失敗に直面して立ち上がる

2021年1月30日

神を信じる前、私は共産党の教育を受けていましたどうすれば自分がのし上がり、家族に名誉をもたらせるかばかり考えていましたその後、私は大学院に進み、やがて弁護士になりました自分は一歩抜きん出た存在だといつも思っていましただからどこに行っても絶えず自分を誇示しようとし何においても他人が私を見習い私の言うとおりにするよう期待していたのですそのときは、それが一種の傲慢な性質であることに気づいていませんでした自分は本当に立派な人間だと思い込んでいたのです神を信じ始めたあと全能神の御言葉を読むことで、ようやく自分の傲慢な性質に気づき自分には野心や欲望があるだけでなくとても自惚れが強く独善的だとわかりました話したり何かをしたりするとき、他の誰とも話し合わず自分のやり方を押し通すこともありました自分について多少の自己認識を得てもそれは大した問題ではないと思っていました次の神の御言葉を読んだことがあります「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」私は「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」という一文について考えましたそれなら、よい人間性をもつ人はどうでしょうか神に従順な人たちは? 彼らの性質も変わる必要があるのでしょうか変化した性質とはいったい何でしょうか私たちはキリストを信じ、キリストは実際の神でいらっしゃるのだからキリストを信じることはキリストに従うことではないかと思っていました。だから、キリストに従うことはキリストと相容れることを意味するのだととりわけ自分の仕事を捨てて家族のもとを去ったことつまり神のために自分を費やす選択をしたことを考えるときこれは私がキリストを信じ、キリストと相容れたしるしではないかと思いましたしかしそのとき自分のいのちの性質を変えて、キリストと相容れなければならないことは理解しておらずそのため、純粋に自分の熱心さから本分を尽くしていたのですそれに、いのちへの入りとは何か、性質の変化とは何かも知りませんでした私にはいのちの経験がまったくなかったと言えるでしょうようやく本当の認識を多少得たのはいつのことでしょうかそれは苛酷な刈り込みと取り扱いを経験し自分を反省して自分の本性がとても傲慢なのを知ったあとでした自分に何かが起きたとき、私は真理を求めることを知らず、神の御言葉を実践することに集中しませんでした私には神への従順さがまったくなかったのです基本的に、私はキリストと相容れる人間ではなかったと言えるでしょうこの刈り込みと裁きを経験したあと私はようやく「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」とおっしゃった神の真意を本当に理解できました。

2014年私は神を信じていたために共産党政府から迫害を受け、海外への逃亡を呼びなくされました外国に到着したあと私が熱心に自分を費やし、優れた素質の持ち主であることを知った兄弟姉妹が私を教会の指導者に選んでくれましたそしてイベントに参加したり、インタビューに答えたりするようたびたび勧めてくれましたでもそうしたことは自分の資本となりすでに傲慢だった私はその資本によってあり得ないほど傲慢になったのです教会は私がいなければ機能しない私は重要な働きをしていると思いました私にとってあまりに些細な件を兄弟姉妹が話し合いに来たときも私はそれに関わるのが嫌で、この人たちは何でもないことに大騒ぎしていると思いましたそれについてしつこく訊かれると「どうしてこんな小さなことを質問するの? 私の時間を何だと思ってるのよ。自分たちで何とかしなさい」とうんざりしましたさらに質問が続けばすぐさま相手を批判する詰問口調になりまるで上司のように説教することもありました実を言うと、兄弟姉妹をこのように扱ったとき、これはよくないことだし何らかの形で彼らを傷つけていると、私でさえ感じていましたでもそうした傲慢な性質の中で暮らしている人は、すべての人間性を失ったことに気づく必要がありますそのわずかな自責の念さえ消えてしまいました私はそのように振る舞いながら働き、生活していました本分を尽くす過程で行なうすべてのことについて私は決定権をもちたいと思いました兄弟姉妹と話し合いをしていて自分の気に入らない意見や提案を聞くとすぐさま何も考えずに反論し、何の価値もないかのようにその意見を見くびりました万事が自分の望み通りに進むことを望んでいたのですそれに、働きで生じた問題を同労者に伝えて話し合ったり、探求したりすることもめったにありませんでしたなぜならしばらく本分を尽くした私には十分な経験があり分析と研究によってそれらを解決できるとか同労者たちはその働きに慣れておらず、よく理解していないなどと考えていたからです私が話せば彼らは何も付け加えられず、私以上によく理解することもできないと考えました話し合いを続けても単に時間の無駄遣いで、まったく無意味だと思ったのですそれで段々彼らと働きたくなくなりました。上位者が私の働きを確かめに来たときも、私はとても煩わしく思い他人の監督や警告を受け入れるのが嫌でした実はそのとき、自分の状態が正しくないとは感じていました兄弟姉妹もこう言って私に警告してくれました「あなたはあまりに傲慢で独善的です。誰とも一緒に働きたがらない本分や働きを行なうときも、他人の監督と警告を受け入れず自分の働きに誰かが干渉するのを望まない」同労者によるこうした警告や手助けは、実際には一種の刈り込みと取り扱いでしたが私はそれらを無視しました自分は傲慢でいのちへの入りをさほど成し遂げていないし、変化もまったくしていないけれどそれでも本分を尽くしているんだから大した問題ではないと思っていたのです兄弟姉妹の手助けと警告を真剣に受け止めず、大事にすることもありませんでした自分の堕落した性質やサタン的本性は一夜で変えられるものではないと思い長い時間がかかることだから今のところは自分の働きに取り組み、立派に本分を尽くすべきだと考えました。

しかし、傲慢な性質の中で暮らすと言っても、何も感じないということではありませんそのとき、私の心は空虚でした時には作業を終えたあと、自分を反省して「これをしているあいだ、あるいは終わったあと自分はどんな真理を得ただろうか。どの原則に入れただろうか」と自問したものです何らかの形でいのちの性質が変わっただろうかしかし私は何も成し遂げていませんでしたなぜでしょう働きを完了させようと、日々駆けずり回って疲れ果てすべきことがあまりに多くあるたび、いつもストレスと怒りで一杯でした自分の中で一つのことに火が点くと、自分を抑えられなくなるかのようでした神に祈るときも動作を繰り返すだけでした。心から神に言うべきことが一つもなかったのです神の御言葉を飲み食いして、そこから照らしや啓きを得ることもありませんでした当時、私はとても空虚で不安でした本分を尽くせば尽くすほど神から離れるように思い、心の中に神を感じることができませんでした神に見捨てられたのではないかと不安でしたそこですぐさま神の御前に出て祈りました「神よ! 私は自分を救うことができません自分を抑えることもできませんどうか私をお救いください」程なくして刈り込みと取り扱いが突如私に降りかかりました。

上層部の兄弟が私の働きを調べ教会の資金の出費に関する私の処理に問題があることを見つけましたその資金をどう支出するか決めたとき同労者や決定グループと話し合わなかったことを突き止めたのです彼は私に言いました「これは教会の出費に関する問題だどうして同労者や決定グループと話し合わなかったんだこれは君が独断で決められることなのか」その質問に対し、私は答えに窮しましたその兄弟にどう答えるべきか、まったくわからなかったのですなぜでしょう自分でもまったくわかりませんでした。そのようなことなど考えたこともなかったからですそれから私は振り返り始めましたそのころ、私は傲慢な本性の中で生きており正常な理知がまったくなかったので自分の本分が神から託された使命であること原則に従ってその本分を尽くし、真理を求めるべきだったことを知らずにいました同労者や決定グループと話し合って物事を決めるべきだったことを理解せずにいたのです私は堕落した性質の中で生きていたので、理知がありませんでしたしかも、それに気づきさえしませんでしたそんなことはわかっているから探求したり調べたりする必要なんかないとまで考えていたのですその兄弟はこう言うことで私を取り扱いました「君は傲慢かつ独善的で、まったく理知がない選民から神に捧げられた献金なのだから、原則に従って合理的に出費されるべきだったその献金が浪費されたいま、原則に従って責任を問わなければならない」私は何も言い返しませんでしたが、心の中ではいまだに自分が正しいと思っていました自分は献金を盗んでいないし教会の働きを行なう過程で出費しただけどうして私が責任をとらなければならないの。

その後、上位の指導者たちが、私たちに会いに教会を訪れましたそして神の御言葉を使って私の問題について語り合い、それを分析しましたそのとき私も神の御言葉を使って、自分についての認識を説明しましたでも心の中では、自分は神の御言葉に関するこの交わりを利用して心の中に築き上げられた反抗と不満そして理解のなさをさらけ出しているだけだとわかっていました自分は何ひとつ認めてもらえないのに、苦労して働いていると思っていたのです私が自分の本性を本当に認識していないことを見てとった指導者たちは兄弟姉妹の同意を求めたあとただちに私を教会の指導者の地位から下ろしましたその瞬間、私はさほど後悔を感じていませんでしたでもその後、指導者たちが一つひとつの出費を詳しく調べ始めその過程でようやく私はそこに問題があったことを認識しました損失が積み上がって額が増えるにつれそれは自分で支払える額を超えてしまい私は不安になりだしましたその資金を出費した自分の決断と冷淡かつ無関心な態度を振り返り心から後悔を感じて自分を憎み始めました本分を尽くす中で自分のサタン的本性に頼ることが教会にこれほどの損害を与えるとは想像もしていなかったのです事実を突きつけられた私は、それまで高々と上げていた頭を下げるしかありませんでしたただ自分の顔を平手打ちしたかったです自分が実はこんなことをしていたなんて、とても信じられませんでした。

その後、私は兄弟の交わりに耳を傾けましたそのときとったノートをお読みします「現在、10年から20年にわたって神を信じてきた指導者や働き手がいますしかし彼らがほんのわずかな真理も実践せず、それどころか自分の意志に従って物事を行なうのはなぜでしょうか自分の観念や想像が真理でないことに気づいていないのでしょうかなぜ真理を求められないのでしょうか彼らはたゆまず自分を費やし、苦労や疲れを恐れず、朝から晩まで本分を尽くしていますなのに、長年神を信じながら、いまだに原則がないのはなぜでしょうか彼らは自分の考えに従って本分を尽くし、自分の好きなことをしています彼らがしていることを見てショックを受けることもあります普段、彼らは非常によく見えます。悪人ではなく、立派に話しますこのような馬鹿げたことをするなど、とても想像できませんこうした重要な問題について、彼らはなぜ助言を求めないのでしょう。自分のやり方に固執し決定権をもつことにこだわるのはなぜでしょうこれがサタン的性質でなければ何でしょう私は重要な事柄を扱うとき、たびたび神に語りかけ、神の助けを求めます私の想像に合わないことを神がおっしゃることもありますでも私はそれに従い、神のおっしゃる通りにしなければなりません重要な事柄について、私は自分の考えに基づいて振る舞おうとはしません。間違いを犯したらどうなるでしょう神に決めていただくのが一番いいのです神を畏れることについて、指導者や働き手はみな、この基本的な段階に達しているべきですしかし、指導者や働き手の中にとても生意気な人がいるのを私は見てきましたそのような人は万事において自分のやり方を貫こうとします。その問題は何でしょうか性質が変わっていなければ、それは本当に危険なことです。……神の家が決定グループを組織しているのはなぜですか決定グループは数名から構成され、大きな間違いや損失を防ぐため問題を一緒に話し合い、調べ、決定していますしかし、決定グループを避けて自分のやり方で物事を行なう人もいますそのような人は悪魔サタンではないでしょうか決定グループを避けて自分のやり方で物事を行なう人はみな悪魔サタンですどの階層の指導者であろうと決定グループを避けて計画の承認を求めず、自分のやり方で行動すればその人は悪魔サタンであり、淘汰、追放されなければなりません」『いのちに入ることに関する交わりと説教』より引用兄弟による交わりの一言一句が私の心を刺し通しました中にはこうした問題の背景を知らない兄弟姉妹もいるでしょうが彼の言った一言一句が私についての言葉であり私の状況を完全に暴いたことがわかりましたこのような人は悪魔サタンで淘汰、追放されなければならないとその兄弟が言うのを聞いたとき私は出し抜けに驚きました自分が死刑を宣告されたかのように感じたのです「私は終わりだ。もう完全に救われることはない神を信じる生涯がこれで終わった。神への信仰が終わったんだ」と思いましたそのとき、私はひどい恐怖に襲われましたそれまでずっと、神は私のことをとても気遣ってくださると思っていました私はよい教育を受けて立派な仕事に就き神の家で尽くしていた本分も極めて重要なものでしたそれに、兄弟姉妹は私のことを尊敬していたので自分は神にとって特別な存在だと常に思っていました自分は神の家で訓練されている重要な人物だと考え神の性質に背いたせいで神に嫌われ、淘汰されるとは想像もしていませんでしたその瞬間から神の性質は義であり、背きを許さず神の家は真理と義によって支配されており、誰一人非行に関わることを許さないと感じ始めました教会では原則に従って自分の本分を尽くし、真理を求めなければならず自分の好きなことをしたり、思い通りに振る舞ったりすることは決して許されません自分は災難を招き教会の献金を軽率に出費して神の性質に背いたのだから誰も私を救えないと思いました神の家に淘汰されるのを待つだけだったのです。

それからの日々毎朝目を開くたびに恐怖の瞬間を感じベッドから起き上がる力もないほど意気消沈するようになりました次に自分がどこへ向かうのかわからず自分の犯した過ちは大きすぎ、誰も私を救えないと感じていました私にできたのは神の御前に出て祈り、心のうちを伝えることだけでした私は神にこう言いました「神様、私は間違っていましたこのような結末を迎えるとは思いもしなかったのですそれまで、私はあなたを知らず、心の中であなたを畏れていませんでしたあなたの前でも傲慢かつ独善的で、非行を犯し、完全に理知を失っていましたそのため今日、この刈り込み、取り扱い、刑罰、そして裁きを受けています私はあなたの義なる性質を見ました従順になって、この状況から教訓を得たいと思います神様、どうか私からお離れにならないでください。私はあなたなしではいられません」それから数日間、私はこのように祈り続けましたある朝、神の御言葉の讃美歌が耳に入りました「何かが起きるたび、理解しなければいけません。『何が起きようと、それはすべて目標達成の一部であり、神の業だ。私には弱さがあるけれど、決して消極的になるまい。私に愛を授け、このような環境を整えてくださった神に感謝します。自分の願望と決意を捨ててはいけない。諦めることはサタンと妥協すること、自滅すること、神を裏切ることと同じだ』これがあなたのもつべき心構えです。他人が何と言おうと、どのように振る舞おうと、神があなたをどう扱おうと、決意が揺らいではなりません(「真理の追求に必要な決意」『小羊に従って新しい歌を歌おう』)。神の御言葉のこの讃美歌を聴いたとき救われる希望を見つけたと感じました私は何度もそれを歌い歌えば歌うほど心の中に力が湧き上がりました私がこのように暴かれ、刈り込みと取り扱いを受けたのは自分を知ることで悔い改め、変化するよう、神が私に望んでいらっしゃるからだと気づきました私を追放、淘汰することを望んでいらっしゃるからではないのですしかし私は神を知らず、神を誤解し、神に対して警戒していましたそのため自暴自棄になりながら、消極的な状態の中で暮らしていました神は私を望んでいらっしゃらないと思ったからですしかしその日、私は神の言葉を目にし神の御心が私の想像とまったく違うことに気づきました私の霊的背丈があまりに未熟でこのような状況になると消極的かつ弱くなり真理を求める決意さえ捨てるということを、神はご存じだったのですそのため神は御言葉を使って私を慰め励ましどんな状況でも人は常に真理を求めなければならないのだと気づかせてくださいました失敗して転落したり、刈り込みと取り扱いを受けたりするときそれはどれも完全に救われる過程の中で必要とされる一歩なのです自分を反省して自己認識するようになり、悔い改めて変われる限り私たちはそうした段階を経ていのちの成長を経験しますいったんそれがわかると神を誤解することもなくなり、神に対して警戒していないと感じました神がどんな計画や采配をなさろうとそれはどれも私にとって間違いなく有益であり、神は私のいのちに責任を負ってくださっていると思いましたそこで私は勇気を振り絞り次に起きることと向き合う覚悟を固めました。

もちろん、自分を落ち着かせて再び反省もしましたなぜ自分はこれほどひどい失敗をして転落したのか私の失敗の根源は何か神の御言葉を読んで、それがようやくわかりました神の御言葉にはこうあります「自分の中に真理が本当にあれば、自然と正しい道を歩むようになります。真理がなければたやすく悪事を犯し、そうせずにはいられなくなります。たとえば、自分に傲慢さや自惚れがあれば、神に反抗しないようにするのは不可能であり、どうしても神に反抗せずにはいられません。意図的にそうするのではなく、自分の傲慢で自惚れた本性に支配されてそうするのです。自分の傲慢さや自惚れのせいで神を見下し、神を無価値なものと見なすようになります。そして自分を賞揚し、常に自分を誇示し、最後は自分を神の立場に置いて自分の証しをするようになります。最終的に、自分の発想や思考や観念を、崇拝すべき真理に変えてしまうのです。傲慢で自惚れた本性に支配された人がいかに多くの悪事を働くかをご覧なさい! 自分の邪悪な行ないを解消するには、まず本性の問題を解決しなければなりません。性質の変化なくして、この問題の根本的解決は不可能でしょう(「真理を追い求めることでのみ、性質の変化を得られる」『キリストの言葉の記録』)。それまで、私は自分の傲慢さを道理の上では認めていましたが自分の本性を真に認識していたわけではなくそのため依然として自分を称賛し、自分の観念と想像の中で暮らしていました自分が傲慢なのはそうなるのにふさわしいからでそのため兄弟姉妹が刈り込みと取り扱いを行なって助けようとしても、私はそれを無視したのだと思いました完全に無視していたのですでも神の御言葉を読んで自分の傲慢で自惚れた本性が、神に対する反抗と抵抗の根源なのだとようやく理解できましたそれは典型的なサタンの性質でしたこのような傲慢で自惚れた本性の中で生きるとき悪事を犯して神に抵抗するのは避けられません教会指導者の本分を尽くし始めて以来、いつも自分を讃美していたことを振り返りました自分は何でもできて誰よりも優れていると思い込み万事において自分のやり方を貫こうとしましたそれだけでなく、グループ全体の働きを引き受けて導き兄弟姉妹を私の思い通りにさせたいと思っていました自分の考えや決定が正しいかどうか、そこに偏見があるかどうか教会の働きに損害を与えるかどうかなど考えもしなかったのですあの兄弟が自分は間違ったことをするのが怖いから何かあったら神に尋ね神からはっきりした答えを得るまで何もしないと言うのを聞くまでは上層部のその兄弟は、真理を自分のものにしており神を畏れる心をもち、原則に従って物事を行なう人でしたそれなのに、自分のことを完全に信じようとはしないのです何かあったら神に尋ね、決定を委ねます教会指導者は他の誰にもまして、万事において真理を求める必要がありますしかし私は神を求めず、神を畏れる心もまったくありませんでした何かが起きるたび、自分の観念と想像に頼って道しるべとし自分の考えを真理にしていました自分は立派で重要だと思い込んでいたのですそれは典型的なサタンの性質ではないでしょうか私は神と同格になることを望んだ大天使と一緒ですそしてそれは、神の性質に真っ向から背くことなのですそうしたことをようやく理解して自分の傲慢で自惚れた本性が恐ろしいものだと感じました私はそのせいで理知をもたずに生き人を傷つけ神に背くことを数多くしてしまいましたそのため怪物のように生きていたのですしかし神は義でいらっしゃいますサタンの本性に満ちた私のような人が暴れ狂い、神の家の働きを乱すのを神がどうしてお許しになるでしょうなので、私が指導者の本分から追われたのも無理はないのですそれは私のせい自分は長年神を信じながら自分の才能、そして観念と想像に頼って働きを行ない、真理を求めることがほとんどなかったことに気づきましたそのため、いまや真理の現実がほとんどなく実際には霊的に貧しく憐れになってしまったのですどうして自分は真理を求められないのか自分の考えや判断が正しいといつも考えるのはなぜなのかそのことは、私の心に神の居場所が少しもなくましてや神を畏れる心などないことを実際に証明していました今日、私が本分の中で神に暴かれたことは実際には神から私への注意、警告だったのですもし改めなければ私は最後に淘汰され、地獄に送られるでしょうそれらを理解して神の裁き、刑罰、刈り込み、そして取り扱いは実際には人々に対する神の愛と加護でありそのすべてに神の善意があると感じました神が人を裁いて刑罰なさるのは、その人を憎まれているからではなくサタンの勢力とその人のサタン的性質からお救いになるためですいったんそれを理解すると神への誤解が減り、神に対して警戒することも少なくなりましたまた今後の日々、神が私にどのような状況を采配なさろうとそのすべてには神の支配と采配があるのだから、私はそれに従おうと思いました。

私の本分には事後作業があって、私はそれを済ませる必要がありましたそしてそれは、神が私に悔い改めの機会を与えてくださっているのだと思いましただから自分はこの最後の本分を立派に尽くさなければならないその後、本分を尽くす過程で自分の働きについて兄弟姉妹と話し合ったとき自分が正しいと考えて他の人に自分の言うことを聞かせるという傲慢な性質に頼ろうとはしませんでしたその代わり、兄弟姉妹に自分の意見を述べてもらい最後は全員の考えを検討して決定を下しましたもちろん、見解に相違があるとき傲慢かつ独善的になり、自分の見解にこだわって他人の意見や助言を進んで受け入れないこともいまだにありましたしかし自分が失敗して転落し、刈り込みと取り扱いを受けたことを思い出すと不安を覚えそこで神の御前に出て祈るのです意識的に自分を捨てその後は神を畏れる心でもって、兄弟姉妹と一緒に真理と原則を求めましたそのように本分を尽くしているととても安心できて私の決定も吟味に耐えられましたそして兄弟姉妹とパートナーを組んだとき自分の考えのいくつかが実は一方的だったことに気づきました兄弟姉妹と交わりを行ない、物事を掘り下げることは少なくとも私にとって真理の上、原則の上、見識の上で極めて有益でした特に、兄弟姉妹に何かが起きたとき彼らが神に祈り、求め、交わりを行ない自分を軽々しく信頼しないのを見て自分が真理を求めず、いとも簡単に自分を信頼するのはなぜかと考えましたすると、自分の傲慢と自惚れのせいで、自分は何でもしてしまえるのだとわかりました私はサタンに極めて深く堕落させられており兄弟姉妹に比べて決して優れた存在ではなかったのですその後初めて自分は兄弟姉妹より多少知識があるかもしれないけれど霊の奥底では比較にすらならないことに気づきました彼らに比べて神を畏れる心が少なかったのですその点、兄弟姉妹は私をはるかに超えていましたそしてそれを知ったとき一人ひとりの兄弟姉妹に長所があり彼らに対する以前の自分の見方と違っていることに気づきました実際のところ、兄弟姉妹は私よりも優れており、私には傲慢になる点などないと思いましたそこで私は頭を下げ始め兄弟姉妹と仲良くなり、一緒によい働きを行なうことができました事後作業が終わったとき自分の取り扱いに関する教会の決定を静かに待ちましたところが想像もしないことに上層部のあの兄弟があなたは刈り込みと取り扱いを受けたあとも、依然として本分を尽くすことができ多少の自己認識を得たようだと言って本分を続けてよろしいと言ってくれたのです彼はまた、私が本分を尽くす際の問題点をいくつか指摘してくれました本分を続けてよろしいと聞いた瞬間私は何も言えず神に感謝するしかありませんでしたこれを経験して自分が暴かれ骨身にしみる刈り込みと取り扱いを経てようやく自分のサタン的本性をいくらか認識したように感じましたしかし、その代価はとても高くつきました本分を尽くす中で自分の堕落したサタン的性質に頼ったせいで私は教会に損害を与えてしまい原則に従えば懲罰を受けるべきでしたしかし神は、私をその逸脱に応じて扱う代わりに本分を続ける機会を与えてくださいました神のとてつもない慈悲と寛容を私は自ら経験したのです。

この経験を振り返るたび本分を尽くす中で自分のサタン的本性に頼ったせいで教会に損害を与えてしまったことを後悔しますまた「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」という神の御言葉はまさにそのとおりだと思いますでもそれ以上に神の刑罰、裁き、刈り込み、そして取り扱いは堕落した人類に対する神の最大の加護、最も誠実な愛だと感じています。

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