残忍な拷問を受けた日々

2022年7月20日

中国 陳輝

私は中国の一般家庭で育ちました。父は軍人で、幼い頃から父の影響を受けて私の性格が形作られていったので、兵士の天命と義務は母国に仕えること、命令に従い共産党と人民のために滅私奉公することだと信じるようになりました。また、自分も兵士になって父の歩んだ道を進むことを決心しました。しかし時が経つにつれ、そしていくつかの出来事があってから、私の人生の目標や指針は変わっていきました。1983年、私は主イエスの福音を聞きました。これは、私のように幼い頃から無神論や中国共産党のイデオロギーに毒されてきた人間を主イエスの愛に深く感動させる、聖霊の特別なお導きだったのです。福音を聞いた私は、神を信じる生き方を始めました。教会に行き、祈り、主を讃美する讃美歌を歌い始めたのです。この新しい生き方で、私は大いなる穏やかさと平安を得られました。1999年、私は再臨された主イエス、すなわち全能神の終わりの日の福音を受け入れました。絶えず神の御言葉を読み、兄弟姉妹と集まり交わる中で、私は多くの真理を理解するようになり、人類をお救いになる神の切実な意図を学んだのです。神は私たち一人ひとりに大きな使命と責任を授けられたのだと感じ、福音を広める働きに必死で打ち込みました。

しかし、中国共産党政府による残酷な迫害が、私の穏やかで幸せな生活を破壊しました。2002年8月、キリストの同労者数名に福音を伝えるため、私は夫と一緒に北西部へ赴きました。ある晩、終わりの日の神の働きを最近受け入れた二人の兄弟と姉妹と会っていたところ、突然大きな物音がしたのでそちらを見ると、扉が蹴破られて悪魔のような顔をした6、7人の警官が警棒を振りかざしながら駆け込んできたのです。すると警官の一人が私を指さし、「この女に手錠をかけろ!」と、悪意を剥き出しにして怒鳴りました。二人の警官が私たちに壁際に立って動くなと命じ、それから警官たちはその家の中の箱や棚を、まるで強盗の一団のようにあさり始めました。何かを隠すのに使えそうだと疑ったものを片っ端から入念に調べ、すぐに家全体を滅茶苦茶にしてしまいました。そしてついに、警官の一人が姉妹のカバンから福音の小冊子と神の御言葉の本を見つけ、獰猛な目つきで私をにらみつけながら、「この野郎、死にたいのか。布教しにここに来たのか。こいつをどこから持ってきた」とわめきました。私が答えずにいると「喋らないつもりか。口を割らせてやる。来い。これから行く場所で喋れ」と怒鳴りつけ、私を家から引きずり出してパトカーの中に突き飛ばしました。この時わかったのですが、送り込まれたのは6、7人の警官だけではありませんでした。道路の両側に武装した特殊警察が列をなしていたのです。私たちを捕まえるためにこんなに動員するなんてと、私はひどく恐ろしくなって、考える間もなく神に祈ってお導きとご加護を求めました。すると、ほどなくして神の御言葉の一節がはっきりと頭に浮かんだのです。「あなたの周りの環境にあるすべてのものはわたしの許しによってそこにあり、わたしがそのすべてを定めることを、あなたは知るべきである。わたしがあなたに与えた環境の中で、明確に見極め、わたしの心を満足させなさい。恐れてはならない。万軍の全能神が必ずあなたと共にいるのだ。神はあなたがたのしんがりとなり、神はあなたがたの盾である(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第二十六章」〔『言葉』第1巻〕)。その通りだ、と私は思いました。神は私の御柱。どんな状況に出くわしたって、万物の支配者、創造主である神はいつも私のそばにいてくださる。どんな状況に直面しても乗り越えられるようお導きくださる。神は誠実でいらっしゃるから。そして万物を支配し、采配なさっているのは神なのだから。そう考えていると落ち着きが戻ってきました。

私が犯罪捜査部隊に引き渡されたのは夜の10時頃でした。写真を撮られ、取調室に送られました。驚いたことに、そこには既に4、5人の残忍そうな暴漢がいて、部屋に入った私を見下ろしてきました。入るとすぐに、彼らはオオカミの群れのように私を咬み殺さんばかりの勢いで取り囲んだのです。私はあまりに怖くて必死に神に祈りました。最初、この警察の暴漢たちは私に指一本触れず、ただ立っていろと命令するだけでした。3、4時間も立ちっぱなしで足が痛くなり痺れ始め、全身が極度に疲れていました。午前1時か2時頃、犯罪捜査部隊の隊長が私を尋問しに来ました。私は緊張で震えが止まりませんでした。隊長は私をじろじろ見て厳しく尋問し始めました。「さあ言え、どこから来た。ここでお前と連絡を取っているのは誰だ。お前の上役は誰だ。お前たちはどこで会っている。お前の下で活動しているのは何人だ」私が答えずにいると、隊長は激怒して私の髪の毛を引っつかみ、むちゃくちゃに殴る蹴るの暴行を加えました。私が床に倒れると、余計にひどく蹴りを入れ続けるのです。まもなくひどい耳鳴りがして何も聞こえなくなり、突き刺すような痛みで頭が破裂しそうでした。痛くて痛くて声を上げて泣いてしまいました。さらに何分間かの暴力の後、私は床に横たわり動けずにいました。隊長は再び私の髪をつかんで引っ張り、私を立ち上がらせました。するとその瞬間、例の残忍な暴漢たちが4、5名で寄ってたかって私を蹴ったり殴ったりし始めました。私は床に倒れ、両手で頭をかばいながら、痛みのあまりあたりを転げ回りました。警察の暴漢たちは全く手を緩めませんでした。蹴りも殴打も一発一発が死ぬほどの激しさだったのです。私を殴りながら彼らは、「喋るのか喋らないのか。喋らないつもりか。喋らなければ死ぬぞ」と怒鳴りました。それでも私が喋らないのを見て、隊長が私の足首を酷く蹴りました。蹴られるたび、骨に釘が打ち込まれているかのような激痛が走りました。それから警官たちに全身を蹴り続けられた私は、全身の骨という骨が粉々に砕かれたかのように感じるまでになり、内臓を破壊せんばかりの激しい痙攣のせいで酷い痛さに襲われ、息がほとんど吸い込めなくなりました。床に倒れたまま息も絶え絶えで、まさに苦悶そのものの涙が流れました。私は心の中で神に向かって叫びました。「愛する神よ。もうだめです。今夜を越せないかもしれないと思うと恐ろしいのです。どうかお守りください。愛する神よ、力をお与えください……」その後どれくらい拷問が続いたのかはわかりません。ただただ極度にめまいがして手足を引きちぎられたかと思うほどの激痛に苛まれていました。強烈な痛みのあまり、全身が麻痺しています。すると、警察の暴漢の一人が「まだ足りないようだな。よし、喋らせてやる」と言いながら、電気ハンマーらしきものを手にして私の額を強打しました。打たれるたびに骨の髄まで響いて全身の感覚がなくなり、すっかり弱って震えが止まらなくなりました。その暴漢たちは、私がどんなに苦しんでいるかを見て自分の仕事に満足したのか、大声で笑い始めました。苦痛のさなか、神の御言葉の一節が私の中に湧き上がり、私にお導きと啓きを与えてくれました。「あなたは真理のために苦難を受け、真理に自分を捧げ、真理のために恥辱を忍ばねばならず、より多くの真理を得るためには、より多くの苦難を受けなければならない。これこそがあなたの為すべきことである(『神の出現と働き』「ペテロの経験――刑罰と裁きに関するペテロの認識」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉は私に信じられないほどの力を与え、私はこの一節を心の中で何度も何度も繰り返し唱えました。「サタンに屈して神の御期待に背くわけにはいかない。真理を得るためにどんな苦難にも絶対に耐えてみせる。それが死を意味するとしても、なおそうする価値があり、私の人生は無駄ではなかったことになる」この悪魔の一団は私を夜通し、朝まで尋問し続けましたが、私には神の御言葉の励ましがあったからこそ、彼らの拷問に耐え抜くことができたのです。考えつく手を全て出し尽くした彼らは、最後には音を上げてこう言いました。「お前は何の能もない普通の主婦にしか見えないのに、お前の神とやらはどうやってそんな力をくれるんだ」この警察の暴漢たちは私に対して寛大になったのではなく、神の権威と力に降参しつつあるのだと、私にはわかっていました。神の御言葉が真理であり、計り知れないほど強い力を人に吹き込むことができるのを、私は直接目の当たりにしたのです。そして神の御言葉にしたがって行動することで、死への恐怖を克服でき、サタンを打ち破ることができるのも目撃しました。その結果、神に対する私の信仰はさら強まったのです。

翌朝7時頃、部隊長が再び私を尋問しに来ました。私がいまだに話そうとしないのがわかると、今度は私を別の狡猾な策で私をそそのかそうとしてきました。頭のはげかかった私服警官が取調室に入ってきて、私に手を貸して起き上がらせ、ソファまで連れていきました。私の服の皺を伸ばして肩をぽんぽんと軽く叩き、気づかうふりをして陰気な笑顔を作って言うのです。「ひどい有様だね。こんな風に苦しむ意味は全くないだろう。ただ我々に話しさえすれば、君は家に帰れるんだよ。なんでここにとどまって苦痛に耐えているの。子どもたちが家で待っているよ。私だって君がこんな風に苦しんでいるのを見ると心が痛むんだよ」こんな嘘八百を聞き、その虫唾が走るような恥知らずな顔を見て、私は怒りに歯を食いしばり、こう思いました。「私を騙すためならどんな嘘でも並べ立てる悪魔め。私が神を裏切るだろうなんて、ほんの一瞬でも思わないでよ。ましてや教会のことを一言でも口にするなんて夢にも考えないでよ」私が心を動かさないのがわかると、この警官はいやらしい目つきで私を見てやたらと私の体を触ってきました。私は思わず体を離しましたが、この悪党は片手で私を押さえて動けないようにし、もう片方の手で私の胸をつかんできたのです。私は痛くて叫び、この男に強烈な憎悪を抱きました。怒りのあまり全身が震え、涙が頬を伝い落ちます。憤怒に満ちた目で睨みつけると、私の目を見た男は私から手を離しました。この実体験をとおして、私は中国共産党の邪悪で保守反動的で残酷な性質を、文字通り目の当たりにしたのです。中国共産党体制のために働く「人民警察」が全く卑劣そのもので、良心のかけらもない恥知らずな暴漢であり悪人であることを、身をもって知ったのです。24時間にわたって1滴の水も飲んでいなかった私は、全身が危険なまでに疲労して弱り切っていたので、これ以上持ちこたえられるかどうか本当にわからず、突然深い惨めさと絶望に襲われました。するとその時、ある讃美歌が頭に浮かびました。「私は強い意志で、悪のおたけびに立ち向かう。険しい道中で、心は揺るぎなく強くなる。堕落した人間はあまりにも残酷だ。どこに神の場所があるのか。真の光が現れるのを見た。神を得られていないことに甘んじていられるか。私はサタンを裏切り、堅い心で神に従う。魔王が支配している地。神を信じる道は険しい。サタンに追い込まれ、私の家はどこにもない。神を奉仕するのは天命で、地の原則である。サタンのたくらみは悪質で、軽蔑すべきもの。サタンの本性がはっきり見えて、心はさらにキリストを愛するようになった。私はサタンに屈服し、価値のない生き方は決してしない。全ての屈辱に耐え、暗い夜を生き抜こう。完全勝利の中で証しし、サタンを辱め、神の心を癒そう」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「闇と弾圧のただ中で立ち上がる」より)この響き渡るような力強い讃美歌は私を大いに刺激しました。この悪魔たちは神を憎むがゆえに、神を信じる者たちをこのように迫害していました。彼らの卑怯で邪悪な目的は、私たちに神を信じること、神に従うことをやめさせ、そうすることで神の働きを妨げて破壊し、人類が救われる機会を台無しにすることです。霊の闘いというこの正念場で、むざむざわが身を投げ捨てサタンの笑いものになるわけにはいきません。サタンが私を苦しめれば苦しめるほど、その悪魔的な顔がはっきりと見え、ますますサタンから離れたい、神のおそばに立ちたいと願いました。神は勝利なさり、サタンは打ち負かされる運命にあると私は信じています。諦めるわけにはいかず、神にすがりたい、そして力強く響き渡るような神の証しをしたいと願ったのです。

私から何の有益な情報も引き出せそうにないとわかった警察は尋問を諦め、その日の晩、私は拘置所へ移されました。この時、私は暴行のせいで別人のような姿になっていました。顔は腫れ上がり、目は開けられず、唇は傷だらけでした。拘置所の人たちは私を一目見るなり、殺される寸前まで殴られたのがわかったのでしょう、そんな事件の責任を負いたがらず私の受け入れを拒否しました。しかし少し交渉したところ、結局私は7時頃に中に通され、監房に連れていかれました。

その夜、私は逮捕されてから初めての食事を摂りました。噛むのも難しく飲み込みづらい、硬くて黒いじゃりじゃりする蒸しパンを一つ、そして虫の死骸が浮かび底には泥が溜まったしなびた野菜入りスープでした。こんなものでも私はできる限りの勢いでがつがつと食べてしまいました。私が信仰者だったため、翌日から刑務官がたびたび他の囚人たちをけしかけて私に地獄のようないやがらせをしました。ある時は私たちの監房の房長の命令で手下たちが私の髪をつかみ頭を壁に打ち付けました。あまりに強く打ちつけられて私はめまいがし、目がかすみました。また夜はベッドに寝かせてもらえずに、トイレの脇の冷たいコンクリートの床で寝るしかありませんでした。さらにひどかったのは、刑務官に拘置所の規則を暗唱させられたのですが、私が間違ったり忘れたりすると、革のベルトで鞭打つのです。このような非人間的な拷問と屈辱をほぼたえず受けて、私は弱ってしまい、来る日も来る日も檻に入れられた動物のようにこんな目にあって苦しむならいっそ死んだ方がましだと思いました。自分で壁に頭を打ち付けて死のうとしている、まさにその時、神の声が私の中に湧き上がり私を導いてくれたことが幾度もありました。その声はこう仰いました。「したがって、あなたがたは終わりの日に神への証しをしなければならない。あなたの苦しみがいかに大きくても、最後まで歩まなければならず、最後の一息になってもなお神に対して忠実であり続け、神に身を委ねなければならない。これだけが真に神を愛するということであり、またこれだけが鳴り響くような強い証しなのである(『神の出現と働き』「辛い試練を経験することでのみ、神の素晴らしさを知ることができる」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉は私を励まし、私の心を暖めてくれました。神の御言葉を噛み締めて考えていると、目から涙があふれました。警察の暴漢に酷く殴られていた時、その間私をずっと守ってくださっていたのは神の愛だったこと、神がその御言葉で私をお導きくださったこと、そして私に信仰と強さを与えてくださり、あの恐ろしい拷問から意地で生き延びさせてくださったことに思いを馳せました。同じ監房の房長から虐待され、いじめられ、他の囚人たちから苦しめられて神経が参ってしまい、自分で命を断とうとまで思った時、神の言葉はまたしても、新たに立ち上がる信仰心と勇気を私に与えてくださったのです。もし神が私のそばで私を見守ってくださっていなかったなら、私はとうの昔にあの極悪で残忍な人間たちによる拷問で死んでいたことでしょう。神の偉大なる愛と憐れみを前に、私はもう受け身で抵抗して神の御心を嘆かせることはできなくなりました。私は神とともにしっかりと立ち、誠実さをもって神の愛に報いなければなりませんでした。予期せぬことに、私が自分の思考状態を正すと、神の手配により別の囚人が私のために抗議し、この二人が大げんかになったのです。最後には房長が折れました。私がベッドで寝ることを許しました。神に感謝します。神の憐れみがなければ、虚弱体質な私は長期にわたって濡れた冷たい床の上でしか眠れなかったならば死んでいたか、麻痺していたでしょう。こうして、私は拘置所での苛酷な二か月間をどうにか生き延びることができたのです。この間、警察の暴漢たちはさらに二度、「良い警官と悪い警官」作戦を用いて私を尋問しました。しかし神の御加護で、私はサタンの狡猾な筋書きを見抜き、彼らの邪悪な目論見を阻止することができました。最後には、彼らは文字通り策が尽き、尋問が全て失敗に終わると、ついに私に三年の懲役刑を宣告し、私は刑に服するため第二女子刑務所へ送られました。

刑務所での初日から、私は重労働をするよう強制されました。一日10時間以上働かなければならず、たった一日でセーターを1枚編むか、衣料品を30点から40点作るか、箸を1万膳包装するかしなければなりませんでした。もしこのような作業が達成できなければ、私の刑期は延長されてしまうのです。極度の肉体労働では足りないとでも言わんばかりに、夜は私たちの鋭気をくじくことを目的とした一種の洗脳に参加することを強制されました。そこでは刑務所の規則、法律、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想を勉強させられました。刑務官が無神論的な不条理を提唱するのを聞くたびに、私は彼らの見下げ果てた恥知らずな考え方に胃がむかむかし、憎悪そのものを感じました。刑務所にいた期間はひと晩たりとも安らかに眠れたことはありません。真夜中に看守が吹く警笛で驚いて眠りから覚めることもたびたびありました。看守は明白な理由もなく私たちを起き上がらせ廊下に立たせたり、ジャガイモやとうもろこしや飼料を運ぶといった仕事を課すのです。重さは一袋50キロ以上もありました。冬の夜は、吹きすさぶ骨まで凍りつくような風と格闘しなければなりませんでした。私たちは運ぶ道を這うように、一歩ずつ足をひきずって、歩いたものです。時には荷物の重さのせいで倒れることすらありました。弱った体を引きずり、疲れきって涙目になりながら監房に戻るのが朝の2時、3時になることもたびたびありました。そんな夜は疲労と冷えと怒りとがないまぜになって再び寝入ることができませんでした。三年という長い刑期をこれから耐えなければならないことを思うといつも、私はいっそう深い絶望に陥り、疲労困憊のため全身が麻痺したように感じるのでした。神は私の苦しみをよくご存じで、どん底まで落ち込んだとき御言葉の一節を思い出すようお導きくださいました。「落胆してはならない。弱ってはならない。そうすればわたしが物事を明らかにしよう。神の国への道は平坦ではない。何事もそう簡単ではないのだ。あなたはたやすく祝福を得たいと思っているのではないか。現在は誰もが苦しい試練に直面しなければならない。そうでなければ、わたしに対する愛の心が強まることはなく、わたしへの真の愛を抱くこともないだろう。試練は単なる些細な状況だとしても、誰もが必ず通らねばならない。ただそれぞれ試練の度合いが違うというだけのことだ(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第四十一章」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉は苦痛に苛まれ悲嘆に暮れた私の心にとって深い慰めとなり、おかげで私は神の御意志を理解することができました。私の置かれた状況は、実際の試練でした。このような苦しみのさなかでも私が神に忠実であり続けるか、そして私が神を真に愛しているか否かを神は確めようとされていたのです。刑務所での三年間はとても長い時間でしたが、私を導いてくださる神の御言葉と私を支えてくださる神の愛ゆえに、私は一人ではないとわかっていました。私は痛み苦しみのすべてに耐え、サタンを打ち負かすため、神におすがりするのです。私は臆病ではいられませんでした。

中国共産党の闇と邪悪さは、彼らが監視していたこの刑務所のあらゆる側面から明らかでした。けれど、神の愛がいつも私とともにありました。ある時、看守が私に箸の入った袋を五階まで運ぶよう命じました。階段には氷が張っていたので、私は袋の重さのためとてもゆっくりと歩かなければなりませんでした。しかし看守が急げと命じ続けるので、自分の任務をやり遂げなければひどく殴られるかもしれないと恐れ、私は不安になり気が急いたため足を滑らせ、階段から落ちて踵の骨を折ってしまいました。私は床の上に大の字になって倒れ、骨折による射るような痛みのため脚を動かせず、また冷や汗をかいていました。しかし看守は関心のかけらも見せませんでした。私が芝居をしているのだと看守は言い、立ち上がって仕事を続けろと命じるのです。しかし立ち上がるのは物理的に無理でした。当時同じ刑務所で刑期を務めていた教会の姉妹が一人、何が起きたのかを見ていて、すぐに私を刑務所内診療所へと運んでくれました。そこで私を診た医師は、単に私の足を包帯で巻いただけで、あとは安い薬を二、三錠持たせただけで私を帰しました。私がノルマを達成できないことが気がかりな看守は、私がいかなる治療を受けるのも却下したため、私は足を骨折したまま働きつづけなければなりませんでした。どんな仕事をしていても、その姉妹が私を助けてくれました。神の愛が私たちの心を結びつけていたため、姉妹は機会があればいつでも私と神の御言葉について語り、私を励ましてくれました。これはどん底で極めて困難な時期にいた私にとって計り知れない慰めとなりました。この時期、起き上がるのもままならないほどの痛みと衰弱を感じ、呼吸するのがやっとのエネルギーしかなかったことが幾度あったかわかりません。そして布団に隠れて涙ながらに神に祈ったことが幾度となくありましたが、二つの讃美歌が常に私に励ましと癒しを与えてくれました。「神の言葉の裁き、刑罰、打撃、そして精錬を受け入れることができ、またそれ以上に、神が託す任務を受け入れられることは、はるか昔に神が予め定めたことなので、刑罰を受けるときはあまり悲嘆してはならない。あなたがたの中でなされた働き、あなたがたに授けられた祝福、そしてあなたがたに与えられたすべてのものを取り去ることは誰にもできない。宗教の人々はあなたがたとの比較に耐えられない。あなたがたには聖書に関する偉大な専門知識がなく、宗教理論もないが、神があなたがたの中で働いたので、過去の時代の誰よりも多くのものを得た。つまり、これがあなたがたの最大の祝福である(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「神の意志を失望させることはできない」より編集)神の国への道は起伏が激しい。生と死のはざま、責苦と涙の中で私はさまよう。神の守りなしでは誰が今日まで歩んで来られただろうか。終わりの日に私たちが誕生することを神は予め定めした。私たちはキリストに従えて幸いだ。神は身を卑しくして人間になり、大変な屈辱を忍ばれた。私は神を愛さずして、どうして人間でいられようか。…神を愛するからには、神に従い証しすることを悔いはしない。私は弱く消極的だが涙の中でも神を愛する。私は苦しみ、神へ愛を捧げる。神を決して悲しませないように。試練で鍛えられるのは黄金が火によって試されるよう。私の心は黄金のように鍛えられる。どうして神に心を捧げずにいられようか。天国への道は険しくたくさん涙を流すだろうが私は永遠に悔いなく神を愛する(小羊に従って新しい歌を歌おう』の「悔いなく神を愛する歌」より)神の御言葉と神の愛が深い失望から私を救い、そして繰り返し、生き続ける勇気を与えてくださいました。この暗く寒い地上の地獄で、私は神の愛の暖かさとご加護を実感し、神の愛に報いるため生き続けようと決心しました。どんなにひどく苦しもうとも、生き続けなければなりませんでした。あと一息しか残されていなくても、神に忠実であり続けなければなりませんでした。刑務所での三年間、私が最も深く感動したのは、姉妹が神の御言葉が手書きで書かれた紙を数枚くれた時でした。フォートノックスよりも厳重に取り締まられている、悪魔が管理する刑務所で、神の御言葉を読めたことは、神の私への計り知れない愛と憐れみの証に他なりません。あの最もつらい時期を耐え抜くことができたのは、私を励まし導いてくださった神のこれらの御言葉だったのです。

2005年9月、私の刑期は終わり、ついに刑務所の暗黒の日々と決別することができました。刑務所から出てきた時、私は深く息を吸いこんで、私に刑期を生き延びさせてくれた愛と御加護を施してくださったことを神に心の底から感謝しました。中国共産党政府によって逮捕され、迫害されるという実体験から、私は今、何が義で何が悪か、何が善で何が不正か、何が肯定的で何が否定的かがわかります。すべてを捨てても追求するべきもの、そして何を憎み呪って拒絶すべきかを確認しました。この体験をとおして、神の御言葉は神のいのちそのものであり、人の生活を背後から動かす意欲となりうる超自然的な力がこもっていることを真に理解するようになりました。神の御言葉にしたがって生きている限り、人はサタンの力をことごとく打ち負かすことができ、極めて苛酷な逆境にあってもなお勝つことができるのです。神様に感謝します。

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