、ホテルのサービススタッフは部屋に入ることを許されず、室内で私が拷問を受け、ひどく痛めつけられている様子を見ることは誰にも許されませんでした。警察は交代で休みなしに私の尋問を続けました。5昼夜にわたって私を寝かせないようにし、座ることもしゃがむことも許してくれず、十分な食事すらとらせてくれませんでした。私は壁に寄り掛かって立つことだけを許されていました。ある日、1人の役人が私の尋問にやって来ました。その男は自分が無視されたことに激怒し、私をテーブルの下に蹴り飛ばしました。それから引きずり出して殴打し、私の口の端から血が流れました。この男は自分の蛮行を隠すため、素早くドアを閉めて誰も入ってこられないようにしました。そしてティッシュペーパーを引き抜いて私の出血を拭きとり、水で私の顔から血を洗い流し、床にこぼれた血も拭きとったのです。私は自分の着ていた白いセーターにわざと血を残しました。しかし拘置所に戻ると、邪悪な警察は他の囚人に対し、私の服についている血は精神病院で検査を受けていた際についたもので、私はここ数日間そこにいたのだと言ったのです。私の体にある傷と出血はそこの患者のせいであり、自分たち警察官は指一本触っていないのだと。この残酷な事実が人民警察の冷酷さ、陰険な狡猾さを実感したのです。それと同時に、神は私に対する加護と保護を深く感じました。私の苦しみが最もつらいとき、神は私を啓いて導き、私の信仰と力を強め、神のために証しを立てる勇気を与えてくださるのです。私が邪悪な警察の蛮行を受けて瀕死の状態にあったとき、神は私に他の兄弟姉妹が逮捕された知らせをお聞かせになり、それによって私が彼らのためにもっと祈りを捧げるようになさいましたが、そのおかげで私は自分の痛みを忘れ、知らぬ間に死の束縛を乗り越えていたのです。サタンが悪しき残虐な引き立て役となったおかげで、私は神のみが真理であり、道であり、いのちでいらっしゃり、神の性質だけが義と善の象徴であることを知りました。神のみがすべてを支配し采配なさるのであり、ご自身の偉大なる力と知恵をお使いになって、私が悪魔の軍団による包囲を打ち負かし、肉の弱さと死の束縛を乗り越えられるよう1歩1歩導いてくださり、それによってこの暗黒の巣窟で粘り強く生き延びられるようにしてくださったのです。神の愛と救いを考えながら大いに刺激を受けた私は、最後までサタンと戦う決意をしました。たとえ刑務所の中で朽ち果てるとしても、しっかり立って神の証しをし、神に満足していただこう、と。

邪悪な警察はできる限りのことを試したあとも、私から何も得ることができませんでした。そして最後に、確信に満ちた口調でこう言いました。「共産党には鋼のような強さがあるが、全能神を信じる連中にはダイヤモンドのような強さがある。あらゆる点で共産党よりも立派だ」この言葉を聞いた私は心の中で思わず神に喝采を送り、神を讃えました。「ああ、神様。あなたに感謝し、あなたを讃えます! あなたはご自身の全能と知恵により、サタンに打ち勝ち、あなたの敵を打ち負かしました。最高の権威でいらっしゃるあなたに栄光あれ!」この瞬間、中国共産党政府がいかに残酷だろうと、神の御手によって操られ、指揮されていることが初めてわかりました。神の御言葉にこうある通りです。「天の万物と地上の万物が神の権威の下に帰さねばならない。他に選択肢はなく、皆が神の指揮に従わなければならない。これは神によって定められたことであり、神の権威でもある」(「成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている」『言葉は肉において現れる』)

ある日、邪悪な警察はまたしても私を尋問しにやって来ました。しかし今回は、全員様子が変でした。私を見ながら話していても、私に話しかけているようではないのです。何かについて話し合っているかのようでした。これまでと同様、この尋問も失敗に終わりました。邪悪な警察はそれから私を監房に連れ戻しました。その途中、この女はどうやら翌月の1日に釈放されるようだと、彼らが口にしたのを突如耳にしたのです。これを聞いて私の心は興奮ではじけそうになり、「あと3日で釈放されるのね! ようやくこの悪魔のような地獄から出られるのよ!」と思いました。そして喜びを心の中で抑えながら、刻一刻と時間が経つ中、期待を胸に待ちました。この3日間はまるで3年のように感じられました。そしてついに、月の初日になったのです。その日、私は扉を見つめながら、自分の名前が呼ばれるのを待ちました。午前が過ぎても何も起きません。私は午後にここから解放されることにすべての期待を込めましたが、夜になってもそれは起こりませんでした。夕食の時間になっても食欲が起きません。私は心の中で喪失感に駆られ、その瞬間、自分の心が天国から地獄に落ちたような気分になりました。「なんであの女は食べてないんだ」と、刑務官が他の囚人に訊きました。その1人が「あの日尋問を受けて帰って来てから、あまり食べてませんよ」と答えると、「額を触ってみろ。病気か?」と刑務官は言いました。すると囚人が近づいて来て私の額に触れました。そして私の額が凄く熱くて、熱を出していると言いました。実際そのとおりでした。突然病に襲われ、それはとても深刻だったのです。その瞬間、私は倒れました。その後2時間にわたり、熱はどんどん高くなっていきました。私はついに泣いてしまいました。刑務官も含めてそこにいた全員が、私が泣くのを見て困惑していました。私はこの人たちから、飴に誘惑されることも鞭に怯えることもない人間、耐え難い拷問を受けても涙一粒こぼさない人間、手錠で6時間吊るされても唸り声すら上げない人間として見られていました。しかし今日、私は拷問を受けることなく涙を流しました。一同はただ、私が重病に違いないと思っていたのですが、実のところ、涙の理由を知っていたのは神と私だけでした。それはひとえに神に対する私の反抗と不従順のせいだったのです。自分の期待が叶わず、希望も粉々に打ち砕かれてしまったときに絶望感に駆られ、そのせいで流れ出た涙なのです。反抗と憤慨の涙なのです。その瞬間、私はもはや神の証しをしようと決意するのが嫌になりました。このような試練を再び受ける勇気すらありませんでした。その夜、私は悲嘆の涙を流しました。もう刑務所生活にはうんざりで、この悪魔たちを軽蔑していたし、何よりこの恐ろしい場所にいるのが嫌だったからです。私はもうあと1秒すらここで過ごしたくありませんでした。そう考えれば考えるほど落胆し、強い不満、惨めさ、そして孤独をますます感じました。海を独り漂い、波にいつ飲み込まれてもおかしくないボートになった気がします。しかも、周りの人たちはとても陰険で酷く、いつ怒りをぶつけられるかわからないと感じていました。私は絶えずに神に祈り続け、神の御言葉を思い出しました。「神を愛することを目指す全ての者にとって、獲得することのできない真理はなく、揺るぎなく立つことができない正義はない。あなたは、どのようにして自分の人生を生きるべきだろうか。あなたは、どのように神を愛し、その愛を用いて神の願いを満足させるべきであろうか。あなたの人生において、これより重要なことはない。あなたは、何よりもそうした大志と根気を持っていなければならず、骨抜きの弱虫のようであってはならない。あなたは有意義な人生を経験する方法を知り、有意義な真理を経験しなければならず、自分自身をそのようにいいかげんに扱ってはならない」(「ペテロの経験――刑罰と裁きに関するペテロの認識」『言葉は肉において現れる』)。神の言葉は、私に信仰を持たせてくださいました。以前神の前で、どんなに大きな苦しみを受けても証し、サタンに恥をかかせると誓い、志を立てたのに、いざ警官の迫害に長期的に直面すると、私は耐えられなくなり、いつになったらこのひどい所から離れられるのだろうと望んでいました…そんな私のどこに従順と証しがあるというのでしょうか。私は神に祈りました。「例え一生牢獄の中で過ごすことになっても、床に穴が開くくらい牢獄に居座ることになっても、決してサタンに妥協せず、証しを立て、サタンに恥をかかせる。」と。2005年12月6日、私は釈放され、ようやくこの地獄のような生活を終わらせることができました。

この恐るべき逮捕と迫害を経て、私の肉は大変な苦しみを被りましたが、私は洞察力と識別力を培い、中国共産党政府が悪魔サタンの化身であり、瞬時に人々を殺す殺人者集団であることをまさに目の当たりにしただけでなく、神の全能と知恵に加え、神の義と聖さを認識するようになり、神が私をお救いになった善意、および私に対する神のお気遣いとご加護を理解しました。私はそのおかげで、サタンによる蛮行の中、一歩一歩サタンに打ち勝ち、しっかり証しに立つことができたのです。今日からは、自分のすべてを完全に神に捧げてまいります。そして一刻も早く神のものとしていただけるよう、あくまで神に従ってまいります。

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